第5話 エンカウント5

 

 

 

「た、ただいま~……」

 家の前でお互いの健闘を祈って吉鷹晶と別れ、尻ポケットに入っていたキーケースを取り出して玄関の扉を開く。

 人様の家の玄関を開けるのってすごく罪悪感がある。いや、人生でなかなか経験する様なことじゃないので仕方ないだろうが。

 先ほど吉鷹晶に教えられた自室に向かおうと靴を脱いでいると、奥の方で扉が開く音がした。

「おかえりー」

 奥から出てきたのは私の母親くらいの年代のエプロン姿の女性だ。おそらく吉鷹晶の母親だろう。ジーンズにパーカーという飾り気のない格好だが、目がぱっちりとしていてスタイルもよく、快活な美人、と言った感じだ。さすが吉鷹晶の母。

「ご飯あるけど食べるー?」

「た、食べる」

「お味噌汁あっためておいてあげるから手ェ洗ってきなさい」

「は、はーい……」

 意外とうちと同じ様な会話内容にほっと胸をなで下ろす。

 洗面所で手を洗ってリビングに向かうと、ソファに眼鏡をかけた男の人が座っており、吉鷹晶の父親だと察する。

「おお、おかえり」

 新聞をめくっていた吉鷹晶の父親がこちらに気付いてにっこりと笑う。目尻にシワが寄って人懐っこい感じを受けた。

「ただいま」

「今日の母さんの餃子は絶品だったぞー」

 吉鷹晶の父親から晩御飯の情報を得る。よその家の餃子を食べられる機会なんてそうそうない。しかも絶品と聞けば期待値も上がる。

 四つの椅子が並ぶダイニングテーブルに餃子の皿と味噌汁、ごはん、サラダが置かれ、隣の席に預かった紙袋をそっと置いて、食卓に向き合う。餃子結構多いけど食べられるだろうか。それとも残すことを見越して作っているのだろうか、と不安になる。

