第5話 ゆうじょう
「春原さん。ちょっと、いいかな」
放課後。
後ろの席の横山さんを交えて仲のいいクラスメイトと話していた私は、後ろから掛けられた控えめな声に振り返って思わず首を傾げた。
そこにいたのは、同じ学年だけど、同じクラスになったことが無い人だったから。
顔は見た事があるんだけどな。名前、なんだっけ?
確か……
「えっと、南、さん?」
「うん。あのね、実は相談したいことが」
「え? 私に?」
「う、うん……」
南さんの様子に、私はピンときた。
南さん、本当は板倉くんに相談したいんじゃないかな。
私と同じクラスの板倉くん。
板倉 学。
いつもひとりでぼんやりとみんなを眺めているか、そうでなければ黙々と本を読んでいる。
一言で言えば、『何を考えているかわからない奴』。
それが、板倉くんだ。
こう言うと、クラスの中では浮いていて存在感が薄そうな感じがするだろうけど、実際は真逆。
彼は度々、クラスメイトから困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決している、密かな人気者。
実はファンも多いらしい。
……とうとう、他のクラスの人からも相談されちゃう感じになっちゃったねぇ、板倉くん。
チラリと板倉くんの席を見れば、まだ本が読みかけなのか、ひとりで黙々と本を読んでいる。周りの事などまるで気にせずに。
『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。
それは。
彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。
私にはそのオーラとやらは良く分からないけれど、確かに取っつきにくいことは取っつきにくい。ただ、彼は本当は優しいということも知っている。
そう。
何を隠そうこの私も、あのストーカー事件以来、彼のファンの一人になっていたのだ。
「あの、本当に私でいいのかな? なんなら、板倉くんまだいるけ」
「いいの! まずは春原さんに相談したい」
よっぽど板倉くんが怖いのか、南さんは私の提案を思い切り遮った。
でも、『まずは』なんだねぇ……
本音が隠しきれていない南さんに少しだけ笑いそうになりながら、私はみんなから離れて南さんと一緒に教室を出た。
横山さんがちょっと不安そうな顔をしていたけど、もう大丈夫だと思う。みんな優しいから。
私がいなくたって、横山さんと仲良くしてくれるはず。だってクラスメイトなんだから。
「それで、相談て?」
「ごめんね、いきなり」
南さん。
南 透子。
同じ学年で、ふたつ隣のクラス。
同じクラスになったことが無いし、接点も無いから、今までほとんど話した事は無かったんだけど。
相談したいって言われたら、力になりたくなっちゃうじゃない。
だから、人の来なさそうな空き教室に入って、私は南さんから話を聞いた。
内容は、有体に言えば、浮気相談。
私は全く知らなかったのだけど、南さんはうちのクラスの達川くんと付き合っているとのこと。
達川くん。
達川 篤。
私、達川くんとは結構仲良いのに、知らなかったなぁ……
その達川くんに何故浮気疑惑が持ち上がったかと言えば、南さんの話によるとこんな感じだ。
部活で遅くまで自主練している達川くんが昼休みにつっぷして眠っているところに、知らないストールが掛けられていたり。
休みの日の自主練にとお弁当を持っていったら、既に可愛らしいお弁当を食べていたり。
極めつけは、休みの日に、知らない女の子と楽しそうに二人で歩いていたとか。
「達川くん、浮気するようなタイプじゃないと思うんだけどな。見間違いとか、勘違いとかじゃ」
私の言葉に、南さんは黙ったまま首を横に振る。
「じゃ、私達川くんと同じクラスだし、とりあえず様子見てみるってことで、いいかな」
「ありがとう、春原さん!」
縋りつくように手を握って来る南さんを落ち着かせてから、私は一旦教室に戻った。
そこにはまだみんな居て、楽しそうに喋っている。
良かった、横山さんも楽しそう。
安心しながら、私は達川くんの姿を探してみた。
と、机に突っ伏して眠っている達川くんを見つけた。
その時、私は気づいた。
達川くんの肩には、綺麗なストールが掛けられていることに。
その後数日間、それとなく達川くんを見ていたけれども、特に達川くんにあやしい行動は見られなかった。
それでも、南さんが言っていたとおり、寝ている達川くんの肩にストールが掛けられているのははっきりと見た。
あれって、誰が掛けたんだろう?
