3.人面鳥、襲来
5時間目の国語の授業中、ぼくはずっと上の空だった。どうやってクロに見つからずに下校するか。そればかりを考えていたからだ。
ノートの端に学校から家までの簡単な地図を書き、学校の所に棒人間を書き足す。これがぼく。ドラゴンのつもりで、角の生えた黒い生き物を書き足す。これがクロ。2つの記号から矢印を引いて、架空の追いかけっこを繰り広げた。
朝通ってきた近道は絶対に避けるとして、いつもの通学路も安全とは言い切れない。クロは空を飛べるから、上から見張られている可能性がある。だったら少し遠回りになるけれど、人通りが多くて屋根のあるアーケード商店街の方を通って帰れば……。
「……くん、……飯塚くん!」
右肩をトントンと叩かれる。隣の席の女子、
「なんだよ、タマ。」
「授業、終わってるよ」
タマに言われてハッとした。確かに終業チャイムが鳴り、クラス全員と国語の先生がこちらを見ている。なぜかって、ぼくは今日の日直で、号令係だからだ。ぼくが号令をかけないと授業が終わらない。あまりにも帰りの逃走経路作りに夢中になっていて、気がつかなかった。
「勉強熱心もほどほどにね、飯塚くん」
「す、すみません!起立!」
先生に苦笑されて、慌てて最初の号令をかけ、自分も立ち上がる。
「れぇい!」
焦りすぎて、声が思いっきり裏返った。最悪だ。
「ありがとうございました。……ぶふっ!」
声を揃えて言い終わった瞬間、クラスの何人かが耐えきれず吹き出した。先生も顔を伏せて肩を震わせている。ぼくは一気に体温が上がるのを感じた。耳の先まで熱い。
ホームルーム前の休み時間に入ると同時に、ぼくは椅子に崩れ落ちた。
「飯塚くん、大丈夫?」
「何が?別に平気だし」
タマに心配されて、余計自分が情けなくなる。思わず突き放すような言い方をしてしまった。
「ご、ごめんね。飯塚くんがぼんやりしてるの珍しいから」
タマはしょんぼりしてしまった。ここは「心配してやったのに逆ギレするな!」って怒るとこだろ。まるでぼくがいじめてるみたいじゃないか。タマとは家が近くて小さい頃からの付き合いだけど、かなり気が弱いからたまに心配になってしまう。
「ぼんやりしてない。考え事だよ」
「この地図のこと?……この黒いのは猫ちゃん?」
タマはぼくの書いたクロの記号を指差した。確かに、角が猫の耳に見える。
「まあ、そんな感じ」
まさか「ドラゴンだ」なんて言う訳にはいかない。
「野良猫がここにいるってこと?」
「気にするなよ。これはただの落書き。」
ぼくは消しゴムで地図を消した。これ以上、話を誤魔化し続ける自信がない。タマは地図が消えてく様子を不安そうな顔で見ている。
「飯塚くん。その猫ちゃん、助けないと」
「助ける?なんで?」
「人面鳥の噂、知ってる?竜胆中の近くで子どもや動物を見つけると攫って行っちゃうんだって」
人面鳥の話は今朝姉ちゃんに聞いたけど、本当に信じてるやつがいるとは。いや、ドラゴンがいるなら人面鳥がいてもおかしくないのか?
「中学生にもなってそんな話、信じるなよ」
「でも、ワンちゃんの散歩中に襲われた子とか、妹がいなくなっちゃった子もいるんだよ」
「不審者じゃないの?」
「正体が人だったとしても危ないよ。猫ちゃん、いじめられてるかも」
「大丈夫だよ。あいつは」
ドラゴンだし、全身固そうだし、飛べるし。という言葉は飲み込んだ。タマはまだ心配そうな顔をしている。
ぼくはこの顔に弱い。タマはワガママを言うのが苦手だから、表情で察するしかない。小学一年生のとき、タマがこの顔をしているのに気が付かず一緒に遊び続けておもらしさせてしまった時から、ぼくは肝に銘じている。
「……わかったよ!帰りに寄ってくから、そんな顔するなって」
ぼくがそう言うと、タマの表情がパッと明るくなった。
「本当?私もついて行っていい?」
「それはダメ!」
クロの正体は他の人にバレちゃいけない。だから、タマを連れて行くわけにはいかないんだ。そんな事情を知らないタマは、すごくガッカリしている。
「いや、タマが迷惑って意味じゃなくて。ええと、その猫、全然人に懐かないからさ。慣れてない人間がいると逃げちゃうんだよ。だから、ぼく1人で行かないと」
本当は初対面のぼくにもやけに人懐っこかったけど。
「そっか、じゃあ仕方ないね。猫ちゃんのこと、よろしくね」
タマはまだ少し残念そうだけど、ひとまず納得したみたいだ。
そんなわけで、ぼくはもう一度、クロのいる場所に行かなくちゃいけなくなった。タマに気づかれないように「ハア」と小さくため息をつく。こんなことなら、逃走作戦なんて立てるんじゃなかった。
放課後、ぼくは近道近くまで来て、一旦足を止めた。一瞬だけ路地をのぞき込んで、クロがいるかどうか確認しよう。もしいたら、タマに「あの猫は無事だった」と報告して、それでミッションコンプリートだ。
ただし、クロに見つかってしまったら、また飼い主になるようせがまれてしまう。今度こそ、断れる気がしない。
クロに見つからないよう、ぼくはそーっと、細い道をのぞきこんだ。
いない。
クロがいない。それどころか、クロが入っていた段ボールまでなくなっている。念のため、朝と同じように路地を歩いてみたけれど、やっぱりいない。ぼくが来るまで、ここで待ってるって言っていたのに。
もしかして、他の人に拾われた?ぼくにしか正体を明かせないっていうのは、早く飼い主を見つけるための嘘で、本当はぼく以外でも良かったんじゃないか?だとしたらかなり頭に来るけれど、一件落着だ。タマも、誰かが拾ってくれたって聞いたら安心するはずだ。
ドラゴンと会ったことなんて、忘れてしまおう!
