2. 捨てドラゴン
ぼくの通う竜胆中学校は、家から歩いて15分くらいの場所にある。
校門が閉まるまであと10分くらいだから、ぼくは走ったり歩いたりを繰り返していた。のだが、今日はやけに赤信号にひっかかる。まずいぞ。このままじゃ遅刻だ!
ぼくは仕方なく、近道を使うことにした。
古いアパートが並んでいる間の細い道。多分、ぼくしか知らない近道だ。幅がぼくの肩幅より少し広い程度しかない上に、道の中央に深い溝があるから、雨の日は濡れるのが怖くて通れない。でも、今日は晴れてるから平気なはず。
アパートの隙間に体を滑り込ませる。あまり好きじゃない小さな体も、こんな時は便利だ。
あれ?
道の半ばに差し掛かった時、ぼくは足を止めた。出口の辺りに、箱が置いてある。
道幅をほぼ塞ぐくらいのサイズだから、結構大きい。高さも、幅と同じくらいある。
それだけでも十分不自然なのに、なんと箱はゴソゴソと動いている。
ぼくは思わず後ずさった。
怖い!なんだあれ!?
でも、ここを通らないと。今普通の道に引き返したら、間違いなく遅刻してしまう。
ぼくは勇気を振り絞って助走をつけ、段ボールを飛び越えようとジャンプした。その時だ。
「ぷはっ!」
箱の中から、突然何かが飛び出す。それはタイミングが最悪なことに、ぼくの股間に激突した。
「いっっってぇー!!」
思わず叫んで道の中央に転がり、両手で股間を押さえた。痛い、痛すぎる!
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
箱の中から飛び出したヤツに、そう声をかけられた。痛みと情けなさが怒りに変わり、ぼくは思わず
「大丈夫なわけないだろ!」
と怒鳴る。そして痛みを必死にこらえながら、声のする方を向いた。
信じられない光景に、痛みどころか、息をするのも一瞬忘れてしまった。
「本当に悪いことをしました。ええと、こういう時は確か、救急車?を呼ぶんですよね?」
声は確かにする。若い男の人の声。でも、それを発しているのは……
「ドラ……ゴン……?」
「え?あ、はい。ドラゴンです。よく分かりましたね!」
ぼくの目の前にいる、黒い、竜としか言いようがない生き物だった。
ああ、きっと痛すぎてぼくは気絶してしまったんだな。だからドラゴンが出てきて、しかも人間の言葉を話すなんていうファンタジーな夢を見ているんだ。
ぼくは、まじまじと目の前の生き物を見た。固そうなウロコ、2本の角、金色の瞳、長い尻尾。翼がついているから、ヨーロッパの種類だろう。
ただ、ゲームやアニメで見るドラゴンと違うのはその大きさだ。柴犬のサクと同じくらいしかない。
「小さい、ですね?」
相手につられて、ぼくは思わず敬語になっていた。
「ええ。でもこれはこちらの世界で過ごしやすいように姿を変えているだけなので。本当はもっと大きいんですよ。それより、痛みは引きましたか?」
そう言われて、ぼくは痛みを思い出した。痛い、ということは、夢じゃない!?いやいや、そんなまさか!
「ゲームやり過ぎかな……ドラゴンの幻覚を見るなんて」
「そうそう、こちらの世界ではオレたちって、ビデオゲームによく出てくるんですよね。ちゃんと勉強して来ましたよ!」
黒いドラゴンは朗らかに笑った。しゃべってる。間違いなく、ドラゴンが、しゃべってる!!
