犯人の名は

平 遊

第1話 やさしさ

 T字路で友達と別れて家へと向かう、学校からの帰り道。

 視線を感じてそっと後ろを振り返るも、そこにはあからさまに私を付けているような、不審者だと思われるような人の姿は無い。

 怖くなり、歩く速度を早めてみたものの、気配も同じ速度で私の後ろを追ってくるような気がする。

 最後には、息を切らして走って家の中へと駆け込む。


 最近、そんな毎日が続いていた。


「だからさ。なんか、怖くて」

「やだー、それストーカーじゃない⁉」


 何日か経ったある日、学校で仲の良い友達に打ち明けると、そんな事を言われた。


 ストーカー?

 ストーカーって、あの?

 しつこく付きまとうっていう、あれ?


「それ、親には言ったのか? なんなら、警察にも届けた方が」

「ううん、いいの。気のせいかもしれないし。それに、お母さんにはあんまり心配かけたくないから」


 私は春原 望すのはら のぞみ。中学2年。

 父は小学生の時に病気で亡くなっているから、母と二人暮らしだ。

 ひとりで頑張って私を育ててくれている母に、余計な心配はかけたくなかった。


 気のせい。そう、きっと気のせい。

 だって、私なんかにストーカーなんて。

 いやいや、そんな。

 可愛くもないし美人でもない、それにお金持ちでもない私に、ストーカーなんて。


 そんなの絶対にいる訳、ない。


「本当に大丈夫?」

「家まで送ろうか?」


 話を聞いて貰ったその日、帰り道のT字路で友達がそう声を掛けてくれたけど。


「大丈夫! まだ明るいし。みんな、ありがと」


 私は笑顔で友達と別れて家へと向かいかける。


「あれっ?」


 後ろから追いかけて来た声に立ち止まると、友達の一人が走って近づいて来た。


「ねぇ、バッグに付けてたあの可愛いチャーム、どうしたの?」

「あぁ、あれねぇ……」


 学校指定の地味なバッグに付けていた、ピンク色のキラキラしたリボン型チャーム。

 今、私のバッグにそれは付いていない。


「どこかで落としちゃったみたいなんだよね……探したけど見つからなくて。気に入ってたんだけど」


 本当に気に入っていた、可愛いチャーム。

 どこに落としてしまったんだろうか。


 気落ちした私を励ますように、友達が明るい声で言う。


「そっかぁ、残念だね。あれ可愛かったもんね。じゃ、さ。今度一緒に買いに行こうよ」

「えっ?」

「なんなら今度は、おソロにしない? あたしもあれ、可愛くていいなぁって思ってたんだ」

「うんっ!」


 ああ、有りがたい。

 やっぱり、持つべきものは優しい友達だよね。


 バイバイ、と手を振って友達と別れると、私はひとり、家への道を歩き出した。


 明るいから大丈夫。

 そう思っていた私の読みが甘かったのか。

 暫くすると、後ろにいつもの気配を感じた。

 なんだか、いつもより少し近くに感じられる。

 それに。

 気のせいか、気配の『数』が増えているような?


 もしかして、本当に、ストーカー……?

 いやいや、違うって。

 だってまだ、こんなに明るいし。

 それに、私だよ?

 ストーカーなんてそんなの、アリエナイ、アリエナイ。


『アリエナイ』を呪文のように呟きながら、歩くスピードを速めてみる。

 するとやはり、後ろの気配達も、同じようにスピードを上げて追いかけて来る。


 やだもう……怖いっ!


 結局いつものように、私は走って家の中に駆け込み、急いで鍵を掛けた。



「親に言いたくないんだったら、あいつに相談してみろよ」


 お母さんに言おうかどうか迷いつつもやっぱり言えなくて、怖くて眠れない夜が続き、顔色の悪い私を心配した友達の一人がそう教えてくれたのは、同じクラスの板倉くん。

 板倉 学。

 いつもひとりでぼんやりとみんなを眺めているか、そうでなければ黙々と本を読んでいる。

 一言で言えば、『何を考えているかわからない奴』。

 それが、板倉くんだった。

 こう言うと、クラスの中では浮いていて存在感が薄そうな感じがするだろうけど、実際は真逆。

 彼は度々、クラスメイトから困りごとを相談されては、抜群のアドバイスで困りごとを解決している、密かな人気者。

 実はファンも多いらしい。

『人気者』になぜ『密かな』という形容詞が付くのか。

 それは。

 彼が人を寄せ付けないオーラを醸し出しているから、だと言う。


「そう、だね」


 私自身は彼が醸し出していると言う『人を寄せ付けないオーラ』を感じた事は無かったけれど、今までそう『困りごと』なんか無かったし、彼と接する機会も無くてあまり話した記憶が無い。

