第3話
◇
「お前、いくら持ってきた?」
「しらね。普通に財布ごと持ってきたし、結構あんじゃん?」
「んだよ、金持ちかよ。青木は?」
改札を抜けて西口の方に向かって歩いていると、突然トシキが僕に話を振ってきた。どうせ、僕ならたいしてお金もないと期待しているんだ。
「本当にちょっとだよ。1,000円とかそれくらいで……」
「ふうん。1,000円じゃたこ焼き一個か二個買って終わりじゃん」
僕の答えに満足したのか、トシキは声を上げて笑った。周りの男子たちもそれにつられて笑っている。
(こんななら、来るんじゃなかった……)
年に一度の地元の夏祭り。小学生の間はずっと家族と参加していたけど、中学生になって初めてのこの夏は、大人の付き添いがなくなった。グループに僕を誘ってくれたのは、クラスの中で唯一仲がいいスズキくんだったけど、その彼が当日になって来れなくなった。この場のみんなはクラスメイトだけど、なんだかすごくアウェーな空気だ。
(適当にタイミングを見て帰ろう。どうせ毎年来てるお祭りなんだし)
ポケットの中には、出かける前にお母さんからもらった1,000円札が2枚。せめて、これを使い切ってから帰ろう。このままこのお金を使わずに帰ったら、きっと悲しませることになる。
駅の構内を出ると、視界一面を埋め尽くすのは、人、ひと、ヒトだ。別に栄えている街じゃないはずなのに、こんなたくさんの人たちが普段はどこにいるんだろう。
駅の正面からは、ロータリーを起点にして大通りが伸びている。普段は車がビュンビュンと走っているその通りも、今は封鎖されて屋台が立ち並ぶ。そして、その間を大きな山車が何台も通るのがこの夏祭りだ。
見るもの聞こえるものすべてがお祭りで満たされている。そんな中、僕一人がこの空間の中で浮いているような気がした。
僕は、ポケットの中の二枚のお札をくしゃっと握った。
やっぱりもう帰ろう。お金は、素直に話してお母さんに返せばいいや。
「ごめん、やっぱり僕――」
トシキに向かって、そう言いかけた時だった。
「せっかくのお祭りなのに、なに暗い顔してんの?」
そう言って、僕に話しかけてくる声があった。
振り返ると、そこにいたのは奈津希さんだった。他のクラスメイトの女子も一緒だ。
「な、奈津希さ……」
僕が言葉を止めてしまったのは、急に声をかけられて驚いたからじゃない。
奈津希さんが着ているのは、深い紺色の浴衣だった。少し大人びた柄のその浴衣は奈津希さんによく似合っていて、僕は思わず見惚れてしまっていた。
奈津希さんたち女子の存在に気づいた男子たちは、みんないっせいに浮かれ騒ぎ始める。僕はあっという間に、クラスのその輪からはじき出されてしまった。
だけど、奈津希さんはすぐにそこから抜け出して、僕のもとまで歩いてきた。紺の浴衣が、今、目の前にあった。
「ねえ、似合ってるかな?」
「……うん」
照れる気持ちを抑えて小さくうなずくと、奈津希さんは「やった」といたずらっぽい笑顔を浮かべた。
その笑顔を目にした瞬間、僕の心臓は不安定な跳ね方をした。ど、ど、どくん。自分でも、どうしてしまったのかと心配になるくらいだ。
「ほら、いこ」
奈津希さんは僕の手を引いて歩き出す。二人だけで抜け出すなんて、なんだか悪いことをしているみたいで、緊張してきてしまう。だけどそれは、嫌な緊張ではなかった。
一つの大きな集団になったクラスメイトたちは、誰も僕たちを気にしない。
「年に一度のお祭りなんだから、ちゃんと楽しまなきゃ」
奈津希さんの言葉に、僕は自然とうなずいていた。さっきまであんなに帰りたかったはずなのに、気づけば胸が躍り始めていた。
◇
一人暮らしをしている都内の家から、実家までの距離はそう遠くない。
駅までの徒歩の時間も含めて、およそ2時間弱。最後に帰省をしたのは今年の元旦だから、半年以上ぶりに実家に向かうこの路線に揺られていた。
だけど、今日の目的は実家に帰ることじゃない。実家の最寄りから一つ隣の駅で開かれる、夏祭りに行くのが今回の目的だ。
やっと、電車は目的の駅に到着する。時刻は18時前で、ちょうどお祭りが盛り上がり始める頃合いだ。ドアが開いてホームに降りた瞬間、懐かしい音と空気が飛び込んできた。
雑踏の声、祭囃子、出店のソースの匂い。ここにあるものは、あの頃から何も変わらない。だけど、あの頃から変わってしまった自分を思い出して、そのことが余計に不安になってしまう。
まさか、この歳になってまたこの祭りに来ることになるなんて。
奈津希さんと久しぶりの再会をしたのが一昨日のこと。僕たちの夏を取り戻すことを決めた後、昔一緒に回ったこのお祭りに行こうと約束をした。
改札を抜けて、待ち合わせ場所に決めたショッピング施設の入り口に向かうと、先に着いていたのは奈津希さんだった。
