第3話 かんちがい
「あっ」
思わず声が出てしまった。
席替えで隣になった人の顔を見て。
「あぁ」
特に興味もなさそうな顔でそう言ってチラリと私を見たのは、板倉くん。
そう、あの板倉くんだった。
さっそくみんなの位置関係を頭に入れようとしているのか、周りをゆっくりと見回している。そんな板倉くんの動作をなんとなくずっと眺めてしまっていた私は、再度私の席まで視線を移動した板倉くんとまた目が合ってしまった。
「なに?」
「いやっ、別に」
好きとかそういうんじゃないのだけど、少しドキドキしてしまうシチュエーションではある。
彼は度々、クラスメイトから困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決している、密かな人気者。
実はファンも多いらしい。
『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。
それは。
彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。
私にはそのオーラとやらは良く分からないけれど、確かに取っつきにくいことは取っつきにくい。ただ、彼は本当は優しいということも知っている。
そう。
何を隠そうこの私も、あのストーカー事件以来、彼のファンの一人になっていたのだ。
きっと今、私の顔赤くなってるんだろうな。
なんて思いながら、私は次の授業の準備を始めた。
その日のお昼休み。
ずっと使い続けてチビ消しになっていた消しゴムに見切りをつけた私は、新しい消しゴムの封を切り、お気に入りの緑の油性ペンで自分のお気に入りのマークを描き込んでいた。
よくある量販型の消しゴムだし、何故か分からないけれども私はよく消しゴムを失くしてしまう。その対策として、消しゴムにはお気に入りの緑の油性ペンでお気に入りのマークを描き込むことにしている。
これなら、友達の消しゴムと間違える事もないし、落としてもマークに気づいて拾った友達が私に返してくれるから、安心だ。
「よしっ、と」
ちょうどマークを描き終え、消しゴムカバーを元に戻した時だった。
「
すぐ後ろの席になった横山さんが、そう声をかけて来た。
見れば、制服のブレザーのボタンが一つ、取れ掛かっている。
「やだぁ、もぅ……ありがと、教えてくれて」
あわててソーイングセットを取り出し、私は制服のボタンを縫い付け始めた。
そして、ふと気になって板倉くんに聞いてみた。
「そーいや『ボタン』ってどんな漢字だっけ? ねぇ板倉くん、知ってる?」
「あぁ」
もちろん、という口調で、本から顔も上げずに板倉くんは答える。
「ねぇ、どんな漢字?」
「自分で調べろ」
板倉くんの態度は、あくまでそっけない。
けれどもめげずに、私は板倉くんに話しかける。
「あー、ほんとは知らないんでしょ?」
すると、やっと本から顔を上げた板倉くんが、めんどくさそうな顔を隠そうともしないで、私を見た。
「どっちの『ボタン』だ?」
「は?」
「花の方か? 服の方か?」
「服の方、だけど。花の方も知ってるの?」
板倉くんはそれには答えず、ため息を吐きながら手近な紙にシャーペンでサラサラと書き始めた。
そして、書き終わったものをズイッと私の方へ押し出して見せてくれる。
「こっちが花の『牡丹』。こっちが服の『釦』だ」
「へ~……すごい、ちゃんと知ってたんだね」
「当たり前だ」
私は心の底から素直に感心していたのだけど、ふとその書かれた紙が気になった。
「ねぇ、これって明日提出のプリントじゃない?」
「えっ? あっ、いけねっ!」
慌ててペンケースの中から消しゴムを探し始める板倉くんに、私はさっきおろしたばかりの新品の消しゴムを渡した。
「はい、これで消して」
「お、さんきゅ」
せっかく書いてくれた『牡丹』と『釦』が、板倉くんの手によって綺麗に消されてしまうのを残念に思いながら見ていると、私はふと視線を感じた。
見れば、少し離れたところに立っていた、同じクラスの有賀さんが、ちょうど私から視線を逸らしたところだった。
翌日の休み時間。
板倉くんとは同じ小学校で、小学校の頃から板倉くんのファンだったらしい、との噂。
板倉くんて、いったいどんな小学生だったんだろう?
