第13話 ♠ 環境と技能
俺はある届け物をするためにサキのマンションまで
エントランスのインターホンに部屋番号を入れて鳴らすと、すぐに彼女は二つのドアを解錠してくれて、エレベーターへと乗り込んだ。サキの部屋がある7階へと上がる。
部屋のドアの鍵は既に開いていて、すんなり中に入ることができた。配信部屋へと入る前に、なんとなく嫌な予感がしたので、スマホのメモアプリに文字を打ってサキに見せる。
〈カメラとマイク、オフになってるか?〉
「えー、どっちだと思います?」
こいつなら、「啓先輩と私の関係、既成事実になっちゃいましたね」とか言って俺の姿と声を全世界に配信してもおかしくない。
ここは配信に載っている前提で動くことにしよう。
預かっていたものを鞄から取り出して、サキに渡した。
「ありがとうございます。でも一つ足りませんね」
声を出さずに首をかしげる。
「忘れちゃったんですか? 約束のアレですよ。アレ」
いま受け取ってどうする。
と思いつつも、鞄から学ランを取り出して渡した。
「はい、確かに受け取りました」
そう言って、サキはそれをその場で羽織った。
あれだな、なんだか運動会の応援団員の格好みたいだ。
最早コスプレに近いその姿で配信部屋に戻ろうとするサキの肩を叩いて引き止める。
「どうしました? 追加のアレの使い方はわかってますけど」
胸の前で手を合わせて、拝んだ。
頼む、勝ってくれ。
「……大丈夫ですよ。これだけ環境が整えば、わたし、負けませんから」
サキは小さいながらも力強い声でそう言って、配信部屋へと入っていった。
堂々としたその背中は、最高に頼もしく見えた。
トイレの便器に腰掛けて、スマホに無線イヤホンを繋ぎ、YouTubeの配信ページを開く。
なぜかしのだあきらのチャンネルで、なぜかほむるがいないが、それについてはこの際、些細な問題なのかもしれない。仕上がったファイターが二人揃っていれば、他の要素というのはおまけでしかないだろう。
サキはガチャガチャと準備を進めている。
『MiSAKiさん、どういう状況でしょうか?』
しのだあきらが声を掛ける。
『ああ、いまこれを届けてもらったので、繋いでます』
そう言ってサキはウェブカメラに向かってその”箱”を掲げた。
――アーケードコントローラー。通称「アケコン」
弁当箱を3つ並べたくらいのサイズの直方体に8つの丸いボタンとレバーが付いたそれが、サキが真の実力を発揮するために必要だったものの一つだ。
『アケコンですか。それはいいとして、その格好は……?』
『あ、これですか? 見ての通り学ランですけど』
『そうですか……まあ、いいでしょう』
アケコンのセッティングが終わって、サキの顔付きが変わった。
『お待たせしました。再開しましょう』
『全く、そんなもののために待たされるなんて……別に強くなったりしないでしょ』
ガイアサトシがクレームを入れるが、それに対してサキは淡々と応える。
『まあ、これだけじゃそんな変わらないですけど、もう一つ切り札があるんで。もうさっきまでのわたしとは思わないでください』
『ああそうっすか。それじゃ、再開しましょうや』
試合が再開した。
そして、サキが操作するほむるの動きは、完全に羽化した。
『これは一体、何が起こっているのでしょうか……!』
しのだあきらが困惑と興奮が入り混じった声を出す。
ついさっきまで一方的にやられていたほむるが、今度は一方的に青マッチョを痛めつけている。
そして、そのまま本日の初勝利をおさめた。これで1-6。
『あんた……何をした?』
『これがわたしの本来の動きです』
『そんなの、まるで……スザキじゃねぇか』
『よくご存知で』
事前にサキに渡していたのは俺が開発した追加のプログラムで、操作キャラクターの挙動を格闘ゲーム「
業火ノ拳はサキがプロゲーマーとして専門でプレイしているゲームであり、中でもスザキというのはサキの一番の持ちキャラ――つまりこれで、最も得意な操作でQWERTYファイターズのほむるを操ることができるようになった。
スザキの動きを解析してアケコンの操作と噛み合わせるのにはかなり苦労したが、どうにか試合開始直前にプログラムが完成して、そこから急いでサキの家に来たのだ。
通常のキャラクターならPCに繋げられる一般的なコントローラーでも良かったのかもしれないが、スザキの場合は複雑なコンボやボタンの同時押しなどを要求されることが多く、上級のプレイヤーは必ずアケコンを使うようにしているらしい。それはサキも例外ではなく、百パーセントの力を発揮するには、こうして環境を整える必要があった。
スザキの動きを纏ってからのほむるは、恐ろしく強くなった。
青マッチョの攻撃は全く当たらなくなり、逆にほむるの攻撃はほとんど全てヒットする。
