第1章 第15話 暁

 零の体内に亡者が侵入して一分ほどが経過した。天音は零の死を確信してキャットウォークから亡者に絡めとられて立たされている零の死体へ向かっていた。

 本来、人間が亡者に憑かれてから自我を失い、死に至るまでに五日の時を要する。どんなに強力な亡者であっても乗っ取ることを前提して憑き殺すなら最低でも一日は必要だった。

 しかし、零は天音の血を半年の間毎日摂取し続けていた。弱めて毒を取り込み、抗体を作る考えは決して間違いではなく、過去歴史に残る陰陽術たちは邪を祓う過程で少量の瘴気を自然と取り込んでいたため、邪に侵されない体が出来上がったと考えられていた。だが、天音の血液は猛毒。それを半年かけて少量ずつ取り込んでいった零の身体は、自覚症状なしに天音の亡者に憑かれた状態と同じになり、天音と繋がりをもつ亡者には簡単に憑き殺すことができるようになっていた。

 『霊転蠱貢』も亡者が避ける謎も全てが手に入ると、天音は気分よく亡者が群がる修練場の扉を開く。

 そして一歩、修練場の中へ足を踏み込んだ。その瞬間、完全に堕ちたはずの零の身体が白く輝き始める。

 太陽のように眩く、鼓動が鳴り響くように熱い熱気を放っていた。

「「「ぁぁぁぁぁぁぁ―――」」」

 亡者たちは白い光に包まれ、間抜けな声を上げて消えていった。

 激しい輝きが収まり、目を伏せていた天音がぼやけた視界で周りを見渡すと零の体内に入らず群がっていた亡者が二十体ほどまでに減っていた。

 そして、その中央には完全に死んでいたはずの零が、仁王立ちになっていた。零の髪の毛には白髪が混ざり、その右目は今までの黒目よりもより漆黒に、左目は先ほどの輝きのように白く燃えていた。

 天音は変化した零の中に新たな特殊霊媒体質が目覚めていることを確かに感じ取った。『霊転蠱貢』が消えたわけでも変化したわけでもない。今まで零の中から一つしか感じなかった特殊霊媒体質の気配が二つになっていた。

 零は残っている亡者に注意を向ける。今まではそんなに感じていなかった邪気が、視認しなくても位置が分かるほどに痛い程肌に伝わってきた。

 ここからどうしたものか、と零は思考を回転させる。

 零が外に気を配りながら思考を進めていると、亡者の方が先に動いた。零を囲んでいた亡者は一つの箇所に集まると、形を変えて大きく、ウエディングドレスの亡者と同等以上の邪気が満ちたスライムのようなものに変化した。

 そのスライムは体から二本の触手を伸ばし、零の方へ拳を向けるように襲い掛かる。

 身体が軽い。

 身体の変化に驚く零は向かってくる二本の触手を完全に捉え、左右に揺れるように最小限の動きで躱した。だが、急な身体の覚醒に慣れていなかったせいで頬に触手の一本が掠り、頬を軽く切ってしまう。

 零は頬に垂れる血を右の手のひらで拭って、スライムの次の攻撃に備える。有効な手立てがない以上、無暗に突撃するより逃げ回る方が勝ち筋があるように感じた。

 スライムの形がさらに変形する。体全体を無数の触手に変形させて、それぞれが独立した思考を持っているように零に向かっていく。

 何でもありかよ、と零はギョッとして、修練場の床を蹴る。迫りくる触手の一団を躱し、触手を伸ばしているスライムの描くから距離を置くように走り出した。

 触手は零に躱されて壁や床に削っても、止まることも戻ることも知らないように無限に伸び続けた。触手同士は絡み合うことなく、触手同士が複雑に絡み合いそうになる交点で一つに纏まり、そこから新たな触手が生えていく。

 身体能力が向上した零がいくら策を弄して逃げ回っても万能なその触手相手ではジリ貧だった。

 零は右足首を触手に捕らえられた。零は右足首を触手に捕らえれたせいでバランスを崩す。触手は零がバランスを崩した瞬間を見逃すことなく、その触手の恐ろしい伸縮性を持って零を宙に吊るした。

 零は右足首をスライムに掴まれ、頭を逆さにして、宙に吊り上げられていた。スライムは満足そうな気持の悪い笑みでもう一本触手を出して零の右手を狙った。

 右手から瘴気を吸収して強化するつもりか、と察した零は、身体を捻り触手を躱そうとしたが圧倒的な手数に負けてしまう。

 だが、触手が零の右手を捕らえた時、予想外にも触手が焼かれたような音を立て、スライム本体が悶絶した。

 悶絶して暴れるスライムは零の右足首を開放し、零は壁に投げつけられることになったが自由を得た。

 痛いで済む自分の身体の頑丈さに驚きながら、零は右の手のひらを見る。血に染まっている以外何も変わったところのない右の手のひら。邪気や瘴気と言ったものを敏感に感じ取れる今の零は、右の手のひらから溢れる瘴気がしっかりと目で見えていた。

 それなのになぜスライムは強化されず、逆にダメージを追っているのだろうか。

 気になる点があるとすれば右手が血に濡れているという点。

 賭けるか、と零は落ち着きを取り戻し始めたスライムを見て覚悟を決めた。

 立ち上がった零は一目散に短剣のところまで駆け抜ける。零が動き始めたことに気付いたスライムは零の道を邪魔するように触手で襲い掛かった。

 零はようやく短剣の目前まで走り着いたが、触手は零の囲い込むように伸びていた。零は飛び込むように短剣を手に取り、空いた左の手のひらを思いきり切りつけた。

「ぐっ」

 切りつけた左の手のひら焼けるように痛い。それでも零は声をグッと堪え、その血の滴る短剣で祈るように触手を切りつけた。

「ゔぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 零を囲んでいた触手を全て引きながら、スライムは悲鳴を上げた。

 零はその隙を見逃さず、スライムとの距離を一気に詰める。そして、零は加速を続けながら横一文字にスライムを切断した。

 悲鳴がなくなり、パラパラと風に飛ばされる砂のように消えるスライム。零は左手から鮮血を流しながら、思うことなくただその様子を眺めていた。

 スライムが完全に消え去り、その向かい側にいた天音と目が合う。天音の方へ向かおうと一歩、踏み出したところで零は膝から砕けるように倒れた。

 知らない膨大な情報と痛みの中に引き込まれるように零の意識は遠退いていった。



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