第2話 さみしさ
「どうしたの? 横山さん」
同じクラスの横山さん。
横山 加奈。
もともと大人しい子だったけど、最近気のせいか落ち込んでいるように見えて。
だから、どうしても気になって声をかけてみたら、なんだか大変なことになっているみたいだった。
「靴箱にね、こんなものが……」
そう言って横山さんが見せてくれたのは。
【死ね!】
と書かれたノートの切れ端。
「横山さん、これってっ⁉ いつからなのっ⁉」
驚く私に、暗く沈んだ顔をした横山さんは俯いて言った。
とても、小さな声で。
「……少し前、くらい」
「誰よ、こんなこと! ねぇみんな、ちょっと聞い」
「やめて」
仲良しの友達に教えようとした私の手が、びっくりするくらい強い力で掴まれる。
掴んでいたのは、横山さんの手。
「いいの、大丈夫だから」
「でも」
「お願い、あまり
横山さんはそう言って、少しだけ笑った。
「でも、ありがとう、
私自身も怖がりだから、今横山さんがどんなに怖い思いをしているかは、なんとなく分かるような気がした。
それなのに、何もできないなんて。
でも、本人が
私は悔しさに唇を噛みしめた。
弱々しい横山さんの笑顔が、胸に刺さるようだった。
うちのクラスは、いくつかのグループには分かれているけど、みんな割と仲がいい。
うちのクラスだけじゃない。
私の通っている中学は、全体的にみんな穏やかだ。
少なくとも、私はそう思っていた。
もちろん、ちょっとしたケンカくらいはあるとは思うけど、それくらいなんじゃないかな。
今まで『いじめ』の話なんて聞いたこともなかったし、もちろん見たことだってない。
だがら、私はものすごくショックだった。
身近にこんな嫌がらせを受けている人がいたなんて!
誰よ、いったい。
あんな陰湿な嫌がらせなんかするヤツはっ!
ムカムカと沸き起こる怒りを抱え、私は犯人が見つかるまでせめて横山さんの側にいようと心に決めた。
横山さんはひとりで居る事が多いから狙われてしまったのかもしれない。
だから、誰かが側にいれば、犯人も諦めるんじゃないかと。
なのに。
その翌朝。
「おはよー、横山さん」
昇降口の靴箱の前に立っていた横山さんの手には。
【消えろ!!】
そう書かれたメモ用紙が握りしめられていた。
「横山さん……」
哀しそうに笑う横山さんの肩にそっと手を乗せた時、私達のすぐ後ろを板倉くんが通りかかった。
「おはよ」
板倉くんこと板倉 学は、少し前に私のストーカー事件をあっという間に解決してくれた、ちょっと変わったクラスメイト。
いつもひとりでぼんやりとみんなを眺めているか、そうでなければ黙々と本を読んでいる。
一言で言えば、『何を考えているかわからない奴』。
だけど。
彼は度々、クラスメイトから困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決している、密かな人気者。
実はファンも多いらしい。
『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。
それは。
彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。
私にはそのオーラとやらは良く分からないけれど、確かに取っつきにくいことは取っつきにくい。ただ、彼は本当は優しいということも知っている。
そう。
何を隠そうこの私も、あのストーカー事件以来、彼のファンの一人になっていたのだ。
そして、私の事をどう思っているかはわからないけど、彼もあの事件以来、顔を合わせれば挨拶くらいはしてくれるようになってくれていた。
「板倉くん!」
私は思わず、そのまま通り過ぎようとする板倉くんの制服の裾を掴んだ。
「っ、と……なんだ? なんか用か?」
体を後ろに仰け反らせながらもその場に踏みとどまり、板倉くんは肩越しに振り返る。
意外と、運動神経いいのかも?
