第16話 ♠ 毒と喧嘩
夜になって仕事が一段落着いた頃、ひかりが突然家に来た。
「啓ちゃんはどこまで知ってるの?」
「唐突だな」
「大事なことだから……!」
「それはわかったから、まずは中入ったら?」
「あ、うん」
ひかりは靴を脱いで部屋に入り、いつものようにベッドに腰掛けた。俺はデスクチェアを回して向かい合う形になる。
ひかりは制服を着ている――ちゃんと学校へは行っているらしい。
「昨日のほむるちゃんの動画、何を言ってるかわかった?」
「ああ、一通り調べたからな」
「じゃあ昔のこと――ミカンちゃんに何があったのかも知ってるんだね」
「まあな。それでひかりがスパナを欲しがってる理由も察しが付いた」
ひかりはモデレーター権限を持つことによって、宮本ミカンのチャット欄に湧いた荒らしをどうにかしたかった――それを確認すると、彼女は黙って首肯した。
しかし、たったひとりの努力によってインターネットの悪意たちが大人しく引き下がるとも思わないのだが……何もしない・できないよりはマシだということだろう。
「啓ちゃん、もしかして『レードマン』の動画も観た?」
「切り抜きで、その部分だけな。だからそんなに詳しくは知らない」
「そっか……実は、今日も配信するらしいんだよね、フリルちゃんのこと」
レードマンというのはYouTuberの名前だ。
怪しいベネチアンマスクで顔を覆ったその男は、いわゆる”ゴシップ系”のネタをメインコンテンツとして配信していて、宮本ミカンの炎上の引き金となった人物だ。
「あいつ、ミカンちゃんのこと散々燃やして、今度はフリルちゃん――もしかしたらユメパッケージ全体に飛び火するかも……本当に許せない」
「配信は何時からだ?」
「もうこの後すぐ……ねぇ、啓ちゃんも一緒に観てくれない? もしもあいつがまた酷いこと言ったら、私、何しちゃうかわかんないよ」
「そりゃ、保護者として監視しないとな」
そうして、ひかりと一緒にレードマンの配信を視聴することになった。
『お前ら待たせたなぁ! 正義の炎上請負人、レードマンだぁ〜よろしくっ!』
薄暗い部屋でカメラに向かって喋る男。そして、それに沸き立つチャット欄。
レードマンのチャンネル登録者数は三十万人を超えていて、同時視聴者数もみるみる膨れ上がっていく。
●待ってたぜ
●レードマン!レードマン!レードマン!
●もっと配信頻度上げてくれよ退屈だった
●MiSAKiの彼氏疑惑について取り上げてくれ頼む!
『相変わらずチャット欄はえーなぁ。そう慌てんなよ。なになに……MiSAKiの彼氏疑惑? それは知らねーよ。あの解像度じゃ学ランも特定できねーし、情報が足りん』
おいサキ、なんか言われてるぞ。
……まあいいか。
『それよりもっ! 今日はぶいちゅーばーの話だよな。お前らが聞きに来たのは。まあ正直言ってユメパッケージに関してはそんなに情報は集まってないんだが、過去の炎上のおさらいでもやっておくか? それで、なんか知ってるやつがいたらタレコミしてくれや。DM開けてるし、通話もいけるぞ。正義のために、お前らの力を貸してくれ』
●やっぱ今の旬はぶいちゅーばーよな
●もうユメパッケージは潰したほうがいい
●炎上はVtuberのメインコンテンツだからなw
●俺は興味ないからリアルタレントの方がいいわ
●Vtuberのオタク全員泣かそうぜwww
正義のために、か。
このレードマンという男は、かつての俺に似ているところがあるかもしれない。
自分のことを正義だと思い込んで、他人を追い詰め、開き直っている。
周りの人間たちは興味本位で近づいて、彼に共鳴したり、あるいは拒絶反応を起こしたりするが、どちらにせよ話題にしてくれるなら彼が得をする。知名度が上がるし、その分、タレコミも収入も増える。最高で最悪な循環だ。
……よし、俺もその循環に一枚噛むか。
毒をもって毒を制す、だな。
オーディオインターフェースの電源を入れて、マイクを用意する。
「啓ちゃん、何してるの?」
「ちょっと
「は? レードマンに? いま?」
「そう」
俺はボイスチェンジャーを起動して、軽く動作確認をしてから、配信のチャット欄に投げ銭をした。
〈¥10000 凸希望。ユメパッケージのこと話したいです〉
『おお! 赤スパせんきゅー!』
「赤スパ」とは赤いスーパーチャットのことだ。一万円以上の投げ銭をすると、赤いカードで縁取られた目立つメッセージを送ることができる。それをレードマンは読み上げた。
『おーけー話そう』
「ひかり、声出さないようにな」
「わ、わかった!」
レードマンのDMにコミュニケーションアプリ「
「もしもし」
『もしもーし。タレコミしてくれんの?』
「いや、どちらかと言うとクレームですね。ひとこと言ってやろうかと思って」
『ああそう、
「……わかった」
ボイスチェンジャーをオフにした。
隣でひかりが震えながら目を見開く。
●喧嘩凸きたああああああ
●ボイチェンきもい
●こういう展開久々だな
●Vtuberのオタクか?