「ごめん、お待たせ」
「全然、まだ時間前だし」
真っ先に意識がいったのは、奈津希さんの服装だ。一昨日の女性らしい格好とは変わって、今日は少しラフなスタイルになっていた。
黒のTシャツに、ベージュ色のスキニーなパンツ。確かに、夏らしい服装ではあるけど……。
奈津希さんは僕の考えていることに気づいたのか、いけないことを思いついた子供のような笑みを浮かべた。
「もしかして、浴衣に期待してた?」
「え、そういうわけじゃ……」
「あれ着るの、結構大変なんだよ? もうそこまで頑張れなくなっちゃって」
「そ、そうなんだ……」
「あ、別に相手が青木くんだから手を抜いたわけじゃなくてね」
別にそこを心配していたわけではないけど、自分もTシャツと短パンで来てしまった立場上、なにも文句は言えない。
「それより、早く行こう。急がないと屋台が逃げちゃうよ」
奈津希さんに先導されて、お祭りの会場になっている街の中を歩く。人混みの中をすり抜けながら、目を引くお店を探して回った。
たこ焼き、焼きそば、射撃にくじ引き。同じ場所をぐるぐると回っているんじゃないか思うほど、似たようなお店が繰り返す。
ふと、目を引いたのは飲み物を扱うお店だ。巨大な水槽の中で、氷と一緒に缶やペットボトルが浮かべられている。蒸し暑いこの空気の中で、見ているだけでも涼しくなる。
僕はそこへ吸い寄せられて、冷えているビールの缶をお店の人に指さした。奈津希さんが選んだのは、お茶のペットボトルだった。それを受け取って、また大通りを歩き出す。
「奈津希さんは飲まないの?」
「んー」
返ってきたのは、なんとも冴えない声だった。
「あんまりお酒は好きじゃない?」
「普段は普通に飲むよ。むしろ結構好きな方だし。……けど」
「けど?」
「昔は、お酒なんてなくても楽しかったなーって」
僕は思わず、右手に持った銀のラベルのビール缶を眺めた。自然とこれを選んでしまったけど、いつからそれが当たり前になったんだろう。
ふと、奈津希さんは僕の方を振り向いた。
「昔の私たち、どんな話をしながら一緒にここを歩いてたんだろうね」
そう口にするその顔が、やけに寂しそうに見えてしまった。
僕が思い出せるのは、奈津希さんの浴衣の色と、このお祭りを二人で並んで歩いたこと。具体的な会話なんて、まるで思い出せるわけもない。十年近く前の記憶なんて、普通はそんなものだ。
「分からないけど、少なくとも、まさか大人になってまた一緒にここを歩くことになるとは、想像もしてなかったんじゃないかな」
「そうだね。それはそうだ」
奈津希さんはそう言って苦笑した。和らいだその表情に、少し安心をした。
不意に、近くからいっせいに声が上がった。見ると、後ろから山車が一台こちらに向かって進んできている。僕たちは脇に避けてそれが通り過ぎるのを待った。
隣の家族の子供は、山車に向かって目いっぱい手を振っている。ここでは、昔からよく見かける光景だ。山車が通る前後は混雑をするから、少し離れるのを待ってから僕たちはまた奥に向かって歩き始める。
久しぶりのこの夏祭りは、昔と変わらずに活気があった。規模も参加者数も特に変わっている様子はない。
それなのに、でも、と思ってしまう。
都内の大学に通った四年間、研究に追われることも多かったけど、それなりに遊びに出かけることもした。大きな花火大会にも行ったし、全国的にも知名度のある夏のお祭りを見て回ることもあった。
だから、どうしても比べてしまう。
「そっか。出店って、この辺りまでだっけ」
大通りを少し歩くと、そこで屋台は途切れてしまった。屋台が消えてしまったその先は、ただのありふれた街並みが広がっている。
「出店の数は変わってないと思う。……けど、なんか、もう少したくさんあった気がしたよね」
僕はただ、小さくうなずいて答えることしかできなかった。
本当は、山車ももっと大きかった気がしたんだ。
きっと僕たちは期待をしすぎていた。奈津希さんとまたこの空気の中を歩けば、あの頃の夏が取り戻せるはずだと。
だけど、言葉にはできないけどなにかが違う。今、僕たちの間にはそんな空気が漂ってしまっている。
夏を取り戻すきっかけになればいいと思ってこのお祭りに来たはずなのに、余計にぎこちなさが増してしまった。
あの夏、僕たちは2人でなにをして過ごしたんだろう。もちろん、それが分かったところで、その頃に戻れるわけじゃないけれど。思い出せないのに、楽しかった感覚だけは残っていて、それが余計にもどかしかった。
僕たちは屋台の出ている場所を一通り回りきると、今日はここで解散になった。
残された夏季休暇は、これであと3日になった。
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