第三話

 疲れました。ぐったりと。王太子宮殿に帰ってお風呂に入り、ベッドに横になった私はべたーっと伸びてしまいました。その隣にローディアス様も寝そべりますが、彼もお疲れの様子で長々と溜息を吐かれました。


 まぁ、本当に、あんな皇太子ご夫妻アリなんでしょうか? と言いたいです。


 何しろあの後もアジュバール様もシャーヤ様も実に奔放に振る舞ったのです。


 お二人とも若い独身の方々に積極的な声を掛け、お互いお構いなしにそれぞれ好き放題に踊って談笑し、明らかに若い男女を惑わすような態度をし続けていたのです。私達があんな事をすれば直ぐさま私とローディアス様の不仲と浮気と不倫の噂が社交界に蔓延する事になるでしょう。


 それはあのお二人も同じだと思うんですけどね。実際、あれを見た方々は「アストラーヤ帝国皇太子夫妻は不仲なのではないか?」と思った事でしょう。ですけど、あのお二人は仲が悪い雰囲気は特になく、二人だけで談笑している場面も多くありましたよ。


 ただ、既婚者、しかも上位者が独身の異性に思わせぶりな態度を取ることは、常識的に考えれば愛妾、愛人を探していると取られます。お二人のあれを見れば誰でもそう思った事でしょう。


 しかもお二人は、既婚の方々とも積極的に交流しておられました。その、既婚者とは言っても若い方々とです。そしてアジュバール様はご夫人方と、シャーヤ様は当主の方々に積極的に交流を持たれておりました。親しげに話し掛け、ダンスに誘い、密着してワルツを楽しんでおられましたよ。


 ……既婚者同士が交流することは、普通は問題になりません。私だって既婚の男性からのダンスのお誘いは普通に受けますからね。ですがその場合でもワルツは避けるのが普通です。それは社交の場だとはいえ、親密に抱き合って踊っていたら、既婚同士でもどんな噂が流れるか知れたものではありませんので。


 それがあのお二人は遠慮無くベタベタとお相手を引き寄せ、しなだれ掛かるのです。一緒に踊る相手が戸惑ってもお構いなしでした。誤解されない方がおかしいです。


 いえ、これはあれですね。誤解とかそういう問題では無さそうです。あのお二人はどうも本気で浮気相手を探しているんではないかと思われます。なにしろ声を掛けるお相手が的確に美男美女ばかりでしたからね。特にお美しい容姿の方々にはかなり積極的に声を掛け、接触なさっておりました。


 ちょっと頭が痛くなってまいりました。大国の皇太子ご夫妻ともあろうものが、表敬訪問先の国で、国賓待遇で招かれた社交の席で、しかも夫婦同席のそこで、女漁り男漁りを始めるというのはちょっと私の理解を超えております。


 いえね、貴族にとって浮気や不倫は日常茶飯事だというのは存じておりますよ? 社交に出ますと、毎日毎日飽きもせずに色んな方の浮気や不倫のゴシップ話が流れておりますもの。嫌でも耳に入ります。


 それに、貴族にとって浮気や不倫はそれほど強く咎められるものでも無いという事情があります。それは、あまり大っぴらにやっては不味いですが。


 というのも、貴族の結婚はほとんどの場合恋愛によるものではなく、家同士の関係で結婚する当人の意思に関係無く決められるものだからです。つまり夫婦の間に全く愛情のない例も少なくないのです。夫婦だから仕方なく一緒にいて、仲良くして、子供も作るけど、愛情が無いなんていう夫婦も多数存在するのですよ。


 そういう夫婦はお互いで満たされない男女の愛情の部分を、他に求める事になります。つまり愛妾や愛人を作るのです。


 極めてぶっちゃけた事を言えば、愛妾愛人のいない貴族は少ないです。ほとんどの貴族当主は愛妾を持ち、多くの貴族夫人は愛人を持っています。しかも多くの場合、これはお互いの公認です。愛し合っていない夫婦を維持するために、愛情を満たす手段として互いの恋人を公認するわけですね。


 こういう愛妾や愛人は、ほとんどの場合親戚の家の者が多いらしいですね。一族の格下の家、そこの次女以下三男以下から選びます。これは変な家から愛妾愛人を連れてくると、財産問題や相続問題が発生する可能性があるからです。


 とは言っても、事は男女の愛情ですからそう都合よく親戚から愛する人が見つかるとは限りません。社交で見初めた方に夢中になり、恋人にする例も多くあります。そういう場合は愛妾愛人に迎える前に財産や相続の問題に方を付けてしまうそうです。


