第4話 エンカウント4
「たぬきに化かされてるんじゃない?」
「私だってそうだと思いたいよ……」
源次郎神社からの帰り道、源次郎たぬきの姿が見えなかったけいちゃんは胡乱げな表情で言ってくるが、入れ替わっていることは事実だ。化かされて夢オチの方が百倍マシなのに。
「どれだけ騒いでも次の満月まではこのまま。多数の人間に入れ替わりがバレるとまず精神がイカれてると思われかねない。お互いの生活を維持して次の満月を迎えましょう」
「だな」
私の言葉に吉鷹晶がうんうんと頷く。
毎日眺めている自分の顔なのに、中に入っている人が違うだけで全くの別人に見える。
多分、私の方も吉鷹晶の顔をしているのに全くの別人に見えているのだろう。
入れ替わっていることがわかっているから特にそう見えるのだろうが、果たしてこの入れ替わり生活を無事に終えることができるのだろうかと不安になった。
私も吉鷹晶も実家暮らしだ。
私の家の最寄駅から三つ先に吉鷹晶の家があるらしい。
まずは私の家に寄ってから、吉鷹晶の家に向かうことになった。けいちゃんはここから別路線になるので、ここで解散する。
「ま、何かあったら連絡して。何もないことを祈ってるけど」
そう言ってけいちゃんはさっさと自分が乗る電車のホームへと歩いて行った。私たちは二人で改札を出て私の家へと向かう。
「柴村さんは仕事なにしてんの?」
「高校の事務です」
「へぇー! きっちりしてそうだもんなぁ」
吉鷹晶は私の姿形で腕を組み、うんうんと頷いている。
姿形は私なのに、仕草が堂々としているだけでまるで別人だ。いや、中身は別人なんですけれども。
「……吉鷹くんはなんの仕事をしてるんですか」
普段なら元同級生の仕事など興味がないので絶対聞かないが、明日から自分がなんとか卒なくこなさなくてはいけない仕事である。今この時点ですでに事務じゃないことだけは分かるが。
「車の営業だよ」
「営業……」
就活の時、最初に自分が向いていないと判断した職種だ。いや、なんとなくバリバリコミュニケエーション駆使する仕事だろうなとは思っていましたけれども。
いくら外見が吉鷹晶とはいえ、今の中身はただのオタクである。人に何かをアピールすることがすこぶる苦手な人種だ。
唯一アピールすることが得意な分野があるが、言わずもがなアニメや漫画である。車は完全に守備範囲外だ。
これから一ヶ月間、吉鷹晶として仕事をつつがなく回せるのか不安しかない。
「あのさ」
明日から始まる地獄に思いを馳せて遠い目をしていると、吉鷹晶がちょんちょんとこちらの右腕をつつく。
「俺有休全然消化してないし、よかったら一ヶ月有給使ってくれ」
「え」
突然のありがたすぎる申し出に目が丸くなる。
だって、一ヶ月働かずにぐうたらできるなんて夢の様だ。しかも人様の有休で。
しかし、その申し出をありがたく受け入れられるほど図太くもない。
「いやいやいや、有給は吉鷹くんが使うべきでしょう……」
あべこべになっているので訳が分からないが、今の状況で吉鷹晶の有給を使うことは、すなわち私が休むということになる。
人が汗水垂らして会社に奉仕して得た権利を、よく分からない奴に明け渡すのは良くない。
それに私は小物なので、体調が悪くないのに仕事を休むことへの罪悪感もある。いや、体調ではなく精神が入れ替わってしまっているので、本来なら病院案件だろうが、それ以外は全く問題がない。
いや、もしかして私が仕事でやらかすことを懸念しての有休消化の提案だったのか!? それならありがたく使わせて頂いたほうが良いのだろうか!?