 だから正直、そんな彼に『相談』をするのは、気が引けたのだけど。


「大丈夫だよ、あいつ最初は取っつきにくきかもしれないけど、イイ奴だから」

「そうだよ、あたしも結構いいアドバイス貰ったことあるし。あいつ、ほんと良く見てるんだよね、周りの事とか」


 小学校から板倉くんと一緒だったという友達のそんな言葉に背中を押され、彼に相談することを決めた。



「板倉くん、ちょっと、いいかな」


 放課後。

 いつものように自席で本を読んでいた板倉くんに声を掛けると、彼は本から顔も上げずにそっけない口調で言った。


「ちょっと待て。もうすぐ終わる」


 やっぱり、取っつきにくいな。


 そうは思ったものの、「ダメ」とは言われなかった事にホッとして、私は空いている隣の席に座り、板倉くんを待った。

 キリのいいところまで読んで終わらせてくれるのかと思いきや、板倉くんは黙々と本を読み進めている。

 文字を追う目とページをめくる手がの動きが少しも変わらない所、本の残りページが少なめな所をみると、どうやら最後まで読むつもりらしい。

 気づくと、教室の中には、板倉くんと私以外には誰もいなくなっていた。


 いやだな。

 暗くなってきたし。

 帰り、怖いな。


 もういい加減帰ろうか、と思い始めた頃。


「お待たせ。で、なんだ?」


 読んでいた本を閉じ、板倉くんがようやく私の顔を見る。


「あっ……えっと」


 板倉くんへ相談しようとする気が失せかけていた私は、急な彼の問いに答える事ができず、口ごもってしまう。

 口ごもってしまった理由は、それだけでは無かった。

 私を見る板倉くんの目が、あまりにも真っ直ぐで、真剣だったから。

 こんな、人気のない教室できりでいると、思わず勘違いしてしまいそうになるほどに。


「もしかして、ストーカーのことか?」

「えっ⁉」

「ちょっと前から、話してただろ」


 さすが板倉くん。

 ほんとに良く見てるんだな、周りの事。


 感心しながら小さく頷くと、板倉くんは本を鞄にしまって立ちあがる。


「じゃ、帰るぞ」

「……え?」

「少し遅くなったしな、送ってくよ。お前の家まで」

「……ええぇっ⁉」


 ちょっと待って。

 私、今日ほとんど初めてと言っていいほどなんだけど、板倉くんとお話したの。

 その彼に、家まで送ってもらうってっ⁉


 驚く私を不思議そうに見ながら、板倉くんは私を急かす。


「ほら、帰るぞ?」

「う、うん」


 戸惑いながらも急かされるままに、私も鞄を持ち、板倉くんの後を追うようにして教室を出た。



「ねぇ、ほんとに私の家まで送ってくれるの?」

「ああ」


 それがなにか? とでも言うように、板倉くんは私のすぐ隣を歩いている。

 板倉くんとお話したのもほぼ初めてなら、二人で並んで帰るなんて、初めてもいいところ。

 お互いの共通の話題も私にはもちろん分からなくて、黙ったまま歩いているうちに、いつものT字路に着いた。


「こっち、だな?」

「えっ?」


 迷うことなく、板倉くんは私の家がある方を見る。


「何で知ってるの?」

「偶に見かけるから、ここで他の奴らと別れてこっち歩いて行くの」

「……そか」


 一瞬ドキッとして。

 もしかして、ストーカーは板倉くんだったりして⁉

 なんて思ってしまった自分を、私は恥じた。

 そうだよね。

 板倉くんは、本当によく周りを見ているから。

 だから、知っているんだ、きっと。


 そんな私の一瞬の思いまで見透かしたように、板倉くんが小さく笑う。


「俺じゃないぞ」

