第2章 QWERTYファイターズ

第7話 ♠ 開発者と条件

 ひかりの影響で、またインターネットをよく眺めるようになった。

 ここ二年間は――別に謹慎というわけではないが――あまりガッツリとインターネットコミュニティと関わることを避けていたので、新鮮な情報を大量に浴びて、日々刺激を受けている。

 特にVtuberに関してはひかりから少しずつ色んなことを教わって、そのカルチャーの奥深さだったり、ひかりを含むオタクたちがどんなことに面白みを感じているのかが段々と理解できるようになってきた。


 色々と調べたところ、”Vtuberの定義”なるものはかなり曖昧らしく、「Vtuberとはこういうものだ」というのが人によってかなり異なっている。ただそんな中でひとつ自分の中に確かな感覚としてあるのは、これは様々な文化の集合体になっているということだ。


 Vtuberの見た目――いわゆるガワは日本ならではのイラストレーションや、それに近づくようにデフォルメされた3DCGであることがほとんどだし、そういった意味では漫画やアニメ表現の影響が大きいのだろう。


 しかしその中身――いわゆる魂がどんな活動をしているかというと、それはアニメに対する声優とは大きく異なっている。そっちに関してはYouTuberやネット配信者の文脈から来ているように思うし、Vtuberによってはそこにアイドル的な要素が加わったりもしている。

 他にもテレビのバラエティ番組や歌い手文化、ゲーム実況なんかが諸々寄り集まって、Vtuberというひとつのコンテンツになっている。


 そして、ファンの存在というのも大事な構成要素のひとつだ。

 多くのVtuberは自身のファンとインタラクティブな交流をする。コンテンツにファンの意見を直接取り入れたり、そこまで行かなくてもファンの反応を見て活動方針を決めることはあるだろうし、つまりは何かしらの影響を受ける。


 ファン側もVtuberから影響を受けて”推し活”をする。

 ひかりはイラストが描けるから、特定のVtuberのファンアートなんかも制作しているようだが、そういったスキルが無い者でも、他にも配信の面白い場面を切り抜いて短い動画にまとめたり、配信を盛り上げるためのお便りや、あるいはYouTubeのコメント機能を使ったメッセージを送ったりなど、何らかの方法でVtuberを推す。

 そういった意味では、Vtuberは体験型コンテンツ的なところがある。


 俺には”推し”というのはいないが、なんとなく、そういう存在を欲する気持ちはわかる。特定の他者を応援、あるいは崇拝して、生きる糧にするというのは、きっと心地良い体験なのだろう。


 強いて言うならば、俺は”テクノロジー”を信仰している。


 人類の歴史はテクノロジーの進化の歴史で、俺たちの先祖は何らかの見えざる力によって、科学技術を進歩させることに精力を注いできた。その営みを、俺は尊いと思う。

 Vtuberというのはテクノロジーの結晶とも言える。コンピューターグラフィックス、モーションキャプチャー、動画配信サービス、それから、メタバースもここに加わるだろうか。これらの科学技術と、これまでオタクたちが培ってきた様々な文化が混ざり合って、Vtuberという存在は栄えたわけだ。


 ただ、ほむるのことは、まだ今ひとつよくわかっていない。

 ひかりが言うには、ほむるのやり方は少し特殊らしい。即席の3Dモデルで、動画勢としての再デビュー。それは前世で「宮本ミカン」というVtuberを引退することになった事件を引きずっているらしいのだが、俺はその現場を見ていたわけではないので、過去に書かれた記事やYouTubeの配信アーカイブなどから断片的な情報しか拾うことができない。ひかりもあまり話したがらないし。

 ただ、「宮本ミカン」から「ほむる」に生まれ変わっても、ひかりは彼女のことを相変わらず推していて、その熱は揺らいでいないようだ。


 ――私はね、どんな手段を使ってでもスパナが欲しいの。


 ひかりは俺にそう言った。

 その言葉の重みを俺は痛いほどよく知っているし、幼馴染として放っておくわけにはいかない。何かあってからでは遅いのだ。

 だから、俺はワトソンという役職を全うしなければいけない。


 滑り出しは上手くいった。あと二回”正解”を獲得できれば、ひかりはスパナを手に入れられる。競う相手は一万人もいるのだから全く気を抜けないが、もしかしたらどうにかなるかもしれない。

 俺は俺で、あらゆる手を尽くして、ひかりを勝たせてみせる。

 あいつが今の状態になってしまったのは、俺に責任があるのだから。


 スマホが鳴ったので目を開けた。

 YouTubeからの通知――ほむるのチャンネルだ。

 ベッドに寝転がったままスマホを横向きにして視聴する。



『やあやあワトソンの諸君。元気にしているかい?』


 これまでの動画と代わり映えしない画面構成。ひかり曰く、簡易ツールとフリー素材に頼った低コストな作りらしい。最初は俺の目からだとそんなにチープには見えなかったが、最近になって色んなVtuberの存在を知り、トップ層と呼ばれるような企業所属のVtuberと比べられるようになると、彼女が言っていることも少しは理解できるようになった。この動画は、確かに金が掛かっていないように感じる。