きっと、うちのクラスの誰かだよね?
わざわざ他のクラスの人が来たら、ちょっとざわつくだろうし。
さっぱり何の考えも浮かばなかった私は、達川くんの親友である月海くんに探りを入れてみることにした。
「ねぇねぇ、月海くん」
「ん? なに?」
月海くん。
月海 久志。
月海くんと達川くんは、小学校の時からずっと仲良しみたいで、今もしょっちゅう一緒にいる。
ただ、部活は一緒じゃなくて、達川くんがサッカー部、月海くんは帰宅部。
スポーツバリバリな感じの達川くんと、華奢で小柄な月海くんは、ものすごく対照的な感じ。
凸凹コンビって、みんなからは言われていた。
「あのね、達川くんに彼女がいること、知ってる?」
「うん。南さんだよね」
さすが親友。南さんの事は当然のように知っていた。
「達川くんてさ、他に仲いい女の子とか、いたりするのかな?」
「ん? 春原さん以外に?」
「えっ? 私っ⁉」
キョトンとした顔で月海くんがとんでもない事を言うから、私は思わず慌ててしまった。
「いや、違くて、そう言う意味じゃ……」
「ふふっ、篤の浮気を疑ってるの?」
目を細めて笑いながら、月海くんは完全に私を揶揄っている感じ。
返答に困っていると、月海くんは軽い感じで言った。
「心配無いと思うけど? 少なくとも僕は知らない。明日、篤と一緒に駅前に買い物行くから、それとなく聞いてみようか?」
「う、うん。お願い、します」
「うん」
月海くんにはお願いしたものの、親友すら知らないって言うんじゃ、もう私の手には負えないんじゃ……
そう思ってチラッと板倉くんの姿を確認すると、放課後だしもう帰っていると思いきや、板倉くんは自分の席でボーっと周りを眺めている。
今がチャンスかもしれない。
そう思った私は、素早く板倉くんの所へ行くと声を掛けた。
「ねぇ、板倉くん」
「断る」
びっくりするくらいの早さで、まだ何も話していないのに拒絶された。
せめて話くらい聞いてくれればいいのに。断る理由だって聞きたい。
だから私はめげずに、板倉くんの前の席に陣取って話しかける。
「話くらい聞いて」
「浮気疑惑の話だろ」
「えっ」
「人の恋路に首つっこむ趣味はない」
「でも」
「お前もあんまりお節介焼くな」
『けんもほろろ』とはこのことだろうかと、私は恨みがましく板倉くんを見た。
板倉くんは私と目を合わせる事もなく、まだボーッと周りを眺めている。
「だって、南さん、困ってるのに」
「本人同士の問題だろう?」
いくら食い下がっても、板倉くんはまるで興味が無さそうな様子。
でも、ちょっとおかしいかも。
ここまで興味が無いって事は、もしかしたら……
「ねぇ、本当はもう何かに気づいてるんじゃないの⁉ ずるいずるい、私にも教えてよ! 相談されたの、私なんだよ⁉ ねぇ、板倉くんったら!」
「あぁもぅうるせぇな……」
私のしつこさに根負けしたのか、板倉くんは顔を顰めてようやく私を見た。
そして、
「明日、駅前10時な」
それだけ言うと、鞄を持ってさっさと帰ってしまった。
「……は?」
取り残された私の呆けた声に反応する人は、誰も居なかった。
「望、こっちだ」
「あっ、板倉くん、おは」
「行くぞ」
翌日10時。
駅前に行くと既に板倉くんは到着していて、挨拶もそこそこに私の腕を掴んで歩き始める。
「えっ、ちょっと、どこ行くの」
「いいから着いてこい」
板倉くんは、キャップを目深に被っていた。まるで顔を隠しているみたいにして。
なんかこれって、探偵みたいじゃない? 誰かを尾行している、みたいな?