 聞いていた通り、餃子は絶品だった。

「晶、調子悪いの?」

 台所で洗い物をしていたお母さんが問いかけてきて、思わずむせそうになった。

「な、なんで?」

「いつもは勢いよく掻き込んでるのに今日はやけに大人しいじゃない。熱でもあるの?」

 母の観察眼、恐るべし。

「あー、ちょっと疲れたかも」

 気疲れをしたのは確かだし、様子がおかしいのを調子が悪いせいにしておいたほうが何かと都合がいいので頷いておく。

「やっぱり? お夕飯少し軽めのものにすれば良かったわね」

「いやいやそこまでしなくても大丈夫! 餃子超うまい! ゔっ!?」

 お母さんに心配をかけてしまうのがいたたまれなくて、無理やり元気キャラを装ってご飯を掻き込むと普通にむせた。

「調子が悪いのに何をしてるの」

 呆れた表情でお母さんがお茶を汲んで渡してくれた。

 喉を潤してなんとか人心地ついていると、玄関からガチャガチャと音がする。

「ただいまー!」

 溌剌とした声が聞こえ、軽やかな足音がこちらに向かって近づいて来る。

 リビングに姿を現したのはまごう事なき美女だった。

 腰まで伸びたストレートの黒髪は艶々で、天使の輪っかができている。肌は透き通る様に白く、目がぱっちり、唇もうるうるで、まるで化粧品のCMに出てくる女優さんの様だ。

「兄貴!」

 そんな美女が私、というか吉鷹晶を見るなり目を輝かせた。

「今日のイベントどうだった……!?」

 吉鷹妹は鬼気迫る様子でダイニングテーブルに手をついて、こちらを覗き込んで来る。

 そうだ、吉鷹晶の妹はオタクだった。

 神に愛された美女はそれこそ神々しく近寄りがたい存在だが、「オタク」とういう枕詞が付くだけで一気に親近感を感じてしまう。本当ちょろいな、私。

「こ、これで合ってる、か?」

 隣の椅子に置いていた紙袋を渡すと、妹は震える手で紙袋を受け取る。恐る恐る紙袋の中身を妹が確認すると、はわわと声を漏らした。

「イトヨシ先生の新刊も入ってる……!」

 今度こそ飲んでいた水を吹き出した。

 イトヨシ、というのは私のペンネームだ。

「ちょ、兄貴大丈夫!? お母さんタオル!!」

「はいはい」

 吉鷹妹は大事そうに抱えていた紙袋を椅子に置き、お母さんからタオルを受け取って渡してくれる。

「その、そんなに嬉しいものなのか?」

 零した水を拭きながら、吉鷹妹に問いかけた。

 そりゃ嬉しいことは分かっている。ちょっとした好奇心だ。

 自分が他の作家さんの作品を手に取れた時はすごく嬉しい。

 商業のものとは違って、同人誌は趣味の物だ。売り切れても再販してくれるかどうかは作家さんの善意による。

 再販するにしても作家さんに得はあまりないからだ。手間が同じなら新しい話を描いた方が楽しい。

 だから、売り切れてしまうと二度と手に取れないことは十分ありえるので、同人誌とまみえることができるのは一期一会の奇跡である。

 そして私も作り手として、誰かに自分が作ったものを手に取ってもらえる嬉しさも知っている。

 私も今までに他の人に同人誌を手にとってもらった。感想を伝えてくれた人もいる。

 だが、それは「イトヨシ」として接した時のことだ。

 第三者として、自分の作品がどう思われているのか、飾らない言葉で聞いてみたかった。

 少々ずるい方法だとは思うが、こんな機会またとない。

 今大変な思いをしている分、これくらいの見返りはあって然るべきだろう。

 なんでもない風を装ってそれとなく聞いてみると、吉鷹妹はクワッと目を見開くので思わず仰け反ってしまった。

「嬉しいよ! 嬉しいに決まってるじゃん! だって今日を逃したら二度と手に入らないかもしれないんだよ!? 兄貴マジでありがとう!!」

 ああ、こりゃ本当にこっち側だ。

 吉鷹妹は紙袋の中にある同人誌の中から一冊手に取る。

 私の新刊だ。

「このイトヨシさんの絵めっちゃ好きでさー! 毎回好きになる推しも一緒だし。話もほっこりしてて好きなんだよね! そりゃあシリアスな話とかを読みたい時もあるんだけど、仕事で疲れた時に重い話はしんどいでしょ。いつでもどんな時でも優しい気持ちにしてくれるから、イトヨシさんの本めっちゃ好きなんだよねぇ……今回のお話は推し二人が鍋を食べるお話でサンプルで見たけどめっちゃ鍋が美味しそうでー……って兄貴!?」

「え?」

 吉鷹妹がこちらを見てギョッとする。

「どうしたの!? なんで泣いてんの!?」

 吉鷹妹に指摘され、頰に触れると水の感触がした。

 同人誌というのは自分の好きなものを形にするもの。商業のものと違って、売れても売れなくてもそれを形にすることに意味がある。

 でも、誰にも手に取ってもらえないのはやっぱり寂しい。

 誰にも必要とされていないことは純粋に辛いことだ。この子達を魅力的に描けない自分にいつも申し訳なさが溢れる。

 どれだけ頑張って描いても自分に自信を持つことは難しい。こんな本、誰が買ってくれるのだろう、と毎回思っている。

 何人か買って行ってくれる人もいるけれど、SNSで仲のいい人ばかりだし、付き合いで買ってくれているのかな、と思っていた。そうじゃないって分かってはいるけど、基本が後ろ向きで自分に自信がないので、頭の隅っこではどうしても考えてしまっていた。

 でも、少なくとも吉鷹晶の妹は、そうじゃなかった。

 お兄さんに頼み込んでまで新刊を楽しみにしてくれて、私が描きたかったことを理解してくれていることが嬉しかった。

「やっぱり体調悪いんじゃない。お風呂は明日にしてさっさと寝ちゃいなさい」

「え、兄貴体調悪かったの?」

 お母さんの言葉に吉鷹妹が少し狼狽える。

「大丈夫大丈夫。ご飯もちゃんと食べれたし」

 吹き出した水を拭いていたタオルで雑に涙を拭い、食器を台所に下げた。

 このまま体調不良ということにして乗り切らせて頂く。

「環もご飯用意しておいてあげるから、手洗ってきなさい」

「はあい」

 吉鷹妹、もとい環ちゃんは素直に返事をして手に取っていた同人誌を丁寧に紙袋に戻すと、こちらに向かって来る。

 ふわ、と首根っこに腕を絡ませてギュッとされる。環ちゃんは女性としては長身だが、吉鷹晶とではやはり身長差があるので少し背伸びをしている。

「兄貴、ありがとう」

「!?」

「腹出して寝ちゃダメだかんね!」

 バシバシ、と肩を軽く叩いて環ちゃんは踵を返して手を洗いに行った。

 いや、なんとなく想像してたけど、吉鷹晶の妹もやはりとんでもない。

 

 

 

 二階の突き当たりにある吉鷹晶の部屋へと向かう。

「お邪魔しまーす……」

 恐る恐る扉を開けると、嗅ぎなれない人の部屋の匂いがした。

 部屋はスッキリと片付いていて、物がゴチャゴチャしている私の部屋とは正反対だ。

 キャンプや車の雑誌がベッドの下に置かれており、自分がおおよそ興味を持ったことがない物なので少々興味があって読んでみる。

 実際行くのは腰が重いが、本となると話は別だ。

 自分の知らない世界を部屋にいながら知ることができる。疲れ知らずで知らない世界を見れるところは本当に素敵だ。それに、自分の目ではなくて誰かのフィルターを通して見ることも面白さの一因だと思う。