 一番厄介なのは、既婚者同士が愛し合ってしまった場合で、これはゴシップのネタとしては面白いですが、当人同士、当家同士では大問題に発展し易いです。離婚は基本的に認められていませんからね。泥沼、訴訟沙汰、決闘沙汰になって王家の裁定が必要なまでなってしまう事も多々あります。


 こんな感じですから、アジュバール様とシャーヤ様が浮気をしようが不倫をしようがそう責められる事では無いと言えなくもありません。特にお二人は王国に係累もいませんし利権も何もお持ちではありませんしね。言わば後腐れの無いお相手ですから、短期間の浮気相手としては格好の対象になってしまうかもしれません。


 しかしですよ? あのお二人は半ば押し掛けた形とはいえ、王家による招待、国賓として我が王国にいらしております。つまりお二人が王国にいる間は、お二人の行動は王家の責任下にあるのです。つまりお二人が何かをしでかすと、その責任は王家が負わなければならないのです。


 それなのにあのお二人がそれぞれ奔放に方々で男女関係を持たれ、いろいろな所で様々な問題を起こされたらどうなるでしょう。その責任は王家に掛かってくるわけです。王家。つまり接待役を公的に命じられている私とローディアス様です。それは頭も痛くなろうというものではありませんか。


「あまりにも噂通りだったな」


 ローディアス様が言う事には、事前にお二人が来訪したことがある国に調査の使者を出したそうなのですが、その結果アラストーヤ帝国皇太子夫妻が訪れた国で非常に「乱れた」生活を送り、その後の当国の社交界が大混乱に陥ったという情報が得られたのだそうです。なんですかそれは。


「中には婚約中だった王太子がシャーヤ様に溺れてしまって、婚約破棄騒動になってしまった国まであるそうだ」


 ……シャーヤ様の妖艶な瞳が思い浮かびます。あのお美しさであの豊満さで、あの積極性があれば、大抵の男性はコロッと参ってしまうのではないでしょうか。経験も豊富そうですし、男性を手のひらで転がすなどお手の者なのだと思われます。


 まさかと思いますけど、そもそもがその目的で各国を歴訪しているんじゃありませんわよね? どうもそんな疑いまで湧いてまいりましたよ。だとすればとんでもないご夫妻を我が国は招き入れてしまったものです。


 私はため息を吐きつつ、いつも通りローディアス様の右腕を抱え込みました。彼の肩に頬を乗せるような姿勢をすれば寝る準備は完了です。ローディアス様も疲れたのかもう目を閉じて寝る寸前です。


 私も夫の意外と筋肉質な腕の弾力を感じながら、フワフワと意識が遠のいていきます。眠りに落ちるその瞬間、ちょっとだけ、ローディアス様に腰を抱かれてニヤッと笑うシャーヤ様を思い出して嫌な気持ちになったのでした。


 ◇◇◇


 初日の懸念は当たりました。まぁ、ああまであからさまですと外れようがありませんでしたけども。二週間も経つとそれが明らかになってまいりました。


 苦情殺到です。私とローディアス様のところに。つまり「アジュバール様とシャーヤ様をなんとかしてくれ」という苦情ですね。


 何でもあの方々は予想通り、あちこちで若い男女を誘惑しているそうでして、何人もの男女がその魅力に囚われてしまったそうです。まぁ、アジュバール様もシャーヤ様も異国情緒溢れる美形ですしね。その彼らからの誘惑に耐えられない方がいてもおかしくはありませんでしょう。


 しかしながら、若い子女を抱えるお家としては仕方ないでは済まされないという事情も分かりますよ。いくら恋愛と結婚は別とはいえ、既に婚約をしている女性が異国の皇太子にデレデレしていたのでは、相手の男性もそのお家も面白くはありません。逆もまたしかりです。シャーヤ様に夢中になってしまった男性の婚約者が、婚約破棄を叫んで大問題になっている例もあるそうです。


 なんでそんな事になるのかというと、アジュバール様もシャーヤ様も誘惑を隠そうともしていないからです。夜会で堂々と相手を誘い、口説き、そしてベタベタと愛を囁くのです。つまり誘惑される相手は、自分のパートナーそっちのけでお二人に惹かれているのが誰の目にも見える状態である訳です。いくら貴族社会が浮気不倫に寛容だと言っても限度がありますよ。