ぼくはそのまま、足取り軽やかに歩き出した。早く帰って、昨晩のゲームの続きをやろう。……宿題?後でやってもなんとかなるさ。
路地を抜けた、その時。
ゾクリ。
冷たいものが背中を通り過ぎていくかのような、イヤな感じがした。一度足を止めて、周りをぐるりと見てみる。……誰もいない。おかしいな、何かに見られているような気がしたのに。
——ワンちゃんの散歩中に襲われた子とか、妹がいなくなっちゃった子もいるんだよ。
タマが言っていたことを思い出して急に怖くなり、ぼくは走り出した。もちろん、人面鳥なんて信じていない。でも、竜胆町に人を襲う「何か」がいる事は本当なんだから、注意しないと。
家と学校の真ん中くらいの地点で、ぼくはおかしな事に気がついた。
人が誰もいないんだ。それに、車も1台も通らない。元々そんなに人通りの多い道ではないけど、住宅街だから近所の人くらいはいつも歩いてるはずなのに。そう思って立ち止まると同時に、さっきと同じ視線を感じた。また、周囲をぐるりと見回す。誰もいない。
さっきよりも強い恐怖が、ぼくの心臓の鼓動を早めた。またすぐに走り出す。
今度は走っていても、全身にまとわりつくような視線がずっとついてきた。でも、やっぱり誰もいない。
……いや、見てない方向がある。上だ。
空を見上げると、大きな鳥がいた。でも、おかしい。カラスやハトにしては大きすぎる。それに……
「人の……顔!?」
大きな翼と、髪の長い女の人の顔が1つの体にくっついている。ぼくと目が合うと、そいつは「見ーつけた」と言うかのように、口の両端を吊り上げてニイッと笑った。その恐ろしい姿に、一瞬息が止まってしまう。
人面鳥だ!
逃げたいのに、足が固まってしまって動かない。胸の鼓動がバクバクバクバクうるさい。
人面鳥は空中で体をひるがえし、すごい勢いで急降下してきた。
恐怖で震える足をなんとか動かし、ぼくは再び走り出す。
「ミツケタ、ミツケタ」
後ろから嬉しそうな声が聞こえる。人の声にしてはひどくしゃがれていて、耳に入るだけで総毛立つ。絶対に、振り向いちゃいけない。
心臓が破裂しそうなほど走って、走って、それなのに、全然ぼくの家に着かない。それどころか、同じ場所をぐるぐる走り回っているみたいだ。それに、まだ4時前のはずなのに空が不気味な夕焼け色に染まっている。一体、何が起こってるんだ!?
ドシャッ!
遂に足がもつれて転んでしまった。
「モウオワリ?ツマンナイ!」
声のする方を見ると、そいつがいた。
鳥というより、コウモリのような大きな翼。腰から上は女の人だけど、その下は巨大な蛇のような姿をしている。真っ赤な夕日を背にしてニヤニヤと笑う姿はとんでもなく不気味だ。
ぼくは腰が抜けてしまって、尻もちをついた体勢から起き上がることができない。
誰か助けて!
そう叫びたくても、声が出ない。
人面鳥は大きく舌なめずりをすると、両手を大きく広げてぼくの方に襲いかかってきた。
もうダメだ!
両目をきつく閉じる。その瞬間、ぼくのすぐ前で大きなものがぶつかり合うような音がした。
目を開けると、そこには大きな翼があった。人面鳥のものとは違う、分厚くて黒い翼。そして、翼につながる広くて黒い背中はゴツゴツしていて、鉄の山脈みたいだ。翼の主は両手で人面鳥を押さえつけ、ぼくを守っている。
「ご主人、もう大丈夫ですよ!」
間違いない、クロの声だ!クロがぼくを助けに来てくれたんだ。
「……だから、まだご主人じゃないって……」
ぼくはそう言うのが精一杯だった。
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