「嘘だろ!!」
「うわあ!」
ぼくが急に大声を出したので、ドラゴンは驚いて背中から倒れた。
「ドラゴンなんて現実にいるはずない!」
「うーん、やっぱり簡単には受け入れてもらえないか。捨てドラゴン作戦、うまくいかないな」
「捨てドラゴン?」
その言葉を聞いて、道の真ん中に置かれている箱を見た。黒いマジックペンで「名前はクロです。拾ってください。」と書かれている。
「……もしかして、捨て犬の真似?」
「はい!こうすれば、優しい人が家に連れて行ってくれると聞いて」
「今時そんな捨て犬、あんまりいないと思うよ」
「そうなんですか!?」
ドラゴンって強くて厳格なイメージがあったのに、こいつはなんだか間が抜けている。そのせいか、異常な状況にも関わらず普通に会話ができてしまった。
「クロって、君の名前?」
「はい。体が黒いからクロです。安直ですが、こちらの世界の愛玩動物はこういった名前が多いと聞きまして。」
「あのさ、さっきから「こちらの世界」なんて言ってるけど、それじゃまるで君が異世界から来たみたいじゃないか」
「はい、その通りです!理解が早くて助かります」
クロが満面の笑みで答えた瞬間、ぼくの混乱は頂点に達した。
「いや理解してないよ!そんな簡単に信じられるか!」
「オレがいた世界は「ドラシル」という所で、ドラゴンが発達した文明を築いているんです。こちらの世界の生き物の中では、人間と同じような立ち位置ですね」
ぼくの混乱を無視して、クロは話を続けた。話し方は丁寧だけど、かなりマイペースな奴だ。
「人間と同じような……って、ドラゴンがぼくたちと同じような生活をしてるってこと?」
「ええ。ただ、ここまで便利ではないですね。こちらの歴史区分を学んだ限りだと、近世くらいの文明といった所だと思います。」
近世、ということは、日本で言うと明治維新前、ヨーロッパだと産業革命前後ということだ。よくRPGゲームに出てくる異世界ファンタジーのイメージに近いかもしれない。
ぼくはまだ困惑しつつも、ゲーム好きとして少し興奮し始めていた。そんな世界が実在するなんて!
「あのう……お願いがあるのですが。」
クロは急に上目遣いになってこっちを見た。
「良かったら、オレを拾ってくれませんか?」
「ええ!?」
唐突な提案に、ぼくは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「この箱を見ていただくと分かる通り、飼い主を探しているんです。こちらの世界で生きていくためにも、保護してもらう必要があるので」
「いやいやいや!ドラゴン飼うとか無理だから!」
「大丈夫です!いい子にします。言葉が分かるからしつけも楽ですし、食べ物も基本的に人間と一緒で構いません。」
「そういう問題じゃない!「あの家にはドラゴンがいる」なんて周りに知られたら大騒ぎになるだろ!」
「なるほど……では、犬ってことにしませんか?サイズも丁度良いですし」
「サイズ以外何もかも違うだろ!鏡見たことないのか?」
「うう……ダメですか。これからこの異世界でどうやって生きていけば……」
クロは初めて、落ち込んで悲しそうな顔をした。それを見て罪悪感がないと言ったら嘘になるけれど、異世界の生き物なんていくら動物屋敷のうちでも飼えるわけがない。
「……悪いけどさ、他の人に拾ってもらいなよ。ほら、ドラゴンとか、ゲーム好きなら興味ある人結構いると思うし」
「いえ、それはできないんです」
「なんで?」
「先程あなたが言ったように、ドラゴンがいるということが知れたら大騒ぎになります。だから、こちらの世界に来たドラゴンは、自分の存在を明かしても良い人間は1人だけと決められているんです」
嫌な予感がした。
「……まさか、その1人ってぼく?」
「他に誰がいるんですか?」
「そんなに大切なこと、なんで簡単に話しちゃったんだよ!」
「だって、息継ぎしようとして箱から出たら偶然あなたがいたから……」
クロはバツが悪そうにこちらを見た。確かに、それは不可抗力かも知れない。ぼくが近道なんて使わなければ、クロだってぼくに出会わずに済んだんだ。
ん?そういえば、なんで近道なんかしようとしたんだっけ。
キーンコーンカーンコーン
「あー!!」
「ど、どうしました?」
ぼくの絶叫と学校のチャイムが重なった。朝のホームルーム開始5分前を告げる予鈴。このチャイムを合図に、生活指導の先生が校門の扉を閉めることになっている。
そうだ!ぼくは遅刻しそうになってこの道を通ったんだ!
