1.動物屋敷の朝
ぼくは目覚まし時計を使ったことがない。かと言って、朝に強くもない。
むしろ、毎晩遅くまでゲームをやってしまうから、早起きは大の苦手だ。昨日の夜も、今ハマっているゲームを真夜中までやっていた。
本当はもっと早く寝る予定だったのに、12時を回った頃レアモンスターに遭遇してしまったのが良くなかった。興奮して寝るどころじゃなくなってしまったんだ。
そんな訳で今、いつも起きる時間をだいぶ過ぎている。
あと3分、いや5分で起きるぞ。そう決心した時だった。
「キャン、キャンキャン!」
「ワウワウワウ!」
「オウッオウッ」
高さの違う3つの犬の鳴き声が耳を突き刺した。ぼくの部屋に、階段を上がってヤツらがやって来る。思わず、頭から毛布を被って防御体勢に入った。
ガチャっという音がして、部屋のドアが突破される。
3匹の中で一番器用で賢い柴犬のサクは、ドアノブを押して開けることができてしまうのだ。
すぐにコハルが一際甲高い鳴き声を上げながら部屋に飛び込んできた。ポメラニアンとチワワのミックス犬で、目覚まし係の主担当だ。ぼくが布団から出でくるまで、ずっと鳴きながら駆け回り続ける。
「わかった、起きる、起きるって!」
ぼくはコハルの鳴き声に耐え切れず、ひと思いに毛布を蹴り上げた。
ぼくは毎朝、犬たちに起こされる。だから、寝坊助なのに目覚まし時計を使ったことがないんだ。
無理矢理体を起こしてドアの方を見ると、セントバーナードのチビが笑顔で尻尾を振っていた。
サクやコハルと違って、チビはぼくの部屋に来ても特に何もしない。他の二匹について来て楽しんでいるだけだ。
名前はチビだけど、体重はぼくよりも重い。うちに来たばかりの時は小さかったから、父さんがチビなんて名前をつけてしまったらしい。
名残惜しい思いでベッドから立ち上がり、部屋から出て一階に続く階段を降りる。
コハルが足元にまとわりついて来て歩きづらい。踏まないように気をつけながら、ようやくリビングに着いた。
「
朝食を食べていた父さんがぼくの顔を見て笑った。3匹の犬たちはリビングに入るなりぼくの足元を離れ、父さんの方へまっすぐに向かった。我が家で一番懐かれているのは、獣医で犬好きの父さんだ。
「そりゃそうでしょ。ゴールデンウィーク明けだし。五月病ってやつ?」
父さんの斜め向かいに座っていた姉ちゃんがテレビのチャンネルを変えながら言った。朝食はもう食べ終わってる。ぼくと違って、姉ちゃんは朝に強い。
「育(いく)は平気なのか?」
父さんは納豆を混ぜながら、足の先でチビのお腹をなでている。行儀悪いけど、チビはとても気持ちが良いらしく目を閉じて寝っ転がってしまった。
「あたしはお魚ちゃんたちがいればいつでも元気だもん」
姉ちゃんは席から立ち上がり、窓際に置かれた巨大な水槽に向かった。
ぼくには種類も分からない小魚が何十匹と泳いでいる。信じられないことに、姉ちゃんは全ての魚に名前をつけていて、しかも見分けらるらしい。この巨大水槽のほか、自室にもそこそこ大きなアクアリウムを3つ置いている。
将来の夢は水族館の飼育員というのも納得だ。
ぼくは犬や魚と戯れる2人を尻目に、のろのろとキッチンへ向かった。ぼくと入れ変わるように、母さんがリビングへ慌ただしく出て行った。
背中にはサバトラ猫のムツキが乗っかっているので、ちょっと前のめりの体勢だ。すれ違うとき、ムツキはぼくを睨みつけた。
4人家族の中で、ぼくだけこいつに嫌われている。
「あ!「アニプラス」もう始まっちゃう!」
母さんは前のめりの姿勢のままテレビに向き合った。父さんと姉ちゃんも、一斉にテレビの方を見る。
「アニプラス」は、朝のニュース番組でやってるペットの紹介コーナーだ。1分くらいの短い時間だけど、ぼく以外の家族は毎朝楽しみにしている。
さっき姉ちゃんがチャンネルを変えたのも、これを見るため。
「きゃー!今日お猿さんだって!かわいいね、ムチュキ」
母さんは背中に乗っていた無愛想な猫を降ろして両手で抱きしめ、頬擦りをした。
ムツキはいつも通り仏頂面だが、嫌がる様子はない。されるがままだ。
「リスザルかあ。確かにかわいいけど、しつけが難しいからなあ。」
父さんも真剣な顔でテレビを見ている。
しゃもじを炊飯器に突っ込みながら、ため息をついた。盛り上がる3人と反対方向、キッチンの壁を向いて。
家族の中で、ぼくだけが動物好きじゃない。今朝、父さんが言う「ひどい顔」をしていたのだって、犬たちの鳴き声で起こされたのが原因だ。小さい頃からずっとこうだから、もう慣れたけどさ。
ぼくが好きなのは、ゲームやマンガ。小説もたまに読む。運動はそんなじゃないけれど、勉強は得意な方。つまり、学校でも家でもインドア派だ。
週末になると犬たちを連れてドッグランに向かう家族は、何が楽しいんだろうと思ってしまう。
ぼくがご飯と味噌汁を持ってテーブルに戻ると、アニプラスはもう終わっていた。母さんが残念そうな顔をする。
「あら結生もったいない。アニプラスもう終わっちゃったよ」
「ぼく興味ないからいいよ別に」
「そう?昔は結生も好きだったのにね、こういうの」
そう。覚えていないけれど、昔はぼくも動物が好きだったらしい。
5歳のぼくがまだ小さなチビと笑顔で走り回っているのを、家族アルバムで見たことがある。もう7年も前の写真だ。
「仕方ないさ。結生ももう中学生だし、好きなものだって変わるよ」
父さんは笑ってそう言ったけれど、眼鏡の奥の表情は少し寂しそうだ。
「変わるのは良いけど、夜更かしするほど熱中するのは考えものだよね」
姉ちゃんがニヤニヤしながらぼくを見た。げ!バレてる!
