代理

三鹿ショート

代理

 その日もまた、彼らは路上で生活している男性に暴力を振るっていた。

 男性は抵抗することなく、彼らが満足するまで耐えることだけに集中している様子だった。

 彼らの暴力行為を止めることは、人間として当然のことなのだろうが、彼らの人数と体格を考えると、私の生命が危うくなってしまうことは確実である。

 そうなってしまえば、誰が彼女の生活を支えるというのだろうか。

 私は心の中で謝罪の言葉を吐き、自宅へと向かった。


***


 今日は調子が良いのか、彼女は私に食事を作ってくれていた。

 いずれも良い味付けと言うことはできなかったが、それを伝えてしまうと彼女がどのような行為に及んでしまうのかが不明であるために、私は笑みを浮かべて美味であることを告げた。


***


 彼女が眠った後、口直しの飲食物を購入するために、再び外に出た。

 道中、先ほどまで彼らに虐げられていた男性の姿が無いことに気が付いた。

 それどころか、寝床までもが消えている。

 まさか、彼らは全てを奪ったということなのだろうか。

 私は先ほどの光景を思い浮かべながら、頭を下げた。


***


 外回りをしている途中で、工事現場で働いている男性を目撃した。

 路上で生活していたときと比べると、身なりは整っている。

 同時に、若い人間のように動きが良かった。

 まるで別人のような相手を見つめていると、男性と目が合ってしまった。

 男性が笑みを浮かべながら私に近付いてきたために、思わず謝罪の言葉を吐きながら頭を下げた。

 顔を上げると、男性は困惑した様子で、

「一体、何に対して謝罪しているのですか」

 そう問われたために、私は虐げられていた場面を目撃しながらも手を差し伸べなかったということを説明した。

 怒りを露わにされることを覚悟して告げたのだが、私の想像に反して、男性は気にしていない様子だった。

「確かに、理不尽な暴力には辟易していましたが、あるとき気が付いたのです。私がこのような生活をしているために、標的とされているのではないかということを」

 それから男性は、路上での生活から抜け出すために、仕事を探したらしい。

 その結果、今では集合住宅で生活することができるようになり、明日の生活を心配する必要がなくなったために、裕福ではないが幸福な日々を過ごしているということだった。

 そのように説明した後、男性は私に軽く頭を下げると、工事現場に戻っていった。

 離れていく姿を見ながら、人間というものは何時でも変化することができるのだということを思った。

 それならば、変化するべきは弱者を虐げていた彼らの方ではないだろうか。

 だが、そのようなことを考えたところで、私にはどうすることもできない。

 大きく息を吐いた後、私もまた仕事に戻ることにした。


***


 彼女の調子は今日も良いらしく、再び食事を作ってくれたのだが、私は驚きを隠すことができなかった。

 何故なら、世辞でも何でもなく、美味だったためである。

 短期間でこれほどまでに料理の腕前が変化するものなのだろうか。

 驚きながらも食事を続けている私に向かって、彼女は口を開いた。

「実は、私も働こうと考えているのです」

 思わず、手を止めた。

 彼女は、本気で言っているのだろうか。

 落ち着いているときの彼女は何の問題も無いのだが、それが何時まで続き、何時終わりを迎えるのか、誰にも分からないことだった。

 自分がかつて働いていた会社で何をしたのか、忘れたわけではないだろう。

 しかし、彼女の神妙な顔つきから察するに、自分が何もせずに生活することができていることに対して罪悪感を抱いた結果、そのような発言をしたわけではないようだった。

 これまで同じような言葉を吐いたことはあったのだが、それらのときとは様子がまるで異なっている。

 心の底から、自分を変えようとしている人間の顔だった。

 それほどの強い決意ならば、彼女の意志を尊重するべきなのかもしれない。

 私が首肯を返すと、彼女は笑みを浮かべながら抱きついてきた。


***


 私は、違和感を抱くようになっていた。

 私の周囲の人間が、次々と別人のように化しているからだ。

 横暴だった上司は部下に優しい言葉をかけるようになり、喧嘩が絶えることがなかった隣人は、笑顔で手を繋ぎながら外出するようになった。

 さらにいえば、それらは一時的なものではなく、継続されているのである。

 変化しなければ生命を奪うと脅されればそのように行動するのだろうが、何者かの指示によって動いている様子も無い。

 ゆえに、私は周囲の人間たちに得体が知れない恐怖を抱くようになった。

 優しい言葉にも裏があるのではないかと考え、愛してくれる彼女に対しても、心を許すことができなくなってしまった。

 そんなことを考えながら自宅に戻ろうとしていると、不意に声をかけられた。

 振り返ると、其処には私が立っていた。

 驚く私に対して、その私が笑みを浮かべていることを考えると、鏡ではないようだ。

 目を見開いている私に向かって、私は告げた。

「全ての苦痛から逃れることができるとするのならば、あなたはそれを受け入れますか」

 そのように問われ、私は首肯を返してしまった。

 訳も分からぬ恐怖に怯える日々を過ごすことは避けたかったからだ。

 私の反応を見ると、私は嬉しそうな声を出した。

「これでようやく、私もこの世界で過ごすことができます」

 どういう意味かと訊ねようとしたが、気が付けば私は、自分を見下ろしていた。

 何事かと問おうとしたが、声が出ることはない。

 同時に、私は吸い込まれるかのように天へと向かっている。

 困惑する私を見上げながら、私は手を振っていた。

「これにて、あなたは苦痛を味わうことがなくなりました。苦痛で満ちるこの世界とあなたたちを救うためには、このような方法しか存在していないのです」

 周囲に目を向けると、私と同じように天に向かっている人々の存在に気が付いた。

 人々が豹変した理由をようやく知ることができたが、疑問を解決することができたことに対する喜びなど、微塵も無かった。

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代理 三鹿ショート @mijikashort

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