第2話 ♥ 依頼人と謎

 私って自分が思っている以上に馬鹿なのかもしれない。

 馬鹿だから、すぐ感情的になってしまうし、物覚えは悪いし、二つ以上のことを同時に考えられないというか。それによって、目の前で繰り広げられている世界史の授業には全く関心が向かずに、さっきからスマホばっかり弄っている。

 調べているのは勿論ほむるちゃんのことだ。

 Xitterさいったーの検索欄に「ほむる」とか、前世の名前の「宮本ミカン」とかのワードを入れて、パブサ――いわゆるパブリックサーチをしている。


 インターネットのみんなは、本当に好き勝手にものを言う。

 ほむるちゃんは事務所所属の企業勢から、どこにも属さない個人勢へと転生した。そんな彼女を擁護する意見もあるけれど、中には誹謗中傷とも言えるような内容もチラホラあって、そういう言葉を目にする度に自分のことのように胸が痛む。

 いや、これはオタクの勝手な妄想か。本人の方がよっぽど辛いに決まっている。

 彼女は結構マメにエゴサするタイプだったから、きっとこういうインターネットの毒を沢山浴びて、苦しんでいるに違いない。


 そんなことを考えていると、いつの間にかやけに周囲が静かになっていた。

 顔を上げると、世界史の授業が中断されていて、目の前に教師が立っていた。


「森戸さん」

「あっ……はい」

「いまは何の時間ですか?」

「授業中です……」

「じゃあその手に持っているのは?」

「すみません、没収……ですよね?」

「話が早いですね」


 私はスマホを教師に手渡した。

 私の担任の彼はもうだいぶお爺ちゃんで、その手はシワシワだった。


「それと、放課後には補習授業がありますから、ちゃんと出席するように」

「はい、わかりました……」

「では、授業を続けます」


 こうして私は補習のために遅くまで学校に残ることになった。


 そんな大馬鹿者の私なりに、推しのために何ができるのかを考えて、やっぱり自分ひとりだと何もできなくて、悩みに悩んだ挙げ句、結局いつものように啓ちゃんを頼ってしまったわけだけれど――この性格はいつか直さないといけない。大人になるまでに、必ず。



 補習授業はやっぱり退屈なものだった。

 数人しかいない教室の後ろの方の席で、私は校庭を眺めている。

 運動部の生徒が何やら元気に駆け回っていて、私は「疲れそうだな」と思った。


「森戸さん……森戸ひかりさん」

「あ、はい」

「ちゃんと聞いてますか?」

「すみません……」

「学校に来ているのは良いことです。でも、最近は特に落ち着きが無いですね。何かありましたか?」

「別に何も。大丈夫です」


 私なんかを気にかけてくれる担任の先生には頭が上がらない。

 もうかなり歳だし、もしかしたら私のことは孫みたいに見えているのかも。


「そうだ、預かっているスマホ、後で職員室まで取りに来なさい。もう授業中に取り出さないように」

「わかりました」

「ところで、何を見ていたんですか?」

「えっと……ちょっとネットで調べ物を」

「それは勉強よりも大切なもの?」

「はい。推しVtuberです」とは言いづらいので、適当に誤魔化した。



 メタバースに幽霊が出たらしい。

 約五時間ぶりにスマホを確認すると、ほむるちゃんのXitterとYouTubeチャンネルから通知が来ていて、そう書かれていたのだ。

 スマホの通信制限のせいで肝心の動画はまだ見られないから、急いで帰宅する。この電車を運営している鉄道会社は、全ての車両にWi-Fiを設置するべきだと思う。


 幽霊……一体何のことだろう。スピリチュアル系の話なのか、それともそういう設定の何かなのか。よくわからないけれど、ちょっとドキドキする。


 それにしても、ほむるちゃんは動画投稿メインでやっていくつもりなんだろうか?

