第3話 制服

 世界史で使用する副教材の箱を受け取り、わたしと悠馬君は頭を下げて職員室を出た。


「俺、まだ持てるけど」

 悠馬君が言う。


 わたしと悠馬君は、同じコンテナボックスを両手で抱えていた。

 中には等分に副教材が入っている。


「こっちに移すか?」


 ちらりと悠馬君が見るのは、教室まで続く階段。

 一年生の教室は3階にある。このコンテナボックスを持って上まで行くことを心配してくれているらしい。


「これもトレーニング」

 わたしはにっこり笑う。「そっか」と悠馬君も笑った。


 だけどこんな風に気を遣える男子って、スポクラにはいないので本当に悠馬君は珍しい。


 一般クラスにいたら絶対人気が出るのに。

 背が……背が小さいばっかりに……。


「じゃ、行くか」

 悠馬君がコンテナボックスを抱えなおしたとき、ぶちっ、となんか音がした。


「あ……、やべ」

 悠馬君が一旦コンテナボックスを廊下に降ろす。


「どうしたの?」

「袖直ししてるとこ、ひっかかって……」 


 悠馬君は肘を折って制服ブレザーの袖口を見ている。


 うちの制服はジャケットタイプになっていて、男子はネクタイ。女子はリボン。ちなみに夏服になると、男子は半袖ポロシャツ。女子は半袖セーラーになる。


「あ、ほんとだ」

 わたしも声を上げる。


 悠馬君の制服は大きい。


 肩なんて全然あってなくて、学校指定のリュックタイプになる鞄を背負うと、肩口が寄って、なんか妙な肩パットみたいになってしまう。ズボンもだいぶん裾を上げているんだろうな、と思っていたけど……。


 袖口も、余った部分を中に折って縫っていたらしい。その縫い目にコンテナボックスの端っこがひっかかり、ほどけてしまったようだ。


「裁縫道具持ってる?」

「うん、大丈夫」


 うんざりしたように悠馬君は言って、コンテナボックスを持ち上げた。

 よかった。わたしも持っているけど、剣道用だから。


「行こうか」

 悠馬君に言われ、並んで階段を上る。


「本当はさ、もうひとつ下のサイズの買おうと思ってたんだ」

「ん? なんのこと」


 階段を上りながら隣を見る。

 あんまり目線の高さが変わらない悠馬君が顔をしかめていた。


「制服。だってこのサイズ、あきらかブカブカだろ?」

「……まあ……ね?」


 新中学1年生でももう少し小さ目の学ラン着てるかな……。


「制服採寸のときにさ、サッカー部のコーチも来ててさ。剣道部はいなかったか? ……あ、ごめん」


 慌てたように悠馬君が言うから、わたしは苦笑い。

 なにしろそのころの顧問は、多分裁判所にいたから……。


「俺も親も『すこし大きめサイズで』って、制服販売の人に言ったのにさぁ」


 悠馬君は大きくため息をつく。そうすると、本当にブレザーがぶかぶかと動いた。


「コーチが『お前は、高校時代でたったそれだけしか成長しないつもりか!』ってすんげぇ怒り始めてさ……」

「は……あ」


 きょとんと相槌を打つ。


「親にも『身体を作るつもりがないんですか! この子をもっと大きくしたくないんですかっ』とか熱弁振るい始めて……。そしたら、買わざるをえないじゃん、コーチの言うサイズをさ」

「なーる……ほど」


 だから、幼稚園児がお父さんのスーツを着てる感じの制服になったってことか。


「俺、本当にこのサイズの制服が着こなせるようになるんだろうか……」


 ずうううううん、と落ち込む悠馬君。


「うちの親、高校に入って10㎝背が伸びたらしいよ。だからわたしも大きめの制服買ったんだけど、この前の身体測定で2センチ伸びて……」

「それって、男親? 女親?」


 食い気味に尋ねられた。


「え? お母さん……だけど」

「だよなああああああ……」


 う……。励ますつもりだったのに、なんかさらに落ち込んでる……。


「うちのコーチも結局、制服採寸のところにいたの、親の身長や体格を見るためでさ。なんか、母親の体格が重要らしくて……。俺の父親も高校時代に結構背が伸びたらしいんだけど、母親は小学校高学年ぐらいで身長止まってて……」


 はああああああ、と大きくため息を悠馬君はつく。


「俺……卒業までに、この制服が似合うようになるのかな」


 うめく悠馬君に、わたしは「遺伝がすべてじゃないよ!」と必死に励ました。


「生育環境と食生活と運動習慣で変わるって先生も言ってたじゃない! 大丈夫、大丈夫!」

「そ……そうだよな」


 ちょっとだけ気持ちが上向きになったのかな?