「わ、分かってるよ、そんなのっ!」

「ふうん?」


 ニヤッとした板倉くんの悪戯っ子みたいな表情に、違う意味でドキッとした時。

 また、背後に気配を感じた。

 私の顔色が変わったのを見て、板倉くんはチラリと後ろを見る。

 そして。

 何故だか私の頭にポン、と手をのせ、言った。


「心配ない」

「えっ?」


 その、あまりに自信たっぷりな口調に、思わず手をのせられたままの頭を傾けてしまう。


「なんで?」

「まぁ……」


 これまた何故だか照れくさそうに頬などポリポリと掻きながら、板倉くんは言った。


「俺が、いるから?」

「なにそれ」

「なんだよ?」

「だって」


 少し不満そうに口を尖らせる板倉くんは、みんなが言うように本当に『人を寄せ付けないオーラ』なんて醸し出しているのかと疑ってしまうくらいに可愛らしくて。

 思わず噴き出した私の頭を、板倉くんはのせたままの手でクシャクシャと掻き回す。


「ちょっ、やめてよっ!」

「あ、すげー静電気」

「ぎゃあっ!髪の毛が痛むっ!」

「もう傷んでるぞ?」

「ウソっ⁉」

「ああ、嘘だ」


 そんなこんなで気付けば私の家はもうすぐ目の前。


「じゃあな」


 私が家の中に入るまで、板倉くんは私を見ていてくれた。

 久し振りだった。

 こんなにゆっくり家に帰ってこられたのは。

 こんなに楽しい帰り道は。


 その夜。

 私は久しぶりに、夢も見ずにぐっすりと眠ることができた。



「板倉くん、昨日はありがとう」


 翌日。

 朝一番で、私は板倉くんにお礼を言った。

 彼はやっぱり自席で本を読んでいて、顔も上げずに小さく頷いただけ。

 邪魔になっては悪いとその場を離れようとしたが、後ろに引かれる力に体が仰け反る。


「ぐっ……」

「ちょっと待て」


 見れば、本に目を落としたままの板倉くんの手が、私の制服の裾をガッチリと掴んでいた。


「なに?」

「待ってろ」


 まさか、その本を読み終わるまで、このまま私を待たせるつもりだろうか。


 チラリとそんな考えも頭をよぎったけど、既に教室にはクラスメイトも集まり始め、もう少し立てば担任の先生もやってくる時間。


 まさか、ね。


 ジリジリしながら待っていると、キリのいいところまで読み終えたのか、板倉くんがようやく本から顔を上げた。


「もう心配ないぞ」

「え?」

「ストーカーはもういない。……あー、いるかもしれないけど、害は無い」

「……は? どういうこと?」


 ちょうどその時、予鈴が校内に鳴り響く。

 構わず話を続けようとした私に、板倉くんは


「残念。続きはまた放課後な」


 と言ってニヤリと笑い、本をしまって前を向いてしまう。


 そんな~!

 嘘でしょ~っ⁉


 後ろ髪を引かれる思いで自分の席に戻った私は、チラチラと板倉くんの姿を盗み見ながら、その日一日を上の空で過ごすハメになった。

 そしてやっと迎えた、放課後。


「ねぇねぇ、板倉くんっ! 朝の話の続き」

「ちょっと待て」


 本から顔も上げない板倉くんからは、やはりそんな言葉が返って来る。

 取っつきにくさは、相変わらず。

 だけど、私は待つ気満々だった。

 たとえ彼が、まだ半分も読み終わっていない本を読み終わるまで待たされるとしても。

 だってこのままじゃ、気になって仕方ないものっ!


 空いている隣の席に座って、本を読んでいる彼の姿をぼんやりと眺める。

 真剣に文字を追う目。

 一定のリズムでページをめくる手。


 今まで全然気づかなかったけど、良く見るとなかなか絵になっている、かも……?


