第4話 こいごころ

「じゃあねー、気を付けて帰ってね、京弥きょうやくん!」

「うん! バイバイ、またね、のぞみさん!」


 学校からの帰り道。

 T字路近くで私は京弥くんと少しだけ立ち話をして、京弥くんを見送ってから自分の家へと向かった。

 奥野京弥おくのきょうやくんは、近所の小学校に通う、小学校5年生。

 私が落としてしまった、ピンク色のキラキラしたリボン型チャームを拾ってくれた男の子だ。

 ……その後、私がストーカー扱いしてしまった子でもあるのだけど。

 同じクラスの板倉くんがこのストーカー事件を解決してくれてから、私は京弥くんとたまにお話をするようになった。

 拾ったチャームを、ストーカーに間違われながらも一生懸命私に届けてくれようとするくらいに、優しいいい子だ。


「いたっ」


 足に鋭い痛みを感じて、私は立ち止まった。

 見れば、膝に薄っすらと切り傷が出来ていた。

 直前に何か当たったような気がして周りを見ると、小さな石がコロコロと転がっている。

 最近、小石がよく体に当たるような気がしていた。

 制服の上や鞄の上から当たるくらいだったから、今まであまり気にもしていなかったけれど、今回はちょっと当たり所が悪ったみたいで、切り傷から血が滲み始めた。


「なんだろう……誰か石蹴りしながら歩いてる……?」


 後ろを見てみても、石を蹴りながら歩いているような人は見当たらない。

 ただ、何故か分からないけれど、私をチラっと睨んで走り去って行く女の子の姿は、何度か見かけた。

 でも私は、その子の事は全然知らないし、睨まれる理由も思い当たらない。


「明日、板倉いたくらくんに相談してみようかな」


 うん、と小さく頷いて、私はそのまま家に帰った。



 同じクラスの板倉いたくらくん。

 板倉いたくら まなぶ

 いつもひとりでぼんやりとみんなを眺めているか、そうでなければ黙々と本を読んでいる。

 一言で言えば、『何を考えているかわからない奴』。

 それが、板倉くんだった。

 こう言うと、クラスの中では浮いていて存在感が薄そうな感じがするだろうけど、実際は真逆。

 彼は度々、クラスメイトから困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決している、密かな人気者。

 実はファンも多いらしい。

『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。

 それは。

 彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。

 私にはそのオーラとやらは良く分からないけれど、確かに取っつきにくいことは取っつきにくい。ただ、彼は本当は優しいということも知っている。

 そう。

 何を隠そうこの私も、あのストーカー事件以来、彼のファンの一人になっていたのだ。




「ねぇ板倉くん」


 翌朝。

 教室に着いた私は、自分の席に座ると、隣の席で頬杖をつきながら、ぼんやりと周りを眺めている板倉くんに声をかけた。

 今日は本を読んでいないから、すぐ話を聞いてくれるかと思いきや


「後にしてくれ」


 と、私の方を見もしない板倉くんの返事は、相変わらずそっけない。

 でも、私もそこは馴れたもので、


「後っていつ?」


 と聞いてみる。

 すると板倉くんは面倒くさそうな感じを隠そうともしないで大きな溜息を吐き、ようやく私を見ると


「一刻一秒を争うことなのか?」


 と聞いてきた。


 一刻一秒って……そこまででは、無いんだけど……


 答えに詰まっていると、板倉くんの視線が一瞬だけ下に下がった気がした。


「じゃ、放課後な」


 そう言うと、板倉くんはまた、頬杖をついてぼんやりと教室の中を眺め始める。


「……うん」


 ほんと分かんないなぁ、この人。でも……


 板倉くんが話を聞いてくれる。

 それだけで私はなんとなく、胸の中のモヤモヤが少し晴れたような気がしていた。



「で? なんだ? その膝の怪我と関係あるのか?」


 放課後になると珍しく、板倉くんの方から私に話しかけてきた。なんだか若干、前のめりになっている感じすらする。


「え? あ、うん。そう、なんだけどね」


 そんな板倉くんにとまどいながらも、私は最近の状況を説明した。

 最近、小石がよく体に当たるような気がすると。


「カラスとかの鳥がね、悪戯して上から落としているのかなって思ってたん」

「バカなのか。そんなにしょっちゅう、鳥が上から石を落とす訳ないだろ。それも、お前だけを狙って。それともなにか? お前はカラスの恨みを買うような事をした覚えでもあるのか?」


