閑話① ♠ 正義が暴走した日
俺の現在の職業はソフトウェア・エンジニアだ。プログラマーとも言う。
職場は主に自宅。オフィスもあるにはあるが、あまり出社する機会は無い。
会議に参加する必要がある時も大抵はウェブで済ませられるし、飲み会なんかにも参加しない。まあ、年齢的に仮に参加できても飲めないが。
最近は生成AIの進歩が目覚ましくて、ソフトウェア・エンジニアの仕事というのは結構な様変わりを見せた。
自然言語――要するに普通の言葉で生成AIに指示を与えると、簡単なコードなら一瞬で書いてもらえる。あるいは、こんなデザインのソフトウェアを作れと画像を投げると、その通りにコーディングしてくれたりなど、どんどん手作業でプログラムを打ち込むということが減っていっている。
このままいけば、やがてはプログラミングに関する知識がほとんど無いような人間でもソーシャルメディアやオンラインゲームのような複雑なアプリケーションを開発できるようになるだろう。
それが5年後になるのか、10年後になるのか、はたまた半年後にはそうなっているのか、誰にもわからない。
これはエンジニアだけの話ではなく、イラストレーターだったり、シナリオライターだったり、そういうクリエイティブ系の職種についている人間は、日々失業のリスクと隣り合わせという状況だ。
しかし、俺はまだ生成AIには負けていない。
コーディングの速度という点では勝てないだろうが、より正確で、可読性や保守性が高く、堅牢なコードを書けるという点において、まだ俺の仕事を取られるようなことにはならないだろうと思う。
それに、コードを書くだけがエンジニアの仕事ではない。
同僚やクライアントとのコミュニケーションだったり、テスターやデバッガーとのやり取りも仕事の内だ。
その人間が何を欲しがっているのか。
そういう意図を言葉の中から汲み取って、実際に手を動かして形にする。
そんな作業は、まだ単純なAIには到底できない芸当だろう。
いわゆる汎用人工知能、ドラえもんのようなAIが完成するまでは、人間がコードを書くということはなくならないはずだ。
そんな日々の中で、AIに任せられないようなやや複雑なプログラミングをしていると、ちょっとした既視感を覚えた。
いま使っているマイナーなライブラリ、そしてそのコードの内容に近いものを、どこかで以前書いたことがある。
もし似通った処理を書こうとしていたのなら、その時のコードをコピペして少し手直しすれば使えるかもしれないので、一度手を止めて考える――そして、思い至った。
ああ、あのスクリプトに似ているのか。
あまり思い出したくもないが、二年前にまだ俺は高校一年生という肩書を持っていた。
当時はこのアパートからそう遠くない実家で両親と共に暮らしていて、特に不自由することなく学園生活を送っている、ごく平凡な生徒だった。
強いて不満を挙げるとすれば、学業が簡単すぎたことだ。
教科書は一度目を通せば大体は頭に入ったし、その確認作業である授業やテストというのは退屈に他ならない。かと言って、それらをサボれば教師からはダメな奴扱いされる。そういったシステムは本当に非効率的で非人道的な苦行に思えた。
これは、偏差値ではなく通いやすさで高校を選んだ俺にも非がある。
別に、学校教育というシステムを丸ごと批判するつもりは無いのだ。ただ、とにかく俺には合わなかったというだけ。
でも正直、どうとでもなると思っていた。
本格的な受験勉強をしなくてもそこそこいい大学に入れるだろうし、仮にそれに失敗したとしても、父が経営している会社でソフトウェア・エンジニアとして働けばいい。だから適当に日々をやり過ごして、適当に卒業しよう――というのが、俺のスタンスだった。
事件が起きたのは、丁度いまくらいの季節。夏の入り口だった。
俺のクラスにはAというヤンキー野郎がいて、よく問題行動を起こしていた。
Aは校則にも法律にも従わない。
登校してくる時間はその日によってまちまちだし、街中で喧嘩だか暴行だかして補導されることもあれば、バイクで事故って怪我してくる日もあった。もしかしたら免許すら持っていなかったかもしれない。
ただ、俺自身は彼から何かされたことは無いし、別にどうでもいい存在だと思っていた。三年間同じ高校に通って同じ空気を吸ったら、あとはおさらばするだけだ。
そのヤンキーAがある時期を境にBという男をいじめるようになった。
直接的な原因は勿論Aがカス野郎だったことだが、Bがその標的となった理由は、Bの耳が不自由だったからだ。
そんなBは俺にとって、数少ない話し相手だった。
彼はコンピューターサイエンスに詳しくて、プログラミングを趣味としていた俺はよく彼と議論を交わした。
最近はどんなWebフレームワークがイケてるとか、機械学習の画期的な論文が出たぞとか、有名なオープンソースのライブラリのコミッターになれて嬉しいとか、そういう普通の学生とはできないような会話ができるのが楽しくて、耳の不自由なBと色々工夫して会話した。
ヤンキーAにいじめられるようになったBは、学校に来る頻度が落ちていった。
そりゃそうだ。強制的に嫌な奴と同じ空間に詰め込まれるくらいなら、一人で過ごした方がマシ。俺だって同じ考えだった。
だから俺は、いじめの加害者であるAを学校から排除することにした。
ネットでよく見かける言説に、「人が最も残酷になるのは正義の側に立った時だ」というのがあるが、当時の俺がまさにそれだったと思う。