 多くの集客を見込める”初配信”をやらずに、二本連続での動画投稿というのは、そういうスタイルでやっていくという宣言にも見える。


 最近のVtuber業界の流行りは、もっぱらライブ配信だ。

 ブーム最初期の頃は動画投稿メインで活動するいわゆる”動画勢”の割合が今よりも多かったのだけれど、コスパの面だったり、視聴者が求めるものの変化だったりで、そういう文化に寄っていったらしい。

 そして、私の推し――宮本ミカンちゃんもライブ配信者グループの一員としての才能を発揮して、それは上手くいっていたように感じる。


 ――少なくとも、あの事件が起こるまでは。


 なんてことを考えていると、すぐに自宅に到着した。この時間でも誰もいない一軒家は外の世界と繋がっていないかのように静かで、私は「ただいま」も言わない。

 自室のパソコンを起動して、早速ほむるちゃんのYouTubeチャンネルを開く。

 ひとつ深呼吸をして、最新の動画を再生開始。



『やあやあワトソンの諸君。よくぞ集まってくれたね』


 ああ、この声。

 体温が上がるような感覚。やっぱり私の推しだ。名前も姿も変わってしまったけれど、その魂は変わっていない。私は、”この子”が好きなのだ。

 今回の動画も、前回の自己紹介と同様にコメント欄は閉鎖されていて、書き込みはできないようになっている。これに関しては、あんなことがあったのだから、まあ仕方がない。


『まずは、前回の動画を観てくれてありがとう。想定より多くの反響があってね、嬉しい限りだよ。ワトソンの人数も、依頼の件数も、これほど多くなるとは考えていなかった』


 登録者数一万人という数字は、多いのか少ないのかわからない。

 前世のチャンネルでは、約十万人の登録者がいた。これはデビューしてから引退するまでコツコツと積み上げてきた数字だ。当然、その全てが彼女のファンというわけではないし、転生したことによって、そこから更に厳選されたような形になっている。


 彼女のキャラクターは大きく変わってしまった。

 まず、3Dモデルの外見が違う。キャラクターデザインが違うというのも勿論あるけれど、この質感はおそらく「Vモデルメーカー」という簡易的なツールを使って、ゲームのキャラメイクのような形で作られたものだ。これまでのオタク活動で多くの導入事例を知っているから、顔を見ればわかる。

 衣装に関しても、そのツールにデフォルトで入っているモデルにそれっぽいテクスチャを適用しただけだろう。同じ形のコートを着ているVtuberを何人か知っている。ただ、帽子に関しては初めて見たので、3D素材の販売サイトで買ったのかもしれない。

 それから裏で鳴っているBGMはフリー音源で、背景として使っている事務所のイラストもフリー素材。この部屋は何度も見たことがある、無名の個人勢も追っているようなVtuberのオタクにとっては馴染みのある部屋だ。

 ついでに、モーションキャプチャはPCのウェブカメラか、iPhoneのデプスカメラで、ハンドトラッキングあり。結構滑らかに動いているから、Leap Motionを使っている可能性もある。

 ――という具合に、この映像からは色々なことがわかる。私が唯一啓ちゃんよりも詳しい領域かもしれない。

 ……別に自慢できるようなことじゃないけれど。


『さて、今日はボクにとって初めての”依頼人”が来ているんだ。数多くのメッセージの中から選ばれた、栄えある第一号だよ。それじゃ、早速通話を繋ごうか』


 画面が切り替わって、ほむるちゃんの横に女性の立ち絵が表示された。ピンク色のショートヘアでうさぎの耳が生えている3Dモデルだ。


『それじゃ、簡単に自己紹介してもらえるかな?』

『は、はい。普段はメタバースで活動しています、リコピンと申します』


 リコピンさんの声は男性だった。本当のジェンダーはわからないけれど。

 彼(暫定)は、画面越しにもわかるほど緊張していて、声が震えている。


『ようこそ、リコピンさん。メタバースというと、「NagisaVRなぎさぶいあーる」とか?』

『はい、そ、そうです』


 「NagisaVR」というのは、世界最大手のVRSNSの名称だ。最近になって急に”メタバース”と呼ばれるようになった。

 そこではユーザーが自分の分身となる”アバター”を纏って生活していて、”ワールド”と呼ばれる様々な空間を自由に行き来している。ゲームが遊べるワールドや、買い物ができるワールド、恐ろしいホラーワールドなど、あそこには様々なワールドが揃っていて、もし足りないものがあれば、自分で作って持っていけるのだ。

