第1章 第16話 夜明け

 気が付けば見慣れた天井がそこにはあった。頭が回らないまま身体を起こそうとして力を入れる。

「痛ッ!」

 その瞬間、全身の特に腕にかけて激痛が走った。

 筋肉痛とは違う激痛の残り香とも言える痛み。痛みが全身に回っていくにつれて寝ていた時の記憶が鮮明に呼び起こされていく。感情的に消化しきれない膨大な情報が頭の中を駆け巡っていた。

「あ!やっと起きた!」

 久しぶりに天音の明るい声を聞いた気がした。

「一週間もずっと寝ていたんだよ。しかも、最初の三日間くらいはずっと呻き声を上げてさ。何が起こっているのかも分からないし心配だったんだよ」

 心配、か。天音は今までと変わらぬスタンスで接してくるのだと、零はこの言葉で理解した。そして、零も時が来るまでは今までと変わらぬように接しようと決めた。

「悪い。心配かけた」

「本当だよ。全くもう」

「なあ、手鏡持って無いか?自分がどうなったか、ちゃんと見ておきたいんだ」

「気付いてたんだ。いいよ。ちょっと待ってって」

 そう言って天音は戸棚の方へ向かい、普段はあまり使わない少し埃の被った手鏡を零に手渡した。

 零は手鏡に映った自分を見て思わず感嘆を漏らす。一番最初に目に付いたのはオッドアイになった瞳だった。右の瞳はあらゆる光を吸い込むような純黒で、見るものすべてを引き付ける引力を持っていた。左の瞳はあらゆるものを照らす煌めいた純白で、何色にも染まらない力強さを持っていた。宝石よりもずっと綺麗でナルシストでない零でも鏡に食いつくように見入ってしまった。所々白く染まった髪も光沢が煌めく見事な白で白髪になったことを誇れるほど上等なものだった。

「私の見解を言うとね、零には『霊転蠱貢』の他にもう一つ特殊霊媒体質がある。正直それがどういうものなのか情報が少なくてどういうものかは分からないけど、今まで零が悪霊に襲われてこなかったのはその体質が眠っていたからだと思うんだ」

「少なくとも『霊転蠱貢』とは真逆の体質だよ。あれを仮に汚染という風に表現するなら、これは浄化するものだ。それも『霊転蠱貢』の汚染よりもはるかに強力なさ」

「まるで過去に存在していた陰陽師みたい」

「もしそうなら、陰陽師ってのはしんどいものだな」

 零は天音の言葉に思わず言葉を漏らしていた。

「え?」

「いや、なんでもない。それよりもさ、陰陽師に天秤を持った男っているか?」

 死の淵で自分の原点を思い出した零は、存在する確信を持って天音に尋ねた。天秤のおじさんと零が出会ったキッカケは、外に飛び出した零がまだ自身で悪霊化させた幽霊に見慣れず泣いていて彷徨っていたことだった。零が悪霊化させた幽霊を祓う姿は当時の零にはヒーローに見えた。けど、今なら天秤のおじさんは陰陽師だとはっきりと言い切れる。

「……穂波慶介ほなみけいすけ

 天音の声色が変わった。低く、恨みを込めるような声色で、静かに男の名前を溢す天音。その様子は半年間見てきた天音では考えられないほどの怒りを露わにしていた。

「天音?」

「ごめん。彼とは色々とあってね。彼は陰陽師の世界の安定を図るバランサーなんだ。一条家が壊滅した件でちょっと揉めてさ」

 零の声で我に返った天音が少し気まずそうに語った。

「そうなのか」

 天音と慶介が揉める様子をあまり想像できない零はしっくり来ないまま生返事をした。

「穂波慶介と知り合いだったの?」

「まだ小さかった俺に道を示してくれた人なんだ。あの人が居なかったら今の俺はここにいなかったと思う。と言っても、今までずっと忘れていたけどな」

「そうだったんだ。そっか。なら、残念だね。穂波慶介は半年前くらいに亡くなったんだ」

「そうか。それは残念だ。もう一度会って、礼を言いたかった」

「仕方ないよ。陰陽師は死と隣合わせだから」

「そうだったな」

 暗い顔をした零は、実感の乗った声で同意した。

「暗い顔しないで。そんなじゃ回復するものも回復しないよ。そうだな……やりたいことを考えると良いんじゃない?そしたらちょっとは明るくなれるでしょ」

 天音は心配そうな顔で零に語りかけた。

「やりたいこと、か……あっ!」

 天音のその言葉に零は一つ思い付く。やりたいこととは少し違うが、試してみたいことがあった。

「俺の血で染色した布で作った手袋」

「手袋?」

 天音は何を言い出したのか分からないという表情で零を見た。

「修練場で触手の亡者と戦ったとき、あの触手が俺の右手から瘴気を吸収しようとしたんだ。けど、あいつは血で汚れていた俺の右手から瘴気を吸収できなかった。だから、俺の血で作ったもので手を覆えば、『霊転蠱貢』を無害化できるかもしれない」