 板倉くんは呆れた顔で容赦無い言葉を返してくる。

 このぶっきらぼうな所がきっと、『人を寄せ付けないオーラを醸し出している』とか言われちゃう理由なんだろうな、なんて思いながらも、私もめげずに言い返す。


「カラス苛めたりなんてしないわよっ! だから分からないから板倉くんに相談してるんじゃないっ!」

「……だろうな」


 私のキツい言い方なんて気にもしていないようにしれっと言うと、板倉くんは続けて言った。


「ちなみに、人間の恨みを買うような事をした覚えは?」


 チラリと、私を睨む女の子の姿が思い浮かびはしたけれど、全然知らない子だし、恨みを買うような事をした覚えもない。


「それも、無いけど……」

「そうか」


 小さく呟くと、板倉くんは立ち上がって鞄を手に持った。

 そしてそのまま出口に向かって歩き始める。


「ちょっ、えっ?」


 思わず板倉くんの制服の裾をとっさに掴む。


「っと……なんだよ? 帰るぞ」


 一瞬仰け反りながらも体勢を整えた板倉くんは、私の手をパシッと払いのけた。


「まだ話が途中なんだけど⁉」

「大丈夫だ。早くしないとアイツがいなくなる。ほら、急げ」

「えっ? アイツって? ちょっと」

「いいから急げって、望」


 私の鞄まで持つと、板倉くんはそのままスタスタと昇降口に向かって歩いて行ってしまった。


「なんなのよっ、もぅっ!」


 私は慌てて、板倉くんの後を追いかけた。



「俺は少し後ろを歩くから、お前はいつも通りで。絶対後ろは振り向くなよ」


 そう言って、板倉くんは鞄を私に返すと、先に私を歩かせた。

 後ろに板倉くんが居てくれる、と思うと、少しだけ安心できる。

 板倉くんに言われたとおり、いつも通りに帰り道を歩いていると、T字路近くに京弥くんの姿が見えた。


「望さん!」


 私の姿を見つけると、京弥くんは私に向かって大きく手を振ってくれる。


「どうしたの、京弥くん。今日はちょっと遅いんじゃない?」

「うん、クラブ活動があったから。それに、もしかしたらもうすぐ望さんがここ通るんじゃないかって」

「待っててくれたの?」

「少しだけね」


 照れたように笑う京弥くんは、なんとも可愛らしい。


「あっ、望さん、またチャームが取れかかってるよ?」

「えっ? あっ、ほんとだ!」

「もう、これじゃあまた落としちゃうよ?」


 そう言いながら、京弥くんは取れかかったチャームを鞄にしっかりと付け直してくれる。

 本当に優しいいい子だ、京弥くんは。


「ありがとう、京弥くん」


 私がそうお礼を言った時だった。


「伏せろっ!」


 聞こえて来た板倉くんの鋭い声に、私はとっさに京弥くんを庇いつつその場にしゃがみこむ。


 なに? 何が起こったの⁉


 怖くてその場から立ち上がれない私に、足音が近づいて来て……


「もう大丈夫だ」


 言葉と共に、私は腕を掴んで立ち上がらされた。私を立ち上がらせてくれたのは、板倉くん。

 その板倉くんのもう片方の手は、女の子の腕を掴んでいた。

 おそらく、京弥くんと同じ年頃くらいの。

 そしてその子は、私が何度か見かけた、私の事を睨んでくる女の子だった。


「これは、犯罪だ。傷害未遂だな。いや、実際に傷も付けてるから傷害罪か。どうする? こいつこのまま警察に突き出すか? 直前までの動画も撮ってあるが」


 スッと、女の子の顔から表情が消えた。

 怯えているような表情。今にも泣きだしそうな。

 だけど、唇だけは、固く噛みしめている。


「あれ? 美咲? 何やってるの? 先に帰ったんじゃなかったの?」


 私の隣で立ち上がった京弥くんが、女の子の姿を見ると目を丸くした。


「知ってる子?」


 私の質問に、京弥くんは満面の笑みを浮かべて頷く。


「うん。僕の彼女。町田美咲まちだみさき

「かっ……彼女⁉」


 イマドキの小学生って……もう彼女とか彼氏とか普通にいるの~っ⁉ 私だってまだいないのにーっ!!


 驚愕する私に気づいているのかいないのか、美咲ちゃんの腕を掴んだままの板倉くんに、京弥くんが抗議の声を上げる。


「っていうか板倉くん、なんで美咲の腕掴んでるの? 早く離してあげてよ」

「そうしてやりたいところだけど、ちょっと問題があってな。な?」


 板倉くんに顔を覗き込まれた美咲ちゃんは、プイッと顔を背ける。


「あー、そういう態度? いけねぇなぁ。お前ほんとに警察突き出すぞ?」

「だってっ!」


 目に涙を溜めながら、美咲ちゃんは私をキッと睨みつける。


 えっ? 私なにか、した⁉


 ドキッとする私に、美咲ちゃんは言った。


「私の京弥に、いつもちょっかい出すんだもん、あの人! だから、やめてほしくて、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、京弥と話すと怖い事が起こるって怖がればいいって思っただけだもん!」

「つまり、本気で傷つけるつもりはなかったと」

「無いよそんなの!」

「でも、実際に当たって傷ついたんだよ、あいつ」

「えっ……」

「どうすんだ?」


 美咲ちゃんと板倉くんのやりとりを、私はどこかぼんやりした頭で聞いていた。

 まさか、私が京弥くんとお話していた事で、美咲ちゃんを傷つけていたなんて。

 恨みを、買っていたなんて。


「美咲! 僕も一緒に謝るから、ちゃんと望さんに謝ろう?」


 京弥くんが、板倉くんに掴まれていない方の美咲ちゃんの手を、両手でそっと包み込む。


「ごめんね、美咲。僕、美咲がそんな風に思ってるなんて、全然知らなかったんだ。望さんは素敵なお姉さんで憧れの人だけど、僕が好きなのは美咲だけだよ」

「うん……ありがとう、京弥。私、ちゃんと謝る」


 ウルウルとした瞳で、美咲ちゃんが京弥くんを見つめる。


 えーと、なんだろうこのラブシーン。

 眩しいっ!