「もし良かったら私の有休も使って下さい。私だけ人の有給をいただくのは罪悪感がちょっと……」
私が提案すると、吉鷹晶はうーん、と顎に手を当てて考えた後に口を開く。
「じゃあとりあえず、普段通りに過ごしてみて、無理だったらお互い有休を使おう」
「分かりました」
「よく考えてみれば実家暮らしで医者の診断もないのに長期休暇って取りにくいよな」
「確かに」
一人暮らしならまだしも、実家暮らしで長期休暇となると絶対心配される。
しかももれなくいつもと様子が違うのだ。絶対怪しまれるので、できる限り普段通り出勤する方が良いだろう。
出勤問題の他にはスマホをどうするか問題にぶち当たったのだが、私は電話を使う様な仕事ではないし、もしあったとしてもメールなどで事足りる。吉鷹晶の方は仕事用のスマホがあるそうなので、仕事用の方だけ預かることになった。お互い電話にさえ出なければどうにかなるだろう。
「あ、ここがうちです」
駅から歩いて十分くらいの見慣れた我が家の前に立つ。
なんてことない普通の一軒家。私が五歳の時に両親が建てたものだ。
我が家への案内が終わったので、再び電車に乗り、次は吉鷹晶の家へと向かう。
「人の家に人のフリして入るのってなんか緊張するよな」
「同感です」
そもそも人の家というのは緊張するものだが、人の振りをして上がらねばならないとは、距離感を掴むのに半年近くかかるオタクに対してとってもハードルが高い。
自分だけが緊張しているのかと思いきや、あの吉鷹晶も緊張しているというので少しだけホッとした。残念ながら全く緊張しているようには視えないが。
「今は妙なことになって頭抱えてるけど、源次郎が助けてくれなかったら今頃死んでたのかと思うとゾッとするよな」
「……そうですね」
私は鏡やガラスにあなたの顔が映る度にゾッとしています、とは言えない。
遠目から眺める分にはいいが、近くにいい顔がありすぎるともはや兵器だ。この一ヶ月で慣れるのだろうか。
しかし、彼の言うことも最もである。大変なことをやらかしてくれたが、源次郎たぬきが助けてくれなかったら、今日死ぬ思いで手に入れた宝を読むことなくあの世に行っていた。そんなの無念すぎる。
今度進捗を確認しに行く時は源次郎たぬきに何か差し入れでもするべきだろうか。
電車を降りてしばらく歩くと、昔ながらの商店街が姿を表す。
お肉屋さんにお魚屋さん、花屋さんに駄菓子屋さん。建物に年季を感じるものの、それと同時に手入れの良さも感じる。
「晶ちゃん今帰りかい!」
突然名前を呼ばれ、うまく反応できずにいると吉鷹晶が見えない様に袖を引っ張って気付かせてくれる。
「肉屋のおばちゃんだ。小さい頃から可愛がってくれてる」
周りに聞こえない様、声を潜めて教えてくれるが、身長差があるせいか少し聞き取りにくい。
私の元の体は日本人女性の平均身長くらいで特筆すべきことはなかったのだが長身になるとこんなにも世界が変わるのか。これは推しの為のいい勉強になりそうだと、入れ替わって初めて得した気分になった。
肉屋のおばちゃんはショーケース越しにニコニコ笑って手招きしている。吉鷹晶にやんわりと押されて、肉屋の軒先に入ると、揚げ物のいい匂いがふんわりと漂ってきた。
「おや、彼女連れかい! 晶ちゃんも隅に置けないねぇ!」
「は、はは」
某夢の国のネズミのキャラクターの魂が抜けた様な笑いしか返せない。肉屋のおばちゃんはこちらの異変に気付いてはいない様だが、このままでは時間の問題だ。
私は吉鷹晶。今の私は、オタクの柴村結子ではなく、吉鷹晶。学年一の人気者。少年漫画の王道主人公を地で行く男。
吉鷹晶ならこんな時どんな行動をするのか、想像しろ。
「コロッケが今揚がったばっかりなんだよ。良かったら彼女と食べていきな!」
そう言っておばちゃんは揚げたてのコロッケをショーケース越しに渡してくれる。私の姿の吉鷹晶はニコニコ笑って「ありがとうございます」と爽やかにお礼を言っていた。どこぞの受付嬢か。