 それにしてもパートナーをそっちのけで浮気に精出しているのはあのお二人も一緒なのですけど、それにしてはあのお二人はそう仲が悪いようには見えません。つまりこのお二人の浮気と不倫は「遊び」なのでしょうね。これはもう最初からはっきりしておりました。だからこそ始末に悪いのですが。


 それにしたって社交の場で堂々と他人の妻の手を取り、キスまで交えてワルツを踊るアジュバール様も、婚約者ある男性と密着して座ってベタベタするシャーヤ様も、どうにも私の理解を超えております。私はこれでもこれまで品行方正で貴族婦人の見本になるような王太子妃になるよう育てられておりますので。


 しかし浮気や不倫に寛容な貴族社会で、お二人がこれほどの波風を起こしてしまったのは何故なのでしょう。多少の浮気は甲斐性の内。夫も夫人もこれを許すのは度量と見做されているくらいなのです。それなのに妙に問題が多くなる事例が多いように感じます。夫を奪われたと泣く夫人、婚約者を誘惑されたと怒る貴族の次期当主が私の元に毎日のように「あの皇太子夫妻を国外に追い出して欲しい!」と訴えてきます。


 疑問に思った私は調べさせたのですが、それで分かったのは、あのお二人がことさら、特に仲の良いご夫婦や婚約者同士を狙って誘惑を繰り返しているようだ、という事です。


 貴族の夫婦や婚約者に愛情など無いのが普通だと申しましたけれども、例外は当然あります。婚約、結婚時点では愛がなくても、二人で過ごしている内に心が通い合い、恋情が発生する場合も多いのです。特に離婚が認められていないのですから、夫婦仲の悪さは家庭での居心地の悪さに直結します。ですから、婚約結婚した男女は多少の事には目を瞑ってなるべく仲良くなろうと努めるものなのです。


 ですから仲が特に良くて浮気や不倫の噂など全く無いご夫婦も当然いらっしゃるのです。婚約してすぐにお互いを気に入り、恋愛結婚するかのような婚約者同士も珍しくありません。あのお二人はどうやらそういうカップルを重点的に誘惑しているというわけです。


 なんとも質の悪い話ではありませんか。なんですかそれは。要するに仲睦まじいカップルをわざと仲違いさせているというわけで、それは騒動になる事が多いのも頷けます。離婚だの婚約破棄だのいう騒ぎが頻繁に聞こえてくるわけですよ。


 単純に浮気相手を探しているだけならそれほど大きな問題ではありませんが、我が国の貴族社会にわざと波風を立てているとなると放置出来ません。私はローディアス様と話し合った上で、アジュバール様とシャーヤ様を王宮のサロンに呼び出しました。


  ◇◇◇


 腕を組んでやってきたお二人と、私とローディアス様が向かい合って座ります。お茶が出され、お茶菓子を勧めながら私たちはまず世話話から始めました。いきなり本題を話し合うのは優雅ではありませんからね。お二人に王都の感想などを聞きましたよ。


 そしてお茶が入れ替えられたタイミングで本題に入ります。ローディアス様が「貴族達から苦情が来ているので、若い子女を誘惑するのを止めて欲しい」というような事を貴族的に遠回しにお伝えします。アジュバール様もシャーヤ様も分かっているのかいないのか、ニコニコと微笑んでおられます。


 ちなみにこの時、お二人の服は王国で流行している服になっております。アジュバール様は紫色のスーツ。シャーヤ様は優美な濃いグリーンのドレスですね。しっかり着こなしておりますけど、お顔の肌の色がやや濃いので王国の貴族とはやはり印象が違って見えますね。


 ローディアス様の発言を聞いてアジュバール様は簡単に頷きました。


「良かろう。私としても両国との関係を悪化させる気は無いからな」


 そのお返事を聞いて私は少しホッとしました。シャーヤ様は面白そうに笑うだけで何も仰いません。しかしアジュバール様はニヤッと笑って続けて仰いました。


「だが、私が誘惑しなくても、向こうから言い寄られる分には仕方があるまい? 自由恋愛というものだ」


 ……つまり相手から言い寄られた分には浮気を止める気は無い、という事ではありませんか。それでは問題の解決になりません。今やアジュバール様が「親密に」なられた令嬢やご夫人は多数に上り、彼女達はアジュバール様が夜会に入場なさると黄色い声を上げて彼に群がるのですから。