「ゆーうーきー?」
母さんがゆっくり近づいてきた。やばい、笑顔だけど、めちゃくちゃ怒ってる!
ムツキは危険を察知したのか、二階に逃げていった。
「ゲームは十時までの約束でしょ!」
「ご、ごめんなさい!」
母さんの怒鳴り声が家中に響いて、犬たちも二階に飛んでいった。
「まあまあ、母さん落ち着いて」
父さんが母さんの怒りをなだめている間にぼくは急いで朝食を食べ終わり、逃げるように洗面所へ向かった。
いつの間にか姉ちゃんが先に歯を磨いている。
「おい姉ちゃん!母さんにチクるなよ!」
「何のことかなー?育ちゃんわかんなーい」
姉ちゃんは変顔でとぼけた。
ああ、もう!今度仕返ししてやるからな!
姉ちゃんの横で歯を磨いていると、ぼくの足元にサクがやって来た。
まるで「大丈夫でしたか?」と言うかのようにこちらを見上げている。
「サクはなんで私より結生に懐くのかな?頭脳派仲間だから?」
「頭脳派って……まあ姉ちゃんよりは勉強得意だけど」
「私はスポーツ派だからいいの」
高校で陸上部の姉ちゃんは、聞いた話によると男子よりも女子にモテるらしい。歯磨きのリズムに合わせて、ポニーテールが揺れている。
「そういえば結生。竜胆中の通学路に人面鳥が出るらしいよ」
竜胆中とは、ぼくが通っている市立竜胆中学校のことだ。姉ちゃんも一昨年まで通っていた。
「人面鳥?人面犬じゃなくて?」
「そう。気をつけなよ」
何に気をつければいいんだよ、と言う前に姉ちゃんはうがいを済ませて洗面所から出て行ってしまった。
そのままスクールバックを持って「いってきまーす!」と家を出て行く。
本当に人の話を聞かないな!
人面鳥か。気になるけど、どうせ怪談話か何かだろう。そんなことより、ぼくも早く出発しなきゃ。
自分の部屋に戻って学校の制服に着替え、カバンを持ってリビングの様子をうかがった。玄関に行くには、どうしてもここを通らなければいけない。
「知ってるんだからね、あなたも結生からゲーム借りてやってるの」
「うっ!あはは、いいじゃないか。息抜きだよ息抜き」
「私に内緒で新しいゲームソフト買ってるのもね」
「……すみません」
よし、母さんの怒りの矛先は父さんに向きかけてる。今だ!
ぼくは小走りでリビングを駆け抜け、玄関に滑り込んだ。父さんが助けを求める顔でこちらを見ている。
ごめん父さん!今度犬の散歩当番代わるから許して!
「ん?あ、こら結生!まだ話は終わってないんだから!」
母さんが気づいた時、ぼくは既にスニーカーを履いて家のドアを開け放っていた。
「イッテラッシャイ」
「キヲツケテネ」
玄関先に吊るされた鳥かごから、オカメインコのウメとモモが見送る。
「いってきまーす!」
「飯塚」と表札に書かれた家から走って飛び出す。すぐ隣は、父さんが院長をしている飯塚動物病院だ。
ぼくの名前は飯塚結生。竜胆町3丁目の自宅は、近所ではちょっと有名な動物屋敷だ。
飯塚家の朝は、いつもこんな感じで大騒ぎ。たまには平和な朝を過ごしてみたいよ。
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