 私はVR機器は持っていないけれど、普通のパソコンやスマホからもアクセスできるので、少しだけ触ったことがある。


『NagisaVR――僕たちは「NVRえぬぶいあーる」って呼んでるんですけど、最近そこで奇妙な出来事がありまして……幽霊が出たんです』

『ふむ。NVRに幽霊が』

『そ、そうです。その時の映像が残っているので、それを観ていただければと』

『事前に送ってもらったアレだね。じゃあいまから再生するよ』


 メタバースで撮影されたらしい映像に切り替わった。そこは簡素な洋風の一室で、リコピンさんの他にあと三人のアバターが映っている。


『これは何をしているところなんだい?』

『これは、今度やるイベントの企画会議をしていた時の、まあ、議事録のようなものですね。それで……あ、この後です』


 映像の中に、もう一人のアバターが加わる。白髪はくはつロングの女の子だ。そして、最初に映っていた四人がざわついた。

 その女の子は四人に向かってゆらゆらと手を振って、それから画面奥の壁の中へと消えていった。

 映像はそこまでで終わりのようだ。


『なるほど……この白髪の女の子が幽霊なんだね?』

『はい、そうです。実はこの子――「SigLしぐる」って名前なんですけど、僕らの仲間だった人で』

『だった、というのは?』

『亡くなったんです。えっと、二ヶ月くらい前に』

『ふむ、つまり亡くなったはずの仲間が、幽霊になって会いに来たと』

『そういうことになりますね。ネームプレート――アバターの上に表示されているIDも生前のままですし、壁を通り抜けるなんてことは普通はできません。そして何より……あのワールド、「タイニー・クワイエット・ルーム」には、四人までしか入室できないようになっているんです』

『そこに五人目が現れたと……これは興味深い事件だね』

『はい、本当に、興味深いかと……!』

『ちなみにリコピンさんは、これは本物の心霊動画だと思う?』

『それは、えっと……わからない、です。でも、SigLくんがまた会いに来てくれたのなら、ちょっと嬉しいかも……です』

『なるほど、ありがとう。それじゃあ通話はここまでで』

『はい、ありがとうございました!』


 画面が元に戻って、ほむるちゃん一人きりになった。


『メタバースに現れた幽霊か。ワトソンの諸君、君たちはどう思う?』


 ほむるちゃんが真っ直ぐにこちらを見つめてくる。瞳のハイライトが何重にも重なっていて、天の川銀河を撮影した写真みたいだ。


『もし何かわかったことがあったら、是非教えてほしい。回答は三日後の正午まで受け付けるから、概要欄のフォームから送っておくれ。細かい検証が必要だろうから、心霊動画は単品でもアップしておくよ。君たちが”正解”に辿り着けるように祈っている。それと念のために言っておくけど、依頼人に直接コンタクトを取るのは禁止だからね』


 映像が切り替わり、チャンネル登録を促すテロップとクラシカルなBGMによって動画が終わった。



 しかしこれは、一体どういう依頼だったんだろう? 全くもってよくわからない。

 そもそも、デジタルな幽霊って何? そんなのどう考えたってトリックがあるに決まっている。それを解き明かせということなのだろうか……。

 とにかく、まずは啓ちゃんに連絡しよう。

 そう思い立って、LINEで通話を掛ける。すぐに繋がった。


「もしもし、啓ちゃん? ほむるちゃんの動画ってもう観た?」

『ああ、投稿されてすぐに観たよ』

「よかった。それで……どう思う? あの幽霊って……何か仕掛けがあると思うんだけど」

『大体わかったよ』

「へ? わかった……?」

『SigLのXitter見てたら大体な。それで、明日って空いてるか?』

「明日……土曜日だから、一日空いてるけど」

『じゃあ専門家に会いに行くから、付いてきて。15時に駅前集合で』

「え、どういうこと?」

『悪い、このあとすぐに仕事の打ち合わせがあるから、明日会った時に話すわ。んじゃ』

「ちょっと、啓ちゃん?」


 通話が切れた。

 いやいや、展開が早すぎる。

 私がワトソンに誘ったんだから、置いていかないでよ。

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