第4話 裁縫道具
お昼休み。
剣道場の掃除をし、小手を持って教室に戻ると、びっくりしたことに悠馬君が席に座っていた。
「どうしたの? 今日、”山のグラウンド”じゃないの?」
悠馬君だけじゃない。クラスのほぼ全員が教室にいた。
わたしは慌てて、小手を自分の背後に隠す。
ど……どどどどど、どうしよう。そんなに生徒いないと思ってたから、クラスで補修しようと思ったのに……っ。
「送迎バスが壊れたんだってさ」
悠馬君の隣にイスを移動させてきている
誠志学園は、学校敷地以外にもグラウンドを持っている。たくさん持っている。
それが……ちょっと遠い。
なので、ほとんどの生徒がお弁当を食べると「授業の一環」としてバスに乗り、グラウンドまで移動する。
結果的に昼休みになると教室ってガラーンとしちゃうんだけど……。
「急遽手配したバスに一軍たちが乗るから。俺たちは放課後、このあたりをランニング」
悠馬君も随分とつまらなそうだ。
「そ……そうなんだ」
目を泳がせてわたしも返事をする。
だめだ……。こんなに生徒が多いところで小手なんて出せない。そっと剣道場に戻しに行こう……。
そう思っていたら。
「じゃ、やるか」
悠馬君が、見慣れない大きなバッグを机の上に置いた。「めんどくせぇ」と光流君も顔をしかめた。
なんだろう。
そう思っていると、悠馬君がバッグを開き、中から大量の……蛍光色の網みたいなのをいっぱいだした。
途端に。
「なにこの臭い!」
「くっさ! 誰だよ!」
教室は阿鼻叫喚図になる。
誰もが鼻をつまみ、窓を開け、臭いのもとはどこだと血眼になって探し始めた。
「あ、悪い悪い。いまからビブスの破れ直そうとおもって……」
しれーっと悠馬君が答える。
「ビブスって……。あの服の上からかぶるやつ?」
体育でもチーム分けに使用する、袖なしメッシュの貫頭衣みたいなやつ。
あ、本当だ。派手な漁師網かとおもったけど、ビブスだ。
おそるおそる近づく。臭いが濃くなる。あ、やっぱりこれが悪臭のもとかぁ。
「くっさ!」
「死ね、サッカー部!」
ののしりながら、みんな教室から出て行く。
「これ、洗濯機かけてから補修したら?」
わたしが提案すると、光流君がため息をついて首を横に振った。
「一回やってみたんだよ。そしたら、破れが余計に広がってさ……。先輩たち、激怒」
「だから、縫ってから洗おうってなったんだ。あ、智花ちゃん、臭いだろ? 俺ら場所を……」
悠馬君が立ち上がろうとするから、「全然平気」と断言した。
「わたしも小手の修理しようと思ってたんだ。一緒にいてもいい?」
そう言って、背中に隠していた小手をそっと出す。
「もちろん。一緒にやろうよ」
悠馬君はにっこり笑う。光流君も気にしていないようでよかった。
なぜなら。
小手も、相当臭いから。
確かにこのビブスも汗臭いけど……。
でも、これ三十枚はあるからね? 三十枚あっての臭いだからね?
この臭いに誤魔化されて、悠馬君も光流君もよくわかっていないようだけど。
小手って、この一対でビブス三十枚と同じ臭いしてるからね?
わたしは何食わぬ顔で机の上に小手を置き、それから通学鞄から布の巾着袋を取り出した。
サッカー部のふたりは、というと、ビブスを入れた鞄の中に裁縫道具も入っていたみたい。
お弁当箱みたいな大きな箱を開けると、立ち切りはさみや糸切りはさみ、針山とか一式そろっていた。
「あー……。めんどくせ」
ぶつぶつ言いながら、それでも慣れた手つきで光流君が針に糸を通してビブスを縫い始める。悠馬君も無造作に手に取ったビブスを補修しながらため息をつく。
「早く一軍昇格して、雑用から逃れたい……」
「そうだよなぁ」
光流君も同調するんだけど……。
「あ、あのさぁ」
ついわたしは口を挟んでしまった。
「それ……、なんでそんなに破れてるの?」
ちょっとびっくりするぐらい、ビブスがビリビリになっている。
いや、そりゃもともと穴が開いているというか……。メッシュみたいになっているから破れやすいんだろうけど。
それでも、これ、どうやったらこんな風になるの?