 もちろん自分が直接見て感じることが大切なものもある。ニュースとかはそれの最たるものだろう。

 しかし、それ以外のもの、特に趣味や文化なんかは自分が直接見て感じても、面白さが理解できないこともある。

 そのものが好きな人のフィルターを通すことで、面白さがわかりやすくなるので、私は本や漫画を読んだり、作品に触れることが好きだ。

 雑誌を数ページ読むとやっぱり疲れていたのか、程なく眠気がやって来たのでクローゼットを漁って少しくたびれたスウェットを取り出す。

 下着も変えたほうがいいよな……となるべく見ないようにして下着を取り出した。

 着替え終わってさぁ寝よう、となった段階でスマホが鳴る。

 電話をかけて来た相手は『吉鷹晶』だ。何かあったのかと思って慌てて電話に出る。

「もしもし!」

『あ、吉鷹だけどさ、今電話大丈夫?』

「大丈夫です。何かありましたか?」

『あのさ、今から寝ようと思ったんだけど、寝る時ってブラジャーって付けるもの?』

 吉鷹晶からの質問に思わず息が止まった。

 あの吉鷹晶となぜ女性の下着について話さなければならないことに気が遠くなってしまうが、彼の今の体は私のものだ。仕方ない。

 人と体が入れ替わっているということはそもそも戸惑うが、我々は性別も違う。ということは、今まで疑問にも思っていなかった事が必ずあるはずだ。ブラジャーはその始まりにしか過ぎない。

「寝る時は外してもらって大丈夫です……」

『おっ、そうなのか! 助かったわ! ブラジャーってしんどいんだな~。俺初めて知ったわ』

 普通の一般男性はブラジャーをつける事はないだろう。いや、外した事はあるとは思われるが、同級生のそっち系の想像はしたくないので慌てて思考から追い出す。

『ちなみにさ。ブラジャーって絶対つけなきゃいけないのか?』

「外に出る時は絶対につけて下さい」

 陽キャと陰キャの溝も深いが、私たちが思った以上に男女の溝も意外と深そうである。

 普通なら性別の溝の方が深いのだろうが、そっちよりも根本的な性格の違いの方が溝の深さを感じる。

『分かった。あと、明日って化粧とかした方が良いのか?』

 質問が止まらない。答えるのに大変困るが、小さな疑問もそのままにせず一生懸命応えようとしてくれていることは理解できる。

「そもそもほぼスッピンに近かったのでしなくても大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」

 男性だが、そこまできちんと気を回せるのは流石である。自分で判断をせずに私にちゃんと聞いてくれる所もありがたい。

 入れ替わってしまった事は災難以外の何物でも無いが、相手が吉鷹晶であった事は不幸中の幸いだろう。

『柴村さんのお兄さんにも初めて会ったけど、なんか寡黙で侍! って感じだよなぁ」

「侍……」

 確かに無口でガタイは良いが、私服は萌えキャラのTシャツしか着ないオタクの中のオタクである。

 多分今日も推しのTシャツを着て過ごしていたと思われるが、一般人には刺激が強すぎる萌えキャラTシャツも、吉鷹晶にとっては前衛的な服装にしか見えなかったのかもしれない。

『なんかお兄さんがガルダ……なんとかの新作映画の情報? が出たって教えてくれたんだけど』

 それまでは陽キャと陰キャ、男と女の溝についてぐるぐると考えていたのだが、その言葉で全て吹っ飛んだ。

「もしかしてガルダニア物語の事では!?」

『そうだ! ガルダニアだ!』

「待って待って待って! マジで新作出るの!?」

 ガルダニア物語とは約十年前に流行ったファンタジーアニメ作品だ。ヨーロッパをモデルとしたファンタジー世界で、平民の男の子が騎士団員となって出世していくサクセスストーリーである。

 アニメがものすごく人気で、放送終了と同時に新作映画の制作発表がされたが、一向に映画の情報は入って来ず。なんらかの理由で映画制作は頓挫したのではないかと、オタク達の間では噂され、新作映画は夢となって消えたと誰もが思っていた。

 吉鷹晶と通話を繋いだままSNSの情報を遡ると、兄の言う通りガルダニア物語の新作映画の情報が出てオタク達が大盛り上がりしていた。

 公式のアカウントではポスタービジュアルが公開されており、それを見た私は思わず目を剥いた。

「待って!」

『うん?』

「待って待って待って……! ルカ! ルカが出てる! お前生きとったんか……!」

 ルカというのはガルダニア物語で上官を守って死んだ主人公の親友だ。そして私の推し。

 情報過多の時に「待って」と言ってしまうのはオタクのサガである。びっくりしすぎて心がついていけないので待って欲しいのだ。

「公開は来年!? いやこれ本当マジで死ねないわ!」

『楽しみが増えるのは良い事だよな』

 吉鷹晶の言葉ではたと我に返った。

 私が今電話しているのはけいちゃんでも兄貴でもない。

 吉鷹晶だ。一般人だ。

「……キチョウナジョウホウヲアリガトウゴザイマシタ」

『いやいや俺は何もしてないし、柴村さんが元気になったんだったら良かったよ』

 吉鷹晶は何も気にしないのかもしれないが、私は気にする。

 一般人相手にキモいオタク語りをしてしまった。穴があったら入りたいし、なんなんらそこにダイナマイトを放り込んで木っ端微塵にして欲しいと心の底から願った。

 

 

 

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