「それで手袋か……それなら陰陽霊具を専門とした職人に頼めば作れるかも」

 納得した天音は少し考えると、思いついたように零に提案した。

「陰陽霊具?」

「明治の文明開化以降に血と才が廃れ始めた陰陽師たちが仕事を続けていくために作り出した西洋の技術を取り入れた支援道具だよ。穂波慶介が持ってた天秤は癪だけど、分かりやすい例かな」

「あれか……」

 零は幼い頃の記憶を思い出す。慶介の第一印象を変なおじさんとした派手な装飾の天秤。片時も天秤を持って行動していた慶介は、今振り返ってみても変な人だった。

「けど……本当に言いづらいけど!多分できても着けるのが恥ずかしいくらいダサいと言うか……零のその髪と目に合わさるとかなりイタい人になるんじゃないかなって……」

 いつもはっきりとものを言う天音が、本当に歯切れが悪く、気まずそうに言葉を紡いだ。

 確かにな、と零も思うことがないわけではないが、それでも背には変えられなかった。

「それでもとにかく試しに作ってほしいんだ」

「分かった。それなら今すぐにでも連絡しないとね」

 天音はそう言うとどこかへ行ってしまう。零は天音が部屋から出たのを確認すると溜め息を吐いた。

 起きた時から予感していたことだが、天音と話すのはやはり気まずい。あんなことがあっても天音は自然体で話しているが、零はそこまで器用じゃなかった。

 それから勝手な気まずさを感じながら天音と過ごし二週間ほどが経った頃。ようやく零の痛みが治まり、天音の介抱なしでも歩けるようになった。

 天音に修練場に呼び出された零は、警戒心を強めて天音の元へ向かう。

「そんなに怖い顔しなくても良いのに」

 修練場に入ってきた零を見た天音が、零に向かって笑いながら言った。

「二つ目の依頼の話をするんだろ。緊張もするさ」

「よく分かったね。二つ目の依頼はこれさ」

 そう言って天音は分厚い封筒を零に手渡した。零が封筒の中身を取り出すとそれは心霊現象が確認された場所についての情報が書かれていた。

「これは全国から一条家に寄せられた除霊の依頼書。全部で五百件分くらいだったかな。零にはこれを一人で巡って祓ってもらう」

「期限は?」

「ないよ。けど、限界を感じたら私に必ず連絡して。じゃないと私がいつまでも待ち続けることになっちゃうでしょ」

「了解した」

 零はそう言って天音に背を向けて出口へ向かう。

「え?どこいくの?」

「今日中に出るから荷物をまとめに部屋を出るんだよ」

「質問とかも特にないの?」

「ないな」

「へ~。最初の依頼の時はあんなに不安そうな顔をしていたのに……成長だね」

「今ならなんでもできそうな気がするんだ」

 零は晴れやかな表情で本心からの言葉を伝えた。天音は初めて見る零の表情に少し驚き、面白そうに笑ってから零に木箱を投げて渡した。

「なんだよ。これ」

「餞別。零が依頼してた陰陽霊具。ついさっき届いたんだ」

 零は木箱を開けて中身を確認する。

 そこに入ってたのは光沢を放った黒い革手袋だった。

「凄いよね。こんなに格好良いものができるなんて。中の生地は零の血で染めたものを使っているって言っていたかな。血は染料として使っても違和感がないように加工しているから手触りが良いでしょ」

「ああ」

 零は革手袋を着けて、着け心地を確かめる。サイズ感は丁度良く、手触り、動作性も違和感がなかった。

「なら良かった」

「色々、ありがとな」

 零は改めて天音に向き合い目を逸らさず感謝を伝えた。

「まだ、終わりじゃないないんだよ」

「今しか言えないと思ったんだ」

「そう。私は君からの吉報を気長に待っているよ」

「分かった」

 零は最後に天音の顔をしっかり見て天音に背中を向けた。

 おそらく次に会う時は互いに刃を向け合っているだろう。それがいつかは分からないが、その未来だけは絶対にくる。

 それまでに答えを出すよ。

 今は、ちゃんと礼が言えて良かった。

 

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