「ごめん、ぼく学校に行かなきゃいけないんだ!帰りにまた寄るから、じゃあな」
ぼくはそう言って、クロに背中を向けて学校の方へ駆け出した。
「帰りにまた寄るから」というのは嘘だ。クロには悪いけど、このままじゃ押し切られて、ドラゴンを飼うことになりかねない。
「はい!学業は大切ですからね。では夕方頃まで待ってます」
背中にクロの声が飛んできた。再びぼくが会いに来るのを信じ切っている。少し罪悪感が込み上げて来た。
あいつの健気な態度に接し続けていると、思わず「仕方ないからうちにおいで」と言ってしまいそうだ。遅刻したくないのは本当だけれど、クロを振り切るための口実でもあった。
近道の細い路地を抜けて、本来の通学路に出る。右に曲がって少し行くと、すぐ左手側が竜胆中学校だ。
ぼくが通学路に出るとちょうど、生活指導の小畑先生が校門の扉を閉めている所だった。先生が校門の近くにいるうちに辿り着けば、まだ遅刻せずに済む(小言は言われるだろうけど……)
ぼくは全速力で走った。でも、いつも家でゲームばかりして、運動なんてほとんどしていないから、全然スピードが出ない。
ガシャン!
ぼくが着く前に、先生が門扉を閉め切る音がした。
「ま、待って——うわっ!」
先生を引き止めようと声を出しかけた時、足がもつれて転んでしまった。本日2回目の転倒。
痛みをこらえて顔を上げると、先生は呼ばれたことに気づかず校門から離れて校舎の方へ歩き出していた。
遅刻確定だ。
「……はあ。いってえ……」
大きなため息をついて立ち上がる。右の手の平に大きな擦り傷ができていた。右膝も、ケガは無いけれど、新品の学生服が擦り切れてしまっている。
格好悪い。
こんなことなら走るんじゃなかったと思いながら、トボトボと校門の方へ歩き出した。
「あれ、ケガしてるじゃないですか!」
後ろから声をかけられて振り向くと、クロがいた。
「げっ、なんでついてきたんだよ」
「お見送りです」
なんという忠犬ぶり。
「間に合いませんでしたか……ごめんなさい、オレが引き止めたから。その上ケガまでさせてしまって……」
クロは校門が閉ざされているのを見て、申し訳なさそうな顔をした。
「クロのせいじゃないよ。ぼくが遅刻ギリギリに家を出て、勝手に転んだんだ」
ぼくは制服についた土ぼこりを軽く払い、立ち上がった。
「警備のおじさんに声かければ学校には入れるし、手もちょっと擦りむいただけだからさ。そんなに落ち込むなよ」
「でも——」
言いかけて、クロはフェンス越しに校舎の方を見た。沈んでいた表情が、にわかに明るさを取り戻した気がする。
「あの建物に着けばいいんですか?」
「そうだけど……」
「じゃあ、せめてお手伝いさせてください!」
「手伝いって、一体何する——うわっ!」
ぼくが言い終わる前に、クロは黒い翼を羽ばたかせた。小さく折りたたまれていただけで、広げられた翼の大きさは片方だけでぼくの身長ほどもある。
巻き上がった土ぼこりに、思わず目を閉じて、両腕を顔の前に構えた。
途端、体がふわりと持ち上げられる。ジェットコースターが頂点から急降下する時の、心臓が無重力になるようなあの感覚。
「何、何!?」
混乱しながらも、目を開ける。
学校の敷地を囲む緑のフェンスが、ぼくの体の真下を後ろに流れていった。
飛んでる。学校のフェンスの上を、飛んでいる!