なんて思う私の耳は、当然ダンボになっていた。
ダンボになんてならなくても、隣の席だから嫌でも会話は耳に入って来てしまうのだけれど。
「ねー、板倉」
「なんだ?」
コッソリと板倉くんを見て見れば、やっぱり顔から本を上げもしないで答えている。
よく考えたら結構失礼な態度だと思うんだけど、板倉くんだとなんか許せちゃうんだよねぇ、不思議。
「『バラ』って、漢字書ける? お花の『バラ』」
「あぁ」
「じゃあ、『ユウウツ』は?」
「書ける」
「ねぇ、これに書いてみて?」
「後にしてくれ」
「今! お願い!」
溜息を吐きながら、板倉くんはやっと本から顔を上げた。
そして、差し出された紙にサラサラと漢字を書き始める。
「すごいね、板倉! こんな難しい漢字書けるなんて!」
「覚えれば誰でも書ける」
面倒そうにそう言うと、板倉くんは再び本へと顔を戻そうとしたのだけど、
「あっ! これ今日提出のプリントだった!」
の有賀さんの大声で、呆れ顔を有賀さんへと向ける。
「ね、これで消して!」
そう言って何故か有賀さんは、まだ一回も使っていなさそうな、綺麗な消しゴムを板倉くんへ差し出した。
「自分で消してくれ」
「今、ちょっと手首痛めてて……」
困り顔を浮かべて、申し訳なさそうな表情の有賀さんに、板倉くんは再度溜息を吐きながらも、差し出された消しゴムで書いたばかりの漢字を消し始める。
「ありがとう、板倉」
その様子を、有賀さんは嬉しそうに眺め、プリントを受け取ると帰って行った。
一方の板倉くんは、
「あいつ、何しに来たんだ?」
小さく呟くと、再度本へと目を落としていた。
その翌日。
授業中に書き間違いを消そうとした私は、ペンケースから消しゴムが無くなっていることに気づいた。
あ~、また失くしちゃった……まだ新品だったのに。戻ってくるといいけど。
そう思いながら、後ろを振り返って横山さんに助けを求めるも、
「横山さん、ごめん、消しゴム貸してくれる? なんか、どっかいっちゃって」
「それが、わたしも無くなっちゃって……」
どうやら横山さんも消しゴムを失くしてしまったらしい。
やっぱり、消しゴムってみんな失くしやすいものなんだよね。
なんて思いながらも、仕方が無いので私は隣の席の板倉くんに借りる事にした。
「ねぇ、板倉くん。消しゴム、ある?」
「あぁ、ほれ」
気軽に答えて放って寄越してくれたその消しゴムは、カバーよりも消しゴムが少し小さくなっていて消しづらくて、私はカバーを少しずらした。
すると、そこにはなぜか【望】と、私の名前が緑のペンで大きく書かれていた。
急に胸が、ドキン、と大きな音を立てて飛び跳ねる。
「ねぇっ」
「なんだよ?」
「なに、これ⁉」
思わず、その【望】と書かれた部分を板倉くんに見せると……
「やべ、弟の持ってきてた……」
小さく呟き、板倉くんは珍しく顔を赤くした。
「よく間違うんだよ俺、弟のもの持ってきちゃうんだ。それで、よく
板倉くんの弟は、
そして板倉くんは人の名前を覚えるのが苦手みたいで、私の名前も今回初めてちゃんと認識したという。
そう言えば、今までの板倉くんとの会話の中で、板倉くんがまともに誰かの名前を口にしているのは聞いた覚えが無い。名前を覚えるのが苦手っていうのは、どうやら本当のようだった。
私自身も、名前を呼ばれた事は、そう言えば一度も無い。
「お前の名前
「まぁ、いいけど。でも、ちゃんと名前覚えてなかったお詫びに、今回の消しゴム事件のこと、解決してよね」
「は? なんだよそれ? 名前覚えてなかったからって、俺がお前になんか迷惑かけたか?」
「かけてないけど、失礼だよ。それにどうせ板倉くんならもう、犯人分かってるんでしょ?」
「……まぁ、な」
私の消しゴムは結局、無くなった翌日にはちゃんと戻ってきていた。朝教室に来たら、机の上にポツンと置いてあったのだ。横山さんの消しゴムも同じだった。