「ありがとうございます。素敵な笑顔を見れて、コロッケがより一層美味しくなりそうです」
普段の自分なら絶対出てこない言葉だ。全身全霊で吉鷹晶をこの身に降ろした。本人隣にいるけど。
顔の表情筋を総動員してにこっと微笑めば、おばちゃんは赤面した。
「やだわー! 晶ちゃん! おばちゃんおだてたって何にも出ないんだからね!」
手でブンブン仰ぎながら照れ照れしているが、追加でコロッケを八つ持たせてくれた。イケメン怖いな……。まるで自分には大きすぎる力を手に入れてしまったかの様な気分になってしまった。
「なんつーか、柴村さんから見た俺ってあんな感じなのか?」
ホカホカのコロッケを持ち、お肉屋さんを離れてから吉鷹晶が恐る恐る聞いてくる。
「まぁ……はい。ちょっと違いましたか」
「いや、自分の姿を客観的に見ることってあまりないから、自分ってこう言う感じで見られてんだなぁって新鮮だった」
自分から見た自分と、他人から見た自分って多分印象が違う。
あれは私が想像した吉鷹晶だ。そして、今の吉鷹晶が演じている私も、吉鷹晶が想像した柴村結子だ。
正解ではないが、間違っているわけではない。そこらへんが同人誌を描く時に似ているなと思った。
公式という正解はあるが、それをどう解釈するのは個人の自由的な。どう見えたかに正解も間違いもない。
私は同人誌を書く時にキャラクターの気持ちを想像する。どういう生い立ちで、どんな感情を抱き、どう行動するのか。
解釈は人それぞれだが、自分が解釈したキャラクターの言動を追いかけることが常だ。
まさかそれがこんなところで役立つことになろうとは。人生何がどう転ぶのか分かったもんじゃない。
学生時代にあまり接点はなかったものの、吉鷹晶は有名人だったのでそこそこ情報があってありがたい。逆に私はソースが少なすぎてやりにくいだろう。
吉鷹晶の独自解釈、オリジナル展開になっても文句は言うまい、と心に決める。
「ここが俺ん家」
吉鷹晶の実家と言えばどんな豪邸かと思っていたが、うちとあまり変わりない普通の一軒家だった。
「そうだ、妹にこれ渡してやってくれないか」
そう言って、吉鷹晶は紙袋に入った大量の同人誌を渡してくる。
事故に遭って同人誌を道路にばら撒いた時、拾ってくれたオタク達から寄付された紙袋らしい。見知らぬオタク達よ、ありがとう。
「昨日の夜に急に出勤になったって泣きながら頼み込んできてさ。よっぽど欲しかったものだろうし、早く渡してやりたくって」
私の顔でハニカミながら吉鷹晶が言う。
いいお兄ちゃんすぎるな。うちにもお兄ちゃんいるし、優しいけれどタイプが違う。
一度は行けなくなってしまったイベントの戦利品を手にすることができるなんて、妹さん感無量だろうな。
しかし一般人の兄に性癖の一片を知られる事よりも、同人誌を得ることを選んだ妹さんの決断力に敬意を表したい。
「分かりました。必ずお渡しします」
丁重に両手で紙袋を預かる。
「あの、私もこれお願いしていいですか」
ゴロゴロと引いてきたスーツケースを私と吉鷹晶の間に置く。私の今日の戦利品やサークル設営に必要な小物などが入っている。
さっき実家に寄った時に置いてきても良かったのだが、一度荷物を置いてまた間を置かずに外に出るのは不自然だろう。
「分かった。片付けておいた方がいいか?」
「いえ、そのままの状態で、部屋の隅に置いておいてください。そのままの状態で」
なんだかフラグみたいになっているが、ここまで念を押せば吉鷹晶なら見ることはないだろう。
吉鷹晶の妹の様に性癖を一般人に開示できるほど私の精神は強くない。
百歩譲って友人ならともかく、親兄弟はハードルが高すぎる。吉鷹晶の妹の精神はザイル製なのだろうか。
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