 眩し過ぎて直視できないっ!

 私は一体、何を見せられているのっ⁉


 いつの間にか板倉くんは美咲ちゃんを解放していたらしく、しっかりと手を繋いだ京弥くんと美咲ちゃんが、私の目の前にならんで、二人そろって頭を下げた。


「「望さん、本当にごめんなさい!」」




「『素敵なお姉さんで憧れの人』だってさー」

「ちょっと、やめてよ恥ずかしい……」

「とかいって、ほんとは嬉しいんじゃねぇの?」

「ま、まぁそれは少しは、ね?」

「へ~」


 十字路で京弥くんと美咲ちゃんと別れた後、念の為と言って、板倉くんは私を家まで送ってくれている。


「『素敵なお姉さんで憧れの人』ねぇ」

「だからもうやめてってば!」


 ニヤニヤと笑いながら何回も繰り返す板倉くんに、私の顔はずっと熱を持ちっぱなしだ。


「今回の犯人は、【しっと】ってことになるのかな?」


 なんとか話題を変えようと、そう言ってみたところ、板倉くんは小さく首を横に振って溜息を吐いた。


「いや、【こいごころ】だ」

「え? でも美咲ちゃんは」

「小学生に『嫉妬』なんて汚い感情で振り回されて欲しくはない。まだ早すぎるだろ?」

「確かに」

「これから大人になれば、嫌でも色んな汚い感情に振り回される事になるんだろうからな。せめて小学生のガキの間くらいは……」


 これが、板倉くんの優しさ。

 胸がキュンとしてしまう。


「で? 大丈夫なのか、膝は」

「え? うん、大丈夫、だけど」

「これ、貼ってやろうか?」


 と言いながら板倉くんがポケットから取り出したのは、可愛いキャラクターがプリントされた絆創膏。


「えっ⁉」

「さっき捕まえたガキが、『これ、望みさんに貼ってあげて』って帰りがけに俺に渡してきたんだよ」


 思わず、板倉くんが私の膝に絆創膏を貼ってくれている姿を想像してしまって、ようやく熱が引いてきた顔が再び熱を帯び始める。


「いや、いいから! たいした傷じゃないし、全然大丈夫!」

「そうか? 遠慮しなくても」

「全然大丈夫!」

「でもせっかくだし」

「は?」

「俺が持っててもアレだから」

「えっ?」

「ちょっと止まれ」

「わっ!」


 家まで急いで帰ろうとしていた私の制服の裾が、がっちりと掴まれて、歩みが止まる。

 さっと私の前に回り込んでその場にひざまずいた板倉くんは、馴れた手つきで絆創膏を私の膝の傷の上に貼ってくれた。


「これでよし、と」


 何事も無かったかのように立ち上がると、板倉くんはそのままくるりと向きを変えて、私の前を歩き出す。

 暫く動けずに立ち尽くす私に気づくと、板倉くんは不思議そうな顔で私を見た。


「何してんだ? 帰るぞ、望」


 その時、私は気づいた。

 きっと板倉くんは、怪我をした弟くんの傷の手当を良くしてあげているのだろう。

 だから、私の膝に絆創膏を貼る事なんて、弟の傷の手当をしているようなものなのだ。


 なんか、私ばっかり意識しちゃって、バカみたい……。


 ちょっと安心したような、悔しいような、複雑な気持ちを抱えて、私はようやく歩き出した。


「ありがと、板倉くん」

「なにが?」

「色々」

「ん?」


 多分、板倉くんはいつだって、なんていう事のない当たり前の事をしているだけ。

 それが、困っている人を助ける事になっているだけのこと。

 だから彼は、人気者なんだろう。

『密かな』という形容詞が付いてしまうくらい、ぶっきらぼうで取っつきにくい人ではあるけれど。


「それにしても、めんどくせぇな、【こいごころ】ってやつは」

「えっ?」

「上っ面だけじゃ成立しねぇし、かと言って深みに嵌ると抜け出せねぇし、一方的なものになると犯罪にも発展しかねないからな」

「うん」

「響きだけなら綺麗だけど、綺麗なだけじゃ、無いんだよなぁ……」


 板倉くんは、恋をしているのかな。

 しているなら、どんな恋をしているんだろう?


 隣を歩く板倉くんの横顔をチラリと盗み見ながら、私はそんな事を考えていた。


【終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る