「引っ張るからどうしてもなあ」
悠馬君が苦笑いするから、更に驚いた。
「ひっぱるの⁉ 反則じゃないの⁉」
「厳密に言えば反則では……あるけど」
悠馬君が戸惑いながら言うんだけど、光流君はあっけらかんと、
「小学校高学年のチームなんて、引っ張り合い、転がしあいだよ」
と言う。
「ぶつかり合いだし、肘の当て合いだし」
ひー……。格闘技……。
「あ……。だから身体が大きくないといけないのか」
ようやく気付いた。
どっかでわたし、「サッカーに身体の大きさって必要なの?」って思っていた。だって、すばしっこさとか、連係プレーとか。そんなのが重要なんじゃないかなぁ、って。
だけど、身体同士のぶつかりあいがあったり、ひっぱられたりするんだったら……。
「ちびで軽いとあっさりふっとんでいくよな」
光流君が大笑いしている。対照的に悠馬君はブスっとした顔だ。
でも、わかる。
「重さって、強さなんだよねぇ」
つい呟くと、悠馬君が驚いたように目を真ん丸にした。
「剣道でも関係あるのか?」
「うん、おおありだよ。うちだって体重別の競技じゃないもん。大人の部だと、団体戦は男女一緒だったりするよ」
言いながら、巾着から道具を取り出す。
「わたしも小学校低学年の時、体格の大きなお相手に試合であたって……。体当たり面を受けてコート外までゴロゴロ転がされちゃって……。肋骨にひびがはいったことがあったよ。あと、足の親指を踵で踏まれて爪が割れちゃったりね。コート、真っ赤になっちゃった。男子だともっと大変かなぁ。首はさまれてぶん投げられたり」
「え……、け、剣道って……。格闘技だったっけ」
悠馬君が恐々尋ねる。どうしたんだろう?
「うん。剣道は、武器を持った格闘技だよ?」
「……へ、へええええ……」
なんか、ふたりとも固まっちゃった。どうしたんだろう。首を傾げながら、革の端切れと針山、糸とラジオペンチを取り出した。
「……ラジペン?」
「ってか、その針、ぶっとくね?」
悠馬君と光流君が手元を覗き込んでくるから焦る。く、臭いから。気づいてないけど、小手、臭いから。
「ほら、皮を縫うから。細い針だと曲がっちゃうの」
「曲がる」
「針が」
なんか絶句される。
えー……。変かなぁ。だって皮縫うんだし……。
「えっとね、こうやって……、ほら、ここ破れちゃってるでしょう? 使いすぎるとどうしてもここがね」
左手小手の内側を見せる。
小手はボクシングのグローブみたいな感じ。
内側には鹿の皮が張られている。
その親指の根本が割と破れやすい。
もともと竹刀は左手一本で握り持つ。右手は添えるだけ、というか……。方向決めとか微調整するのに使う。
で、これが重要なんだけど、剣道では相手の中心を先にとることが求められたりする。
だから、向かい合ったとき、剣先同士を合わせたり、回したりして挑発したり、仕掛けたりするんだけど……。
あれかな、剣道をしたり、見たことがない人はわかりにくいかな。
竹刀の先っぽで互いに、ちょんちょんとつつきあっているように見えるアレ。
あれをするときに、わたしの癖なのかもしれないけど、柄が小手の内側をぐるぐるこする。
他にも、もともと左手だけ使うから、小手の左内側が破れちゃう。
「ここを塞ぎたいから……こうやって皮をまずスティックのりで簡単に留めて……」
これはあくまで仮止め。縫うとき動かないようにするだけ。
「で、下から針を突き刺して……」
針先がちょっとだけ覗いたら、ラジオペンチを持つ。
「ここから、針をラジオペンチでつかんで、引き抜く、と。これを繰り返すの」
にっこり笑って説明を終えたのだけど……。
なんか、男子ふたりはドン引きだった。
「……そんな皮が破れる練習って……」
「え? ひととひとが戦うんだよな」
なんかヒソヒソ小声で言われたけど……。
わたしは、一番心配だった「臭い」を気にせず、さくさくと修理の手を進めるのだった。
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