板倉くんに腕を掴まれたまま歩きながら、私はちょっとドキドキしてた。
でも、誰の尾行?
昨日の話からすると、達川くんだけど……あ、確か月海くんが、達川くんと一緒に駅前で買い物するって言ってたっけ。
ってことは……?
「わっ! んぐっ」
「でかい声出すなっ」
突然板倉くんが立ち止まるから、つんのめりそうになって声が出ちゃったのに、それを怒られておまけに口まで手で塞がれて。
「ん~っ! んんん~っ!」
必死で抗議しているのに、板倉くんはガン無視して通りの向こうを見ている。
「ほら、あそこ」
「ん?」
板倉くんの視線を追った先に、私は達川くんを見つけた。
そしてその隣には、明らかに南さんではない女の子の姿が。
「んんっ!」
「だからでかい声出すなって」
「んっ! んんっ!」
いい加減口を塞いでいる手を離して欲しくて、板倉くんの腕をパシパシ叩くと、板倉くんはようやく手を離してくれた。
「あぁ、わりぃ」
「もぅっ! 窒息するっ!」
「それはない。鼻は塞いでないからな」
「そう意味じゃ……それより、達川くん。ほんとに、浮気してたんだねぇ……」
私は心から、だいぶ残念な気持ちだった。
私には何の実害も無いけれども、達川くんとは友達として仲良くしているしいい奴だと思っていたから。
でも、そんな私に板倉くんは言った。
「良く見ろ」
「えっ?」
「あれは浮気じゃない」
「でも……」
「良く見ろって」
言われて私は仕方なく、もう一度達川くんと隣の女の子の姿を見た。
人の浮気現場なんて、そんなにじっくり見たくないんだけど。板倉くんて、意外に悪趣味なのかな。良く見ろなんて……って、ん?
「あれっ⁉ んぐっ」
思わず大声をあげた私の口が、再び板倉くんの手に塞がれる。
「お前バカなのか。さっきでかい声出すなって言ったばかりだろ」
「んんん……」
言葉にはなっていないけど、とりあえず『ごめん』と謝って、口を塞がれたままの状態で達川くんたちを見る。
「な? 浮気じゃないだろ?」
「……ん」
板倉くんの言うとおり。
達川くんの隣にいたのは、学校では見たことの無い、可愛くお化粧して着飾った月海くんだった。
「なんだ、板倉は久志のこと知ってたのか」
結局その後、板倉くんが達川くんたちに声を掛けて、4人でお茶をすることになった。
「あぁ」
月海くんの姿を見ても何も変わらない板倉くんに、ふたりとも驚いていた。
「いつから?」
肩身が狭そうに、月海くんは俯いて、小さな声で板倉くんに尋ねる。
「いつかな。偶然見かけた。それだけだ」
「何も思わなかったのか?」
「何か思って欲しかったのか?」
「そうじゃない、けど」
月海くんが、板倉くんを見てとまどっている。
その姿は女の子そのもの。しかもメチャクチャ可愛い。
わかる、わかるよ。
私だって最初気づいた時、驚いたもん。だからって、特に何かが変わる訳じゃないけど。
板倉くんは反応が無さ過ぎるんだよね。だから逆にとまどっちゃうんだよね、月海くん。
「春原から篤のこと聞かれた時」
そう話し出した月海くんは、もう俯いていなかった。
板倉くんと私のこと、信用してくれたみたい。
「正直、終わった、って思った。僕、子供の頃からこういう格好するのが好きで、篤はそれを分かってくれる唯一の友達で。だからたまに一緒に出掛けてもらってたんだ。料理とかも好きだから、たまに篤の弁当差し入れしたり。多分、南さんは僕の存在に気づいたんだよね。あぁ、僕ってことは気づいていなくても、誰か他に女がいるって」
「え、そうなの?」
月海くんの言葉に、達川くんが素っ頓狂な声を上げる。
「だから最近、透子のやつ冷たかったのか」
「うん、そうだと思う。ごめん、篤」
「なんだよ、久志が謝る事ないだろ。俺がお前に透子の相談に乗って貰って、励まして貰ってたんだから」
なるほど、そういう事ね、と。