「暴れないでくださいね。そんな高くないけど、落ちたら大変ですから」
背後からクロの声がした。ぼくの体は、鎧のような鱗で覆われたクロの両腕にがっしりとつかまれていた。
クロに抱えられて飛んでいるんだと、その時ようやく理解した。
「なんで!なんで飛んでんの!?」
「ドラゴンなんだから飛べますよ。たまに飛べない種族もいますけどね」
クロは散歩でもしながら話すかのように悠々と言った。ぼくの浮き上がった心臓は、ずっとバクンバクンと鳴っている。
校内最高齢の樹齢を誇る木が目の前に迫って来た。
「おいクロ!ぶつかる、ぶつかるって!」
「大丈夫ですよ、ほら」
あ、死ぬ。
そう思って目をきつく閉じた所で体が急激に右に傾き、左頬を枝葉がかすめた。
情けないことに、目尻に涙がにじんでくる。
「なんで直前まで避けないんだよ!死ぬかと思っただろ!」
「これくらい普通ですって。ご主人は案外、小心者なんですね」
「いつも飛んでるやつと一緒にするな!あとご主人でもない!」
クロに文句を言いながら誰もいないグラウンドを渡り、小畑先生の頭上を通過する。
(あ、てっぺんハゲ)
恐怖と興奮が入り混じった頭の端の冷静な部分で、失礼な事に気づいてしまった。
あっという間に生徒用玄関前に到着し、クロは徐々に下降していく。
「クロ、先生がいるのに目の前に降りて行ったら見つかるぞ」
「心配ありません。ほら、こうすれば!」
クロは地面スレスレのタイミングで、翼を何度も大きく羽ばたかせた。盛大に砂埃が舞い上がる。
「な、なんだなんだ!突風か?」
小畑先生が両腕で顔を覆った。なるほど、目くらましか。
ぼくはなんとか地面に足をつけた。
「では、オレはここで失礼します。放課後に待ってますからね」
クロはそう言うと、また上空に飛び上がった。ぼくを抱えていた時よりも、遥かに高いところまで昇っていく。砂ぼこりが落ち着く頃には、鳥と見分けがつかないくらい小さくなっていた。
ぼくは思わず、その場にへたり込んだ。
「おい君、遅刻するぞ。というか、どこから来たんだ?」
小畑先生は心配してくれたのか、ぼくの方へ駆け寄ってきた。
「え、は、はい!えっと、……空から?」
「はあ?」
ぼくが苦笑いで上を指さすと、先生は心配するような、不審者を見るような絶妙な顔をした。でもすぐに「子どものつまらない冗談か」という表情でため息をついた。
「ほら、チャイム鳴るぞ。行った行った」
先生に手で払う仕草をされ、ぼくはノロノロと立ち上がった。遅刻を目前にして呑気な生徒に見えたかもしれないが、実際は腰が抜けているのに頑張って起きたんだ。褒めて欲しい。
そのまま校舎に入って靴を履き替え、教室に向かった。
生徒たちはもう教室に着いてしまているらしく、廊下は静まり返ってている。
ぼくはぼんやりとした頭で、近道に入ってからの記憶を整理した。
通学路の脇道に入ったらドラゴンがいて、空を飛んで学校まで送ってもらいました。
・・・・・・こんなこと言ったら、「疲れてるようだから今日は帰りなさい」という反応が返ってくるだろう。
やっぱり夢だったんだ、そう割り切ろう、忘れよう。
そう思いながら、「1ーA」と書かれた教室のドアを開けた。タイミング的に担任の先生が来たのかと思われたらしく、一瞬クラス全体のざわめきが止んだが、ぼくの姿を見るとすぐみんな雑談に戻った。
窓から2列目の自分の席に荷物を置くと、無意識に大きなため息をついてしまった。朝からいろんなことが起こり過ぎて、頭も体もついていけていない。
ふと、窓の方を見た。校庭の上空、校舎3階ぐらいの高さの所で、クロがこちらに手を振っている。遠くて表情はわからないが、きっとあの屈託のない笑顔でいるんだろう。
ぼくはもう夢だと思うのを諦めて、窓のカーテンを勢いよく閉めた。
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