第1章 第13話 翳り

 昨日、初めて「陰陽師」を見た。

 これから天音から出される試練を完遂した後に待つ未来の姿。天音のようにこなせる自信は全くなかった。

 本当は今から出される試練すらこなせる自信がない。昨日の亡者との対峙で、亡者の亡者たる所以を身をもって知った。刻み付けられた。

 それでも引き返す道は無い。恐怖があっても罪を償うためには避けては通れない道だから。

 零は覚悟を持って短剣を握り、部屋を出た。半年間上り下りしてきた修練場に続く暗い階段が、今日は一層に不安を煽ってくる。目の前の修練場の扉も一層の重さと地獄の門のような不吉な予感を纏っていた。

「準備はいい?」

 扉を開いて修練場の中央まで歩いたところで、上から天音の声が降ってきた。天音は壁沿いにあるキャットウォークに立ち、零を上から眺めていた。

「ああ」

 そう言って零は短剣を鞘から抜いて何もいない空間に向かって構えた。

「それじゃあ始めようか」

 合図が出た。

 何もいなかった空間に零を全方位に囲むように黒いかげがわらわらと現れていく。その黒いもやは人型を模しているが、昨日の悪霊のようにはっきりとした形を保ってはいなかった。表情も性別も分からない。強い風が吹けばすぐにでも形が変わってしまいそうなほどぼやけた何か。

 零はその様子を気を抜くことなく観察しながら、天音との会話を頭の中で反芻させていた。

「今日受けてもらう依頼は亡者百人切り。私が過去に封印した亡者を百体だけ修練場に解き放つから零にはそれを妖刀で切り伏せてもらう」

「百人切りか……分かった」

「自信のなさそうな顔をしているね」

「亡者一体に昨日は散々な目にあわされたからな」

「昨日のことは忘れなよ。あれは亡者のなかでも上位なものだから。あれと同レベルのものは百人切りのときには出さないよ」

「それはありがたいことだな」

 零は辛気臭い顔をしたまま頑張って笑った。

 緊張はもちろんしている。だが、それ以上にあまりにも亡者に対して非力だった現実が零の道を暗く照らしていた。

 自信の喪失。

 自分の現在地を理解してしまったからこその不安が零を引きずり下ろすように纏わりつく。

 そんな零を見ていられなかったのか、天音は溜め息を一つ吐いた。

「なら、一つだけ良いことを教えてあげる。今日、零に祓ってもらうのは私が幼稚園とか小さい頃に封印した亡者。だから、私とある程度切り合える技量をもつ零なら大丈夫だよ」

 簡単に言ってくれるよ、と零は囲むように出現する悪霊を見ながら呆れていた。迫力で言えば昨日の亡者にも、剣を向き合う時の天音にも及ばない。だが、分かっていたことだが数が多い。数で言えば百体だが、体感は二百体はいるのではないかと思うほど数の圧迫感があった。

 想定通り一体に掛けれる攻撃数は三撃までだな、と零は黒い靄の動きに注意しながら頭の中でシュミレーションする。

 結局は出たとこ勝負だな、と心の準備を終えた零は覚悟を決めて地面を蹴った。

 一体目。

 心の中でそう呟いて、零は性別も分からない黒いもやの塊に短剣を振り下ろす。

「ぁ?」

 だが、予想外にもその黒いもやは消えることなく、変な声を出して零を見ていた。

 焦った零は振り下ろした短剣を横に持ち替えて、今度は横に一閃する。だが、それももやかげが揺れるだけでダメージを与えたようには見えなかった。

「なんで?」

 後退することを忘れ零は、その場でキャットウォークにいる天音の方に顔を向ける。

 そこに立っていた天音は闇に包まれた光のない瞳を零に向け、ニンマリと恍惚とした表情をしていた。

 最初からこうする気だったのか、と零はいろんな感情が渦巻き周囲への警戒を一瞬止めてしまった。

 気が付けば零の身体に黒い翳が纏わりつき始めていた。必死に短剣を振り回し、じたばたと抵抗するが全く効果がない。亡者たちは人型を捨て、ゴムのような伸縮性を持って零の身体の自由を奪う。そして、吸い込まれるように零の口から体内へいくつもの亡者が入り込んでいった。中に入る亡者に際限はなく、無抵抗の身体に侵入する亡者は五十を超えた。

 零の手から短剣が落ちる。その落下して鳴り響く金属音すら亡者の侵入を許す零は聞き取ることができなくなっていた。

 体内で小動物が這いまわっているような気持ち悪い感覚に零は声とも言えない呻き声を上げた。

 意識が遠のく。

 零は最後まで天音から目を離すことなく、その悪魔のような表情を目に焼き付けて堕ちていく。

「私のために死んで。零」

 自身が放った亡者に堕とされる零を眺めながら天音は楽しそうに呟いた。堕ちた零にはもう天音の言葉は聞こえない。それが分かっているからこその本音だった。

「死んで、私を恨んでよ。そしたら一生私が可愛がってあげるから」

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