『今日は新しい依頼人が来ているんだ。なんと、PR案件だよ。案件――素晴らしい響きだね。それじゃあ早速、通話を繋ごうか』


 画面が切り替わって、ほむるの隣にスーツを着た白猫のイラストが表示された。これが今回の依頼人の立ち絵か。


『どうもみなさん、お初にお目にかかります。個人ゲーム開発者の「しのだあきら」と申します』

『しのだ君、いらっしゃい。さて、今日はどんな依頼を持ってきてくれたのか、説明してくれるかい?』

『はい、かしこまりました』


 画面上部にスライド資料が表示されて、しのだあきらは耳ざわりの良いダンディーな声で説明を始める。


『私の依頼というのは、ほむる探偵事務所さんへのPR案件でございます。聞いたところによると、この事務所には優秀な助手さまが大勢いらっしゃるとのことで、皆様には是非私のゲーム開発に協力していただきたいと思っております』

『ボクがゲームを紹介するんじゃなくて、ワトソンたちが何かするのかい?』

『はい、左様にございます。今回PRしていただきたいのは現在私が開発中のPC向けゲーム――「QWERTYくわーてぃファイターズ」でございます』


 スライド資料に「QWERTYファイターズ」というタイトルロゴと、格闘家のキャラクターのグラフィックが表示される。


『それはどんなゲームなんだい?』

『こちらは新感覚の対戦型格闘ゲームとなっております。プレイヤーはなんと、操作キャラクターのほとんど全ての関節を自由に動かすことができます』

『関節を? なんだか複雑そうだね。操作方法は?』

『はい、おっしゃる通り、こちらの操作は大変複雑になっておりまして、いわゆるフルキーボードのキーをほぼ全てご使用いただきます。右手を握るキー、左膝を曲げるキー、背中を仰け反らせるキーなど、状況に応じてありとあらゆる操作を要求されます。また、キー操作の組み合わせによって、人間に可能な動きならほぼ全て再現できるようになっておりますので、最適な組み合わせをご自身で見つけていただき、オリジナルの技を繰り出して、対戦相手にダメージを与えていただければと――そういうゲームでございます』

『なるほど、それでQWERTYか。PCの代表的なキーボード配列だよね』

『はい、その通りでございます』


 QWERTY配列――いわゆる「パソコンのキーボード」を想像して、浮かんだものがそれだ。左上から右側に向かって「Q」「W」「E」「R」「T」「Y」の文字が並んでいることから、そう呼ばれている。


『そのゲームで、ワトソン同士が対戦するのかい?』

『ええ、そのように計画しております。この「QWERTYファイターズ」のベータ版を専用のウェブサイトでダウンロードできるようにしますので、ワトソンの皆様にそれをプレイしていただき、一週間の期間内に最も活躍した方一名を”正解”とさせていただこうかと』

『それじゃあ単純にゲームの腕前で勝負ってことかな?』

『いえ、そういうわけではありません。折角ワトソンの皆様に力を貸していただくのです。ここは、皆様の知恵をお借りしたいと思っております。具体的に申しますと、

『ほう』


 ほう。と、俺も同時に納得する。なるほど、こういうパターンもあるのか。

 ゲーム対決で勝ち抜けるのは難しいかと思っていたが、知恵比べの要素が含まれるなら、他のワトソンたちを出し抜ける可能性がある。


『私が求めているのは、皆様の発想力なのです。どうすればこのゲームがもっと面白いものになるのか、どうすればこのゲームで勝てるようになるのか、どうすればもっと売れるようになるのか。そういった自由な発想を求めています』

『それが結果的にPRに繋がると?』

『左様でございます。クオリティが低いまま大規模な宣伝をしたところで、それは穴の空いたバケツに水を注ぐようなもの。ユーザーを逃さない魅力を備えた状態まで完成度を高めて、ようやくスタートラインに立てると、私はそう考えております。だから、あえてベータ版の状態で紹介をお願いすることにしたのです』


 このしのだあきらという男は、物腰こそ柔らかだが、かなり計算高い野心家らしい。「穴の空いたバケツ」というのはマーケティング関連の例え話でよく使われるものだし、ベータ版をまずユーザーに触らせて、そこからデータを収集し製品を改善するというのはプロダクト制作において鉄板のやり方だ。

 こういうタイプは、正直言って嫌いじゃない。


『わかったよ。それじゃあワトソンの諸君、健闘を祈る。専用ウェブサイトへのリンクは概要欄に載せておくから、是非チェックしておくれ』

『ワトソンの皆様、ご協力よろしくお願いいたします』



 動画が終わって、俺の頭は猛スピードで回転し始める。

 どうすればこのゲームにおいて、”活躍”したと示すことができるのか。


 ワトソンの活動は、学校のお勉強とは違う。

 これは、答えの無い問いに対しての〝正解〟を見つける勝負だ。

 面白い――そう感じている自分に気が付いて、少し恥ずかしくなった。


 まずいだろ、俺がVtuberに本気になったら。

 自分の頬をぺしぺしとビンタした。

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