「じゃあ、それを教えてよ」
「くだらないぞ?」
「なんでもいいから!」
「はぁ……」
放課後の教室。
消しゴム事件の真相を知るべく、私は渋る板倉くんを捕まえた。
朝、机の上に置いてあった消しゴムを見つけて大騒ぎしていた私と横山さんを横目で見ながら、ぼんやりと考え事をしている板倉くんにはもう、事件の全容が分かっているのではないかと思ったからだったけど、やはりビンゴ。
「かんちがい」
「えっ?」
「だから。犯人は【かんちがい】だ」
「……は?」
訳が分からずキョトンとする私に、板倉くんは再度盛大な溜息をついてから説明してくれた。
どうやら今回は、消しゴムを使った『恋のおまじない』が関わっている【かんちがい】が犯人とのこと。
その『恋のおまじない』とは、
・新品の消しゴムを用意する
・カバーを外して自分の名前を緑の油性ペンで書く
・再度カバーをして、一番最初に好きな人に使ってもらう
・その後、その消しゴムを自分一人で使い切る
ということらしい。
そうすることで、想い人との恋が叶うのだとか。
「で? 【かんちがい】って?」
「お前の新しい消しゴム、この間俺使っただろ? それを偶然見ていた奴がいてな」
「ああ、あの『ボタン』の時?」
「あぁ。それで、お前がこの『おまじない』をしているんだと勘違いしたらしい」
「……はっ?」
「まぁ、カバーを開けた時点で勘違いだったことには気づいたらしいけどな。お前が書いてたのは名前なんかじゃなくてただのマークだったし。だけど今度は俺が疑われたよ。なんで俺がお前の消しゴムを持って使ってるんだって。この『恋のおまじない』とやらには色々やり方があってな、中には相手の名前を書いて使い切る、というおまじないもあるらしい。俺に言わせれば、ばかばかしいにもほどがあるけど」
板倉くんの話を聞きながら、私の頭の中に浮かんだのはたった一人。
有賀さんだった。
確か有賀さんは、板倉くんに新品の消しゴムを使わせていたもの。
それに、小学校から板倉くんのファンだったらしいし。
……私も一応ファンだけど、そんな子供じみたおまじないなんか、さすがにしないけどな。
そんなことを思った時、板倉くんは言った。
「あいつ、最近お前と俺が急に仲良くなったと思って、焦ったんだって。別にそんなことないのになぁ? それに、俺とお前が急に仲良くなったからって、何を焦るっていうんだか。まったく訳がわからん。それにしても、ほんとにめんどくせぇな、【かんちがい】ってやつは」
本当に呆れた顔を浮かべて、板倉くんは首を振っていた。
板倉くんはよくみんなのことを見ているから、みんなの事には詳しいのかもしれないけど、もしかしたら自分へ向けられている感情には少し鈍いのかも?
「これでいいか? 望」
「うん……えっ⁉ いきなり名前呼びっ⁉」
突然名前で呼ばれて、私の心臓はドキンと跳ね上がった。けれども、板倉くんは「何か問題でも?」とでもいうような顔で首を傾げている。
「せっかく覚えた数少ない名前だからな。苗字よりよっぽど呼びやすい」
焦る私に全く構うことなく、板倉くんは満足そうな顔を浮かべて言った。
「さ、帰るぞ、望」
言い馴れている感のある言葉に、私はピンと来た。
「ねぇ、板倉くん」
「なんだ?」
「それ、弟くんにいつも言ってる言葉でしょ」
「……」
返って来たのは、無言の返事。
そして板倉くんは鞄を持ってさっさと歩き出す。
私も慌てて鞄を持って、板倉くんを追いかけた。
「ちょっと、待ちなさいよ板倉くんっ! 私を弟扱いするんじゃないっ!」
「してない、してない!」
そうは言いながらも、板倉くんの声は笑いを含んでいる。
私は嬉しいような悔しいような、そんな複雑で微妙な乙女心を自分の中に感じていた。
【終】
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