 ローディアス様も笑顔のまま渋い顔です。そんな私達を見てアジュバール様もシャーヤ様も面白そうにお笑いになっておりましたね。


 結局、彼らは言を左右にして浮気相手を探すことを止めるとは言いませんでした。お二人が帰られた後、私もローディアス様も頭を抱えてしまいました。どうしたものでしょう。


 するとローディアス様が眉を顰めながら仰いました。


「仕方が無い。ソフィア。今晩の夜会から君はアジュバール様に、私はシャーヤ様に付いて、彼らが相手を誘惑するのを妨害しよう」


 はい? 首を傾げる私にローディアス様が説明して下さいます。


 つまり、これ以上アジュバール様とソフィア様を野放しには出来ないということです。夜会で好きに振る舞わせておけば、彼らは好き放題に若い貴族の子女を誘惑し、貴族夫婦の関係にヒビを入れ続ける事でしょう。これ以上貴族社会が混乱すれば、下手をするとその混乱への不満が王家への不満に転換してしまうかも知れません。


 しかしお二人を予定を早めて追い返すことは非礼であり、今後のサルバーン王国とアストラーヤ帝国の関係を考えると避けたい所です。


 ですから残された手段は妨害しかありません。お二人に浮気相手が近付くのを妨害するのです。しかし例えばローディアス様の部下や私の友人に妨害を頼んでも、お二人に「邪魔だ」と言われれば道を空けざるを得ません。


 ですから妨害役はお二人のカウンターパートであり、お二人でも軽々に命じる事が出来ない私達王太子夫妻がやるしかないのだ、という事でした。そして、それをやるのにはお互いが異性の方にいる必要があるのです。もしもローディアス様がアジュバール様のお側に付き女性へのアプローチを妨害した場合、それはローディアス様がその女性に横恋慕したという事になってしまうからです。そんな事になったら問題がもの凄く複雑になってしまいます。なるほど。理屈は分かりました。


 しかし……、私は考え込んでしまいます。


 それは私があの馴れ馴れしいアジュバール様のすぐ側にいなければならないという事を意味します。自然と私も眉の間に皺が寄ってしまいました。正直、私はあのベタベタする方が苦手で、最近はなるべく近付かないようにしていた位だったのです。


 そして彼の側で他の女性への接近を妨害するというのは、見方によってはアジュバール様を独占したがっている、という風に取られてもおかしくありません。一応、王太子夫妻はお二人の接待役に公式に任ぜられておりますから、お側にいても問題はありませんし、妨害の方法を考えればギリギリ変な噂を立てられる事は避けられようとは思いますけど。


 悩む私に、ローディアス様も非常に嫌そうなお顔を隠そうともせず(二人だけしかいないので作り笑顔をする必要が無いからです)、出来るだけなるべく、お二人と私達が四人で揃うようにして、妙な噂が出ないようにすること。浮気の心配の無い年嵩の貴族夫妻を近くに寄せて、若い貴族から二人をなるべく遠ざける事を話し合って決めました。


 残る懸念は一つです。そうです。シャーヤ様です。あの方は最初からローディアス様を不倫相手の本命と見ているのでは無いかと思えます。女の勘です。あの顔は明らかにローディアス様を私から奪ってやろうと、というお顔でしたもの。


 ですけどね。そんな事はローディアス様には言えませんよ。ええ。言っても良いのでしょうけど。夫婦なんですから。でも、その、何となくそんな事は言い辛いです。「シャーヤ様が貴方を誘惑しようとしているのだから、囚われないように気を付けて下さいませ」なんて。


 そんなの、私がローディアス様を独占しようとしているようではありませんか。そんな権利が私にあるのでしょうか。五歳の時に訳も分からず結婚した、今でも夫婦生活を行っていない、愛し合っているとはとても言えない夫婦である私達に、お互いを独占する権利なんてあるんでしょうか。


 ローディアス様が私以外で愛情を満たそうとするのなら、それを許容するのが妻の度量であろうと思います。余所の愛し合わないご夫婦はそうしておりますもの。私が彼を愛してもいないのに、ローディアス様にだけ操を守ることを求めるなんておこがましいではありませんか。


 ですから私はせいぜいこう言うしかありませんでした。


「お気を付け下さいませ。ローディアス様」


 すると、ローディアス様は本気で嫌そうな顔でこう仰いました。


「そっちもな。言っておくが、私は君と一緒に寝られないような事をする気は無いからな」


 はい? 私はまた首を傾げてしまいましたけど、ローディアス様はそれっきり不機嫌そうに沈黙して、何も説明しては下さいませんでした。



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