なんて失礼な事を、私は思った。
少しやせ型で、アクティブな印象なんて全く無いから、運動神経が良いようには見えなかったのだ。
だけど、板倉くんは不自然な体勢から器用に体勢を立て直し、私の方へと体を向けた。
そんな板倉くんに、私は急いで横山さんの手からメモ用紙を抜き取り、見えるように差し出した。
「ねぇお願い、板倉くん。横山さんのこと助けてあげて」
差し出したメモ用紙に視線を落としたあと。
「はぁ……」
ため息を吐くと、制服の裾を掴んでいる私の手をパシッと払いのけて、板倉くんは言った。
「とりあえず教室に行くぞ。遅刻はゴメンだ」
『とりあえず』
板倉くんはそう言った。
イヤとは、言わなかった。
それは、つまり。
「うん、ありがと! 横山さんも、行こ?」
私は嬉しさと安心感から、横山さんの腕を取り、板倉くんの後を追いかけるように歩き出した。
私に引っ張られるようにして、横山さんも歩き出す。
「大丈夫だよ、横山さん。板倉くんって取っつきにくそうに見えるけど、ああ見えて結構優しいし、いいヤツだから。きっとすぐ、犯人見つけてくれるよ!」
「……う、うん」
小さく頷きながらも、横山さんは不安そうな顔で板倉くんの背中を見ている。
わかる。
わかるよ、横山さん。
板倉くんてほんと取っつきにくい感じだから、ちょっと不安になるよね。
「大丈夫だって」
横山さんを安心させるように、私は組んでいる彼女の腕を優しくポンポンと叩いた。
それから数日。
横山さんの靴箱や机の中には、毎日のように
【クズ!】
【うざい!】
【どっか行け!】
などと書かれたノートの切れ端やメモ用紙が入れられ続けた。
校内にいる間、私はできるだけ横山さんの側にいるようにしていたけど、犯人らしき人なんて全く見当もつかない。
この間なんか移動教室の間に、横山さんの机に
【バカ! 消えろ!】
の文字が、黒いマジックで大きく書き殴られていた。
幸い水性のマジックだったから、すぐに消すことができたけど。
あの時は、横山さんがちょっと準備にもたついちゃってたから、教室を出たのは私と横山さんが一番最後だった。
忘れ物しちゃった横山さんがちょっと教室に戻った時にも、そんな言葉なんて書かれてなかったって言ってたし。
次の授業で提出する課題がまだちょっと残ってた私が、横山さんと一緒に真っ先に教室に戻ってきたら、机にはあの嫌がらせの文字が。
ってことは?
犯人は、このクラスの人じゃないって、ことだよね?
だって、授業中にはみんな別の教室にいた訳だし。抜け出した人なんて一人もいなかったし。
もしかして、他のクラスの人?
いや、これはもしや、違う学年、ってことだって、考えられるのでは⁉
なんて、私が日々頭を悩ませている中、板倉くんはと言えば。
特にいつもと変わった動きをしているようには見えない。
さすがの板倉くんも、今回ばかりはお手上げなのかなぁ?
そんなことを思い始めた日の帰り。
横山さんと一緒に昇降口で靴を履きかえていると、板倉くんがやってきた。
「俺も一緒に帰る」
そう言って、板倉くんも靴を履き替え始める。
極めていつも通りに、淡々と。
……もしかして、行き詰まってるから直接横山さんに話を聞きたいのかな?
それにしても、『一緒に帰っていいか?』じゃ、ないんだねぇ……マイペースというかなんというか。
「うん。いいよね、横山さん」
なんだか板倉くんのことが可笑しくなって、苦笑しながら横山さんを見ると。
「……うん」
小さく頷いた横山さんの顔は、なんだか強張っているように見えた。
私を真ん中にして、右隣に横山さん。
左隣に、板倉くん。
無言で黙々と歩く私たち。
ていうかさぁ、横山さんにお話聞きたいなら、なんで板倉くんは横山さんの隣に行かないのかな。
ま、板倉くんはちょっと変わってるから、この際彼のことは置いておくとして。
横山さん、やっぱり緊張しちゃってるのかな?
そっと、右隣の横山さんを見てみると、やっぱり少し強張った顔で俯いたまま。
まぁ……とっつきにくいからねぇ、板倉くん。
それでなくても横山さんは大人しいし、女子ともあんまりつるむタイプじゃないうえに、男子と話しているとこなんて見たこと無いから、緊張するのも無理ないよね。
よし。
ここは私が場を和ませないと。
沈黙に耐えかねた私が、そう思って口を開きかけた時。
「これで満足か?」
とても低くて小さな声が、私の耳に届いた。
それは間違いなく、板倉くんの声。
だけど。
板倉くんは、私の右隣を歩く横山さんを見ているわけでもなく、もちろん私を見ているわけでもなくて、真っ直ぐ前を向いたまま。
まるで、一言も喋ってないような感じ。
えっ? 空耳?
横山さんには、聞こえてないかな?
そう思って右隣の横山さんを見ると。
「あれっ? ……どうしたの、横山さん!」
私の右隣りを歩いていたはずの横山さんは少し後ろで立ち止まっていた。
今にも泣き出しそうな顔をして。
慌てて戻ると、板倉くんも後からゆっくり付いてくる。
「ねぇ、どうしたの? 横山さん……」
私の言葉にも、横山さんは硬い顔をして黙ったまま。
訳がわからず板倉くんに助けを求めると。
板倉くんは、びっくりするほど冷めた目をして横山さんを見ていた。
えっ……なに?
板倉くんまで、どうしたの⁉
状況が全くつかめずにオロオロするだけの私の耳に、板倉くんの信じられない言葉が飛び込んでくる。
「心配させて気を引いて一緒にいてもらって満足したか? 甘ったれんのもいい加減にしろ」
え?
どーゆーこと?