いじめを行うAは絶対的な”悪”で、それを裁く俺は当然”正義”の側の人間。つまり、俺がAに罰を与えることには正当性があって、どんなことをしても当然許されるものだと思っていた。
俺はまず、いじめの証拠を徹底的に集めた。
秋葉原の裏路地にあるような電気屋で超小型のカメラをいくつも購入して、教室やトイレ、更衣室、校舎裏なんかに仕掛けた。
しばらくすると、そのうちのいくつかがいじめの現場を撮影することに成功して、俺は決定的な証拠を握ることになった。
俺はそれを、インターネットに放った。
ただXitterに投稿したというだけではない。
自前のスクリプトで、ネット上に存在するあらゆる”書き込めそうなところ”に、動画のリンクを貼っていった。掲示板だろうが、まとめサイトのコメント欄だろうが、とにかく手当り次第に書き込みをするようにプログラムを組んだのだ。
結果、Aは見事に炎上した。
インターネット住民による私刑。
Aはネットの集合知によってどんどん詳細な個人情報を暴かれて、多種多様な嫌がらせを受けるようになった。
学校には度々電話が掛かって来ているようだったし、A本人もストーキング的なことをされるようになって、自宅に落書きや張り紙をされることもあれば、路上やレジャー施設で遊んでいるところを撮影・拡散されて、更に炎上の勢いが強まることもあった。もしかしたら俺が知らないだけで、肉体的な被害も受けていたのかもしれない。
その結果Aは、学校に来なくなった。
自分流の”正義”に浸かりきっていた俺は、その結果には大満足だった。
俺はただみんなに事実を知らせただけで、Aは当然の報いを受けることになったのだ。俺の勇気ある告発を褒めてほしいとすら思っていた。
でも、Aが学校に来なくなっても、Bが登校する頻度は上がることは無く、むしろどんどん下がっていき、俺は何かがおかしいなと勘づき始めた。
結果的に、俺の行いは学校にバレた。
自分のIPアドレスを特定されるようなヘマはしなかったはずだが、どうして?
答えは至極単純で、Bがチクったのだ。
俺は知らなかったことだが、Bの話し相手というのは俺しかいなかったらしい。つまり、リスクを負ってまで動画を拡散する動機があって、かつその技術を持っている人間が俺しかいなかった。だからBは、友人の湖傘啓がやったのではないかと教師に話した。
しらばっくれることもできたかもしれない。
そんなに単純な消去法で、俺がやったと決めつけることはできない。
でも、他でもないB本人による告発という事態で、ようやく自分が大変なことをしてしまったと気が付いた。インターネットの住人を操って人ひとりの人生を終わらせたのだ。だから、担任の教師に問い詰められた時に、俺はあっさりと自白した。
学校は俺に停学処分を言い渡した。
妥当な判断だと思う。退学じゃなかっただけマシだ。俺は素直に従うことにした。
でも、その決定に不満を持った人間がひとりいた。
たしかその時俺は、ロッカーに入れてある私物を鞄に移してから、職員室にいるであろう担任に挨拶に行くところだった。
突然何かが割れるような音がして、それから、聞き覚えのある声――幼馴染の森戸ひかりの怒号が廊下を揺らした。
職員室から俺の担任の女性教員が飛び出してきて、その後を追うようにピンク色の煙がドアから湧き出てきた。
ひかりは、職員室を破壊した。
その手には金属バットと消化器。
彼女は窓ガラスを割り、机をひっくり返し、消化器の煙を撒き散らして、力の限り暴れたのだ。それから、職員室に設置してある放送機器もジャックした。
彼女の主張は至ってシンプルで、「湖傘啓の停学を取り消せ」というものだ。その怒鳴り声が校内中に響き渡って、野次馬たちがぞろぞろと押しかけた。
そのまま1時間ほど職員室に立て籠もってから、最終的にはドアを破壊して突入した男性教師たちによって彼女は捕まった。
俺と一緒に、ひかりも停学処分になった。
LINEのメッセージで〈お揃いになっちゃったね〉と送られてきた時は、呆れると同時にほんの少しの嬉しさもあって、でも、最後に勝ったのは「申し訳ない」という感情だった。だから、〈俺のせいでごめん〉と返信した。
ひかりは、別に俺のせいではない、自分が勝手にやったことだと言って、最終的には〈むしろ誇らしい〉とまで送ってきた。俺は少しだけ笑った。
俺は高校を自主退学した。
一人暮らしを始め、父の会社でソフトウェア・エンジニアとして働くように両親に促されたのだ。
「お前に高校での共同生活は向いていない。もし大学に行きたくなったら自力で高卒認定を取ればいい」というのが両親の意向だった。
その後、ひかりの方は復学したが、学校で身の置き場に困っているのか、サボりがちになったらしい。
あいつには仕事になるようなスキルも無いし、将来のためにきちんと高校を卒業してほしいと思っているんだが、これまでは、立場的に強く言うことができなかった。
そんな状況で舞い込んで来たのが、「一緒にワトソンになってほしい」というひかりからのお願いだった。
彼女のことを手伝う代わりに、きちんと卒業してもらう。
そうやって過去に犯した罪の責任を取るために、俺は話に乗った――というわけだ。
昔話おわり。
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