 なんて思っていると、急にパタリと本を閉じて、彼が顔を上げた。


「で?」


 体ごと私の方へと向きを変えて座りなおし、板倉くんが私を見る。


「何が聞きたい?」

「何って……全部よ、全部!」

「全部?」

「ストーカーはいるの? いないの? いても害はないって、どういうこと⁉」

「欲張りか」

「当然のことじゃない⁉ 私、ものすごく怖かったんだから……」

「お前、案外怖がりなんだな」

「なによ、悪い⁉」


 後ろからついて来る得体のしれない気配に怯えながら、家の中に駆け込む日々。

 思い出すだけでも、怖くて震えそうになる。


「そうだ、預かり物が……」


 そんな私のことなど構う様子もなく、板倉くんは自分の鞄の中に手を入れると、中から取り出したものを私に差し出した。

 それは。


「……なんでっ⁉ どこにあったのっ⁉」


 板倉くんが手にしていたものは、私が失くしてしまった、お気に入りのキラキラピンクのリボン型チャーム。


「これをお前に渡したくて、ずっとタイミングを窺ってたんだと」


 チャームを私の手の平の上に乗せながら、板倉くんは言った。


「昨日の帰りにな、お前が家の中に入った後、後ろにいたガキに声掛けたらそう言ったんだ。鞄から落ちたのを偶然見かけて、拾ってすぐ渡そうと思ったんだけど、お前が歩くのが早くて追いつけなかったらしい。そのうち、避けられているみたいな感じがして余計に渡しづらくなって、どうしていいか分からなくなってしまったんだと。少し前から、いつも同じガキがお前の後ろを歩いているとは思ってはいたんだが、こんな理由とはな」


 なんだ、そうだったんだ……


 よくよく思い出してみれば、確かに振り返った時に、いつも同じ男の子がいたような気がした。

 だけど、私は自分に向けられている得体の知れない視線が怖くて、でもまさかあの男の子の視線だなんて思いもしなくて。


 手の上のチャームを見ながら、私はなんだか申し訳ない気持ちになった。

 このチャームを拾ってくれたという男の子に。

 なんとかこれを私に返そうとしてくれていた子を、ストーカー扱いしてしまうなんて。


 でも、これで一件落着ね!


 と思いかけて、思いとどまる。


 いや、全然落着してないし。

 得体の知れない気配は、確か途中から数が増えていた気がする。

 ってことは。

 チャームを拾ってくれた子以外にも、ストーカーがいる可能性があるってことで。

 それに、板倉くん、おかしなこと言ってた。


 『ストーカーはもういない。……あー、いるかもしれないけど、害は無い』


 って!


「じゃ、確かに渡したからな」


 そう言って帰りかける板倉くんの制服の裾を、今朝のお返しとばかりにギュッと掴む。


「おっ……と。なんだよ、まだなにか」

「あるに決まってるでしょ!」

「なんだよ?」


 めんどくさそうな顔をする板倉くんに、私は言った。


「ストーカーがいるかもしれないけど害は無いって、どういうことなのっ⁉」

「……ああ」


 制服の裾を掴んでいる私の手をパシッと払いのけ、ニヤリと笑いながら板倉くんは窓の外を指さす。


「見てみろ」


 疑いながらも、板倉くんに言われるままに窓から下を覗き込むと。


「……あれ?」


 かなりの間隔を空けて散らばるように立っていたのは、もうとっくに帰ったと思っていた、仲の良い友達たち。


「な? あいつらなら、害は無いだろ?」


 いつの間にかすぐ隣に立って、同じように窓の外の彼らを見る板倉くんの目は、とても優しい目をしている。


「お前があんまりにも怖がってるからって、あいつら交代で、お前のこと見守ってたんだぞ」

「えっ……」

「……やっぱり気付いてなかったか」


 隣から聞こえる、呆れたような溜め息。

 でも、呆れられるのは仕方ないと思った。

 だって私、本当に全然気付いていなかったのだから。

 みんなの、優しさに。


「行って、教えてやれ。もう、ストーカーはいないって。心配ないって」


 その言葉に、教室から飛び出そうとして。

 私は、足を止めた。


 みんな、優しい。

 優しすぎる。

 だから、きっと……


 引き返して再び板倉くんの制服の裾をギュッと握りしめ、怪訝そうな顔をする彼に私は言った。


「ねぇ、一緒に行って」

「はっ?」

「だって、私が言ってもきっと、みんな私が遠慮してるだけだって思っちゃうと思うの。だから」


 仕方ねぇなぁ、と呟いて私の手をパシッと払うと、板倉くんは教室の出口に向かって歩き出す。


「ほら、とっとと行くぞ」

「……うん!」

「まったく、めんどくせぇ犯人だな、【やさしさ】ってヤツは」


 板倉くんと一緒に優しい友達たちの元に向かいながら、私は思っていた。


 確かにそうだね。

 今回のストーカー事件の犯人は、【やさしさ】。

 でも。

 その犯人を私に教えてくれたのも、【やさしさ】を持ったあなただよ、板倉くん。


「ありがとう」

「ん? なんか言ったか?」

「ううん、なんでもない」


 こうしてこの日私は間違いなく、板倉くんのファンの仲間入りを果たしたのだった。



【終】

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