と聞く間もなく、横山さんの目から涙が溢れ出す。
「あとは自分でちゃんと説明しろよ」
そう言うと、板倉くんはそのままくるりと体を反転させ、私たちの方を振り返る事も無くさっさと帰ってしまった。
「ごめんね……ごめんなさい……」
泣きじゃくる横山さんと、何が何やら分からない私をその場に残して。
「ちょっと、板倉くんっ!」
「今はダメだ。帰りにしてくれ」
翌朝。
教室に着いてすぐ、私は板倉くんの席に直行したのだけど、本に夢中の彼にあっさり追い払われた。
仕方なく、モヤモヤを抱えたまま一日を過ごして、ようやく迎えた放課後。
今度こそ! と意気込んで板倉くんの席に向かった私を、彼はニヤリとして迎えてくれた。
そして私に、空いている隣の席に座るように促す。
「ちゃんと、聞けたか?」
「て言うか、いつから分かってたのよ?」
「え? 最初から、だけど?」
「最初……って?」
「お前があいつのこと助けてくれって言った時」
「……はぁっ⁉ じゃ、何で早く教えてくれなかったのよ⁉」
「それじゃ、意味無いんだよ」
そう言うと、板倉くんは笑みを消して、真っ直ぐに私を見て言った。
「騙した相手には、自分の口からきちんと話して謝る。それが、最低限の礼儀だろ? それに、俺から聞かされるより、お前も納得するだろうし、あいつだってちゃんと自分と向き合えるだろうからな」
この人、ほんとに私と同じ年?
まるで、先生みたいにそう言う板倉くんに、胸の奥がキュンとする。
そう。
昨日私は、泣きじゃくって謝る横山さんから、全てを聞かせてもらったのだ。
全ては、彼女の狂言だったと。
毎日ひとりでいるのが、寂しくて。
誰かと、一緒にいたくて。
だけど、自分からはなかなか声がかけられなくて。
たまたま私に声をかけられたことが嬉しくて、また声をかけて欲しくて、つい、騙し続けてしまったと。
少しだけ頭にきたけど。
だけど、私は泣いて謝る横山さんのことが嫌いになれなくて。
私だって、横山さんと一緒にいて、楽しいって思ったし。
だから。
「バカじゃないの? 今度そんなことしたら、もう一緒になんていてあげないからねっ!」
って、怒ってやったんだ。
「なんで分かったの?」
「あいつ、いつもなんか寂しそうだったからな。楽しそうに盛り上がって話してるお前ら見てる時なんか、特に」
「そう、だったんだ。私、全然気づかなかった」
「やっかいなもんだよな、【さみしさ】ってやつも。気づいたとたんに膨れ上がってどうしようもなくなる。気づかなきゃ気づかないで、いくらでもやりすごせるんだけどな」
板倉くんは、なんでもないことのように、そんなことを言う。
よくみんなのことを見ている板倉くんだから、気づけたのかもしれない。
「お前が、俺にあいつのこと頼んできた日、な。俺、あいつのこと見かけてたんだよ。俺よりかなり前歩いてたから、俺が学校に着いた時にはもうとっくに教室にいたっていい時間だった。だけど、あいつはまだ、靴箱の前にいた。だから、お前が来るのを待ってたんだろうと思ったんだ。お前にあのメモを見せるために。それにあいつのノート、たまに不自然に端が千切れてるページがあったし。嫌がらせのメモには、ノートの切れ端もあっただろ? 机の文字にしたって、本気の嫌がらせなら、油性マジックで書くだろ? わざわざ水性のマジックで書いてやる優しさを持ってるヤツなら、ハナからそんな嫌がらせなんか、しないだろうしな」
……なんなの、この人⁉
私が横山さんにすっかり騙されて犯人探ししてる間に、着々と観察と分析をしてたなんて!
すごすぎる……
呆気にとられている私を残し、じゃあな、と言って帰ろうとする板倉くんの制服の裾をとっさに掴む。
「っと……なんだ? まだなにか」
「ねぇ、一緒に帰らない?」
「は?」
「これから横山さんと、パンケーキ食べに行くの。お詫びに奢ってくれるんだ。そだ。板倉くんには、お礼に私が奢るから。だから、一緒に行こ?」
言ってしまってから、自分でもびっくりした。
私、板倉くんのこと、自分から誘っちゃった⁉
でも、板倉くんも負けず劣らず驚いたみたいで、私のことをマジマジと見つめ……
「行くぞ」
パシッと私の手を払いのけると、早歩きで教室を出て行く。
えっ?
それってもしかして、OK、ってこと⁉
ひとり残された私は、相変わらずの分かりづらい板倉くんの行動にほんの少しだけ呆けていたけど。
すぐに慌てて板倉くんの後を追いかけたのだった。
もしかしたら、いつもひとりでいる板倉くんは、たまに【さみしさ】を感じる時があるのかもしれない。
だから、横山さんの【さみしさ】にも気づけたんだ、きっと。
これからはもっと頻繁に声、かけてみようかな。
帰りにまた、こうして一緒にパンケーキ食べに行ったりして。
【終】
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