 悠馬君はぎこちなく笑ってくれたのだけど。


 だだだだっ、と足音が上階から聞こえてきて、階段の踊り場に現れたのは、上級生男子。


「お! SS、なにやってんだ」

「日直か? おまえ……。クラスでもダメダメかよ」


 ずいぶん背も横幅も大きい。日に焼けているし、悠馬君に声をかけているからサッカー部の先輩なんだろう。


「こんちはっす!」

 やっぱり悠馬君が直立不動から、ぺこりと頭を下げる。


「休み時間も喰えよ、SS」

「SSもさっさと日直仕事終わらせて、移動販売車に来い。そして喰え」


 代わる代わる先輩たちが悠馬君の頭を小突きながらそんなことを言う。


「ねぇ、悠馬君って、サッカー部でSSっていうポジションなの?」


 サッカーのことはよくわからないけど、MFとかFWとかよくアルファベットでポジションを表示するのは知っている。


 先輩たちが悠馬君をそう呼んでいるってことは、そうなのかな、と思って悠馬君に尋ねたのに。


 一瞬の間をおいて、先輩たちはお腹を抱えて大爆笑しはじめた。

 悠馬君も真っ赤になって唇を噛んでいるから、大失言したことを知って冷や汗が出る。


「ご……ごごごごごごごごめんね……っ」


 訳も分からず悠馬君に謝ると、先輩たちが、ひぃひぃ泣き笑いしながらわたしの肩をバンバン叩く。


「さいこー! 君、さいこー!」 

 え⁉ もう、なに! どうなって……。


「この前、部に業者さんが来て、みんなで加圧シャツを買ったんだけど……」


 別の先輩が、笑いすぎてかすれた声で言う。加圧シャツって……。なんか、筋トレとかに効果あるとかいうアンダーシャツ……?


「こいつだけ、SSでさ。どんだけ小さいねん、って」

「あ……サイズ!」


 SSって服のサイズだ!


「ちなみに、こいつパンツもSSなんだぜ! 大人用のところにパンツ売ってなくって、子どもコーナー……」


「だまれっ! いい加減怒るぞ! それにユニクロならSSサイズのパンツあるんだよっ! 大人用のっ」


 噛みつかんばかりに悠馬君が唸る。


「いつか絶対、あんたら見返してやるからなっ!」


 悠馬君の言葉遣いにびっくりしたけど、サッカー部はこれでもいいみたい。そういえば、悠馬君を初めてみかけた、オープンハイのときもこんな感じだっったっけ。


 先輩たちはニヤニヤ笑い、「楽しみ、楽しみ」「あいつでかくなるってー」「え。身体のどこの話やねん」と言いながら階段を駆け下り始めた。


「行くぞ、智花ちゃん! さっさと教室戻って、俺は食う!」

「う……うん、わかった!」


 そうしてわたしたちは教室に戻り、悠馬君は必死におにぎりを頬張って……。




「次のページを……。悠馬、読め」

 英コミⅠの授業。先生がそう言ったのだけど。


「は……。う……っ」


 立ち上がった瞬間、吐きそうになったのか、慌てて両手で口を押えて悠馬君が教室を駆けだしていった。相変わらず男子からは苦笑が漏れたけど、女子は完無視……。


「じゃあ、その前の席。智花、読め」


 淡々と先生は指示し、わたしは仕方なく立ち上がって教科書を読む。


 その声に混じり、悠馬君が廊下を走る音と、トイレの扉が開閉する音がかすかに聞こえた。


 間に合ってよかった……っ。悠馬君!


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