第五章 潜入調査

第29話

「あつーい」

 のぞみは下敷きで顔をあおいだ。汗で湿った前髪が、仰ぐたびにパサッと浮く。そんな彼女の姿を横目に見ながら、秋斗あきとはリュックからハンディファン、いわゆる手持ち扇風機を取り出した。スイッチを入れると、生暖かい風が送られてくる。


「あ、ずるい」

 頬づえをついた希は目を細めた。

 ずるい、と言われても。冷房のように別に涼しい風ではないので、下敷きで仰いでいるのとさほど大差ないと思うのだが。


「なんか今日は特に人多くね?」

 秋斗は講義室をさりげなく見渡した。入学して初めて授業を受けたときの様子を思い出す。比較的大きい講義室だが、立ったまま授業を受けていた学生が何人か見られたのだ。今も、数人の学生が後ろの方で立っている。


 席をつめて座れば履修者は全員座れるはずだけれど、知らない人にはさまれて座ったり友人と離れたりするのがみんな単純に嫌なのだろう。中学や高校のときよりも、群れたがる人間が多いように感じるのは気のせいか。


 希は下がった眼鏡をあげると、こともなげにつぶやいた。

「テスト前だからでしょ」

「ああ、だからか」

 秋斗は息を吐き出し、苦笑いを浮かべた。

「なんか色々あって日付感覚バグってるわ」


 五月に自称探偵(?)の佐伯さえき茉鈴まりんという人物に出会ってからというもの、一日一日が長く感じるのだ。最初は探偵を見に行くだけだったのに、仕事を見学し、あれよあれよとサークルに入ってしまった。


 秋斗たちが遭遇した依頼人は二組だが、その間にも佐伯は一人で小さな依頼をこなしていたようだ。

 大学一年はどうしても必修授業が多く、一週間びっしり授業が入っているため、そこまでたくさんの依頼を受けられるわけではない。それに佐伯のように占いができるわけでも、おはらいができるわけでもない。

 たまたまオカルト研究サークルの依頼は秋斗と希の霊感が役に立てたが、今後もあんな風に一年三人の力だけで解決できるかは未知である。


 そんなこんなであっという間に七月になってしまった。月末にはテストがあり、それが終われば長い夏休みが始まる。

「どの科目も持ち込み可なら良いのになぁ」

 クリアファイルから授業のレジュメを取り出した希は、その紙束をひらひらと宙で泳がした。一週間に二コマある授業だから、だいぶレジュメが分厚い。


 授業によって、テスト形式は全然違う。教科書やレジュメなどを試験会場に持ち込みが可能なテストもあるが、そういう形のテストはたいてい内容が難しいと噂されている。


 論述形式もあれば、選択形式もあり、ほとんどの教授がテストが近くなると授業内でどんなテストを出すか教えてくれるのだ。

 中にはテスト問題すら教えてくれる教授もいる。しかしその場合は絶対持ち込み禁止だし、必ずといっていいほど論述形式だ。ある程度なにを書くか決めていけばいいので楽に感じがちだが、文字数指定がエグイのだとか。


 全部春樹はるきが先輩から聞いた情報なので、実際受けてみないことにはなにもわからないけど、ある程度の情報収集は必要だろう。


 そんなわけで、七月になり、テストも近くなったということで、今まで授業をサボっていた連中が試験情報を少しでも入手するためにこぞって授業に参加しているというわけだ。人口密度が高くていつもより暑い。


 授業の予鈴が鳴り、講義室に続々と学生が入ってきた。学生の流れに混ざって教授も現れる。

「それにしても、春樹遅いな」

「ほんとね、遅刻とかしたことないのに」

 秋斗と希は入り口を見やる。あわただしく講義室に入ってくる学生たちの中に、春樹の姿はまだ見えない。


 教授はプロジェクターをセットすると、レジュメの束を一番前の席に座る学生に渡す。前から回ってきたレジュメから秋斗は三枚抜き取り、後ろへ回すと、スマホがブーッというバイブ音を鳴らした。

『熱出た~休む~』

 送りぬしは春樹だ。犬が泣いているスタンプもそのあと送られてきた。三人のグループに送信されたメッセージだったため、希もスマホを開き、あわれむように顔をしかめる。

「うわー、夏風邪かな」


 希は『お大事に』秋斗は『ゆっくり休めよ』と返信すると、タイミング良くもう一件メッセージが入った。

『昼休み集合』

 今度の送り主は佐伯だった。簡潔かんけつな文章に二人が返信するまでもなく、授業開始のチャイムが鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る