私は大きく息を吐いた。
さすが板倉くん、今回もあっという間に解決しちゃうなんてすごい。
なんて感心していたのだけど。
さて、私はこの事をどうやって南さんに説明すればいいのか……
「なぁ、久志。俺、お前のこと透子に話してもいいか?」
「えっ……それは……」
月海くんを真っすぐに見つめる達川くん。
だけど、逸らした目を泳がせてしまっている月海くん。
板倉くんは、そんなふたりをじっと見ているだけ。
「まずは透子の俺への疑いを晴らさなくちゃな。まったく、なんで俺が浮気なんか……なぁ、板倉、春原。もし透子が信じてくれなかったら、お前ら証言してくれるか?」
「……あぁ」
「うん、もちろん!」
「ほんとごめん、篤。迷惑かけて。僕もう、やめるから。こんな」
「久志は今のままでいいんだよ!」
項垂れた月海くんの肩を、達川くんが掴む。
「ダメだ、やめちゃ! だってお前、その格好している方が、学校にいる時なんかよりずっと生き生きしてるじゃないか!」
月海くんは、声を出さずに泣いていた。
「まさか、あんな展開になるとはねぇ……」
「どんな展開を想像してたんだ?」
「う~ん……修羅場的な?」
「ドラマの見過ぎ」
「そうかなぁ?」
達川くんと月海くんと別れた後、板倉くんは私を家まで送ると言って歩き出した。
別にまだ遅い時間じゃないから送ってくれなくてもいいんだけど、自分が呼び出したからには家まで送り届けると。
「意外と真面目で意外と頑固、なのかな」
「何の話だ?」
「板倉くんの話」
「は?」
何かが引っかかったのか、板倉くんの顔が不機嫌そうに顰められる。
私は慌てて話題を変えた。
「でも、びっくりするくらい当たり前に受け入れてたよね」
「何のことだ?」
「月海くんのこと」
「そうか? お前だって同じようなもんだろ」
あの後。
私は月海くんに、今度一緒に買い物に付き合って欲しいとお願いしたのだ。
月海くんのセンスは滅茶苦茶いいって思ったし、お化粧の事だって教えてもらいたい。
そしてできれば、お弁当も食べてみたいって、お願いしておいた。
お料理が好きなら、月海くんが作るお弁当はきっと美味しいんだろうなって思って。
私とふたりが照れ臭いなら、板倉くんも一緒に!
って言ったら、板倉くんにはすごい目で睨まれたけど。
気にしない、気にしない。
だって、板倉くんだから。
そんな目で睨んだって、結局は来てくれるだろうし。
「ねぇ、板倉くん」
家の近くまで来て、ふと私は板倉くんに聞いてみた。
「今回の犯人て、何になるのかな」
「【ゆうじょう】」
「ゆうじょう?」
「あぁ。友情、だろうな」
「なるほど……」
確かに。
今回は、達川くんと月海くんの友情が、事態をややこしくさせてしまった犯人だ。
達川くんは月海くんの事を思って、月海くんの秘密を誰にも言わずに黙っていたし、月海くんは達川くんを思って、お弁当の差し入れをしたり、寝ている達川くんにストールを掛けてあげたりしただけなんだもんね。恋の悩みの相談にまで乗ってあげたりして。
「それにしても、めんどくせぇな、【ゆうじょう】ってやつは」
「えっ?」
「暑苦しいし、重たいし」
「でも、それだけじゃないよね?」
ちょうど、私の家の前に到着し、板倉くんは立ち止まる。
そして何故か私の顔をじっと見ると……
「……だな」
ニヤッと笑って、また歩き出した。
私を置いて。
「じゃあな」
振り返らずに、板倉くんは背中を向けたままで手を上げ、その手をヒラヒラと振る。
もしかしかして板倉くん、私との間に友情を感じてくれてたりして⁉
……なんちゃって。
なんだか擽ったいような気持ちで、私は遠ざかる板倉くんの背中を見送っていた。
【終】
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