●凸者頑張れw応援してるぞw
『で、何の話?』
「かつてあんたが燃やしたユメパッケージの件だ。あんたが流した通話音声の切り抜き、あれは捏造だった。業者による工作で、宮本ミカンは無実の罪を着せられて、引退に追い込まれたんだ」
『まだそれ言ってるやついんのか……証拠でもあんのかよ?』
「証拠は無いが、証言ならあってな。内部情報ってやつだ」
『お前は関係者なのか? てか名前は?』
「そうだな……名前は『オウル』。ほむるの視聴者のひとりを代理して凸している」
●あの音声にケチ付けてる奴まだいたのか
●オウルってなんだっけ?なんかの鳥?
●厨二っぽいネーミングセンスだな
●視聴者の代理ってどういうことやねん
●話が込み入ってるな。誰か後でまとめて
『オウル、お前は俺の出した情報が嘘だって言うんだな』
「ああそうだ。あんな出所不明の音声、捏造だよ」
『あれはな、宮本ミカンと通話した本人からタレコミが来たんだ。しっかりと裏取りもしてるし、残念ながら正真正銘の本物だぜ』
「そうか。でも俺の方はあの音声を作った業者の名前までわかってる」
『いやいや、さっきお前、証拠は無いって言ったよな?』
「そう。だからいま集めようと思って」
『は? 何を?』
「その証拠を」
咳払いをひとつ挟む。
「これを聞いてるユメパッケージのオタクたち、俺のXitterアカウントに『ブライル』に関する情報を送ってくれ。いまIDをチャット欄に書き込む。ブライルが個人なのかグループなのかはわからない。でも、そいつが炎上に加担していることは確かだ。少しでも知ってることがあったら教えてほしい。それと、この配信は切り抜いて拡散してくれ」
『お前……俺の知名度を利用しようってか!』
●なんだこの展開www
●ブライルって言った?
●【悲報】レードマン、1万円で利用される
●よっしゃ俺が切り抜き作ったる
●俺も動画作ろうかな、広告収入うまそう
レードマンはガハハと笑った。
『まー精々やってみろよ。オタクたちの集合知を使っての証拠集め。もしも俺が間違ってたら、土下座でも何でもしてやるから。じゃーなっ』
通話が切れた。
「ふぅ。あー緊張した」
「私の方がしたよ! ほんと、何しちゃってんの!?」
ひかりが肩をビシビシと叩いてくる。
「撮れ高作っておいた」
「そういう問題じゃなくない!? 声出しちゃってるしさ!」
「俺の声なんて家族か職場の人間以外誰も覚えてねーよ。声変わりも遅かったし」
「というか、ちゃんと説明してよ」
「これまでのほむるの企画じゃ集合知が敵だっただろ? でも今回は味方に付けたかったんだ。レードマンの登録者数は三十万人いて、多分、嫌ってる人間はもっと多い。ワトソンなんてみんなそうだろ」
「それはわかったけど……『ブライル』っていうのはどこから出てきたの?」
「それはフリルのダイイングメッセージ。どうやら俺が最初に答えに辿り着いたらしいが、それを公にアピールしたんだ。”正解”を獲るために」
「何言ってるのか全然わからない……」
まあ、そうだろうな。
面倒だが、一から全部説明することにした。
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