戦績は2-6、3-6と追い上げていき、ついには7-6と逆転した。
『なるほどねぇ。女の子と試合するのも初めてだったけど、格ゲーのキャラと戦うってのも斬新だな』
ガイアサトシがタオルで首元を拭きながら言った。
『降参してもいいですよ』
サキの煽りに、ガイアサトシは首を横に振る。
『いや、段々わかってきたから。続けるよ』
『……わかってきた?』
『俺さ、プロでやってた時は、アドリブでの対応力が評価されてたんだよね。別に一撃で倒すようなハードパンチャーじゃなかった。どちらかと言うと、時間をかけて相手を分析するのが得意だったのよ』
『なるほど、じゃあ続けましょうか。わたしの手札、全部引き出してみせてください』
『はは。あんたも生粋の格闘家だな』
青マッチョの動きが変わった。それまでより一段回慎重に、冷静に動くようになって、ほむるの動作を見ている時間が増えた。これはおそらく、完全にカウンター狙いに切り替えたのだろう。
それに対してほむるは、俺では認識できないような僅かな隙を上手く突いて攻撃を繰り出し続ける。
どうにかそのまま押し切って8-6。
『MiSAKiさん、止まりませんね。ガイアサトシさん、いかがでしょう?』
『ああ、大丈夫。もうほとんど見切ったから』
それは、強がりを言っている風ではなかった。
そして実際に、次の一本はほとんど互角の勝負になった。
両者共に体力をミリまで減らして、お互いに一撃でも入れたら決まるという状況。
そこでそのまま見合って、時間切れとなった。結果、ほんの僅かに体力の数値が上回っていたほむるの勝利。9-6。
『ガイアサトシさん、いまのは惜しかったですね』
しのだあきらが興奮した様子で声を掛ける。
『次は勝つんで。見ててください』
その言葉通りに、ガイアサトシは次の一本を取った。
自分からはほどんど距離を詰めずに、逆にバックステップを多用して常に自分の距離で戦う。そして、ほむるの素早いコンビネーションに対して、的確なディフェンスとカウンターパンチを合わせる。そのままほぼ被弾ゼロで勝利。9-7。
『いまの動き良かったですね』
サキが満足げに言った。
『そりゃどうも』
『でも、いまのが最後です。もう次で決めるので』
『いや、勝たせないよ』
またもや拮抗した勝負。お互いに体力ゲージを同じペースで減らしていき、両者とも動作がやや慎重になる。
そこで、サキが声を発した。
『最後だから、色々と教えてあげます』
『何だよ?』
両者の動きが完全に止まった。
『ガイアさん、リアルで使ってるそのスペース、ちょっと狭いんですよね。だから時々トラッキングを外して、手元のコントローラーで身体の位置を調節している。そして、そのタイミングでキャラとのシンクロが途切れるのが大きな隙になってるんですよ』
『……それがどうした?』
『いま、これ以上後ろに下がれないでしょ』
『ああ、そうだな。でもこの状態からでもあんたの全ての攻撃にカウンターを合わせられるぜ。もう全部の手札、引き出してやったからな』
『それは半分正解ですね。確かにスザキの攻撃パターンは全て読まれているかもしれない。でも――』
サキがアケコンから手を離した。
そして、その奥に置かれたキーボードに手を置く。
『――実は、この状態でもQWERTYファイターズ本来のキー操作は受け付けているんですよ。そしてわたしは、このシステムを作った先輩からひとつの”楽譜”を伝授されている』
『……楽譜?』
『それをQWERTYキーボードで奏でると、ある一連の動作になるんです……こんな風にね』
ほむるが身体を背面に180度捻りながら青マッチョを飛び越えて、二人の位置関係が逆になる。青マッチョのバックを取ったほむるは、そのまま相手の腰に抱きついた。
『人間ができ得るほぼ全ての動作を再現できるこのゲームでは、こんなことも可能なんです』
『な、まさか!?』
ほむるは後ろからクラッチした状態で青マッチョを持ち上げて、そのままブリッジの姿勢になり、相手の頭部を地面に叩きつけた――プロレス技の「ジャーマン・スープレックス」だ。
ノックアウト。
10-7でサキがこの勝負に勝利した。
『そんなんアリかよ……流石に受けたことねーよ。ジャーマン・スープレックスは』
ガイアサトシは呆然と立ち尽くしている。それでも、その顔は半分笑っていた。
『対戦ありがとうございました』
サキは軽くお辞儀をして、それから敬礼のポーズを取った。あれはスザキが勝利した時にやるモーションだ。
これはとんでもないものを見たな……。
俺はトイレの中でスマホの画面に向かって小さく敬礼を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます