第1章 第12話 侵食
「ごめん」
気が付けば零は、涙を流しながらウエディングドレスの亡者に謝っていた。
同情だった。
それ以上でもそれ以下でもない。
悲惨な結末を辿った女性に対する男性としての謝罪。当事者でも何でもないが、情景を通じてウエディングドレスの亡者の生前の感情と痛みを体験してしまった零は、もうこの事件を他人事と思うことができなかった。
「ゆ、るして、あ、げ、る。だか、ら、わたし、と、ひと、つ、に」
ウエディングドレスの亡者は機嫌良く笑いながら、零を包容しようと近づいていく。零はその様子を抵抗することなく見ているだけだった。
抵抗する気が起きない。自然と、零はウエディングドレスの亡者を受け入れていた。
「あ~あ、こんなにも侵食されちゃってさ。だから言ったでしょ。隙は見せるなって」
朦朧とする意識の中天音の声が聞こえてきた気がした。コツ、コツ、と靴音を響かせて天音が純白の刃を片手に近づいてくる。
「けど、良く頑張ったね。初めてで自我が残っているだけ上出来だよ」
「だ、れ?」
ウエディングドレスの亡者は身体を捻り天音の方へ顔を向けた。
だが、天音は亡者を無視して零へ話を続ける。
「なんで同情しているような表情をしているの?それがもう隙なんだよ」
「だって可哀想だろ。好きな人に裏切られて、それでも愛し続けて地獄に行て、現世で亡者になっちゃってさ」
零は霞みがかかったような頭を頑張ってはたらかせて言葉を紡いだ。
「侵食されて何を魅せられたのか知らないけど、零は一つ勘違いをしてるよ。彼女はこの事件の以前にも二人の男性を死に追いやった魔女だ。大体、今までの被害女性を部屋に吊るしてめでる時点で碌な感性をしていないことくらい分かるでしょ」
「それは……」
「彼女は異常なまでに支配欲求が強かった。具体的どんなことをしていたのかまでは時間が無くて調べられなかったけど、少なくとも死ぬことが唯一の逃げ道に見えるくらいには自由が無かったはずだよ」
「わたし、の、じゃま、しない、で」
顔だけを天音に向けていたウエディングドレスの亡者は身体を天音に向けて、天音に立ちはだかった。
「まあ、彼女の話は置いておこうか。表に出せない経歴が多くて調べきれていないし。とりあえず、私がこの亡者を祓うまでにその少年たちに憑かれて殺されないでよ」
少年という言葉に疑問を持った零は、赤ん坊が憑いているはずの足元に目をやった。だが、そこにいたのは赤ん坊ではなく二人の少年。瞳のない空洞な目で表情無く零を見つめる彼らは赤ん坊の時よりも気味が悪かった。
「な、なんで!?」
声を出して驚いた零は、少年たちの身体に纏わりついている瘴気が自分の両手と繋がっていることに気付いた。手が触れてなくても瘴気が伝播するのか、と零は初めての発見に驚きが隠せない。さらにその瘴気で赤ん坊が少年までに成長したことは零の驚きを倍にした。
「三枝奈津。あなたの犯した罪とこれから受ける罰が釣り合うことを私は祈ります」
天音は向かい合うウエディングドレスの亡者に告げて静かに刀を構えた。
勝負は一瞬だった。
次の瞬間には天音の姿は消失し、純白の刃が描く一閃だけが空間に残こる。気が付くと、亡者の背後にいた零の目の前に天音が立っていた。
天音は純白の刃を鞘に戻し、零に手を差し伸べる。零が天音の手を掴んだ時には、零は白いタキシードから解放されて、足に纏わりついていた少年たちも消えていた。
「あの少年たちはまだ生まれてきてない存在。つまり、母親の胎でしか生きらない。彼らは母親が消えれば一緒に消えてしまうのさ」
「あいつらはどこに行くのかな」
「さあ?けど、親より早くに亡くなった子どもは地獄の賽の河原という場所に行くらしい」
「あの赤ん坊に罪は無いのに」
「私たちに知り得ないことを考えても仕方ないよ」
「そうだな」
せめて罪のない双子が地獄に落ちないことを零は静かに心の中で祈る。それだけが零にできる唯一のことだった。
「そういや、あの和服の亡者はなんだったんだ?」
「一条家の呪いさ。私以外の一条の姓を持つものはみんな彼女に殺された」
天音は恨み込める訳ではなく、あっけらかんとしたように零に答えた。
「じゃあ、あいつは天音を狙ってここにきたのか?」
「そういうこと。今まで何度も対峙してきたから気にしなくていいよ。それで明日は陰陽師になるための試練に挑戦してもらうけど、自信はついた?」
「全然」
天音はその零のはっきりとした逆に自信のある答えに苦笑した。
「私からアドバイスできるのは今日みたいに悪霊に一切の同情をしないこと、かな」
「気をつける、よ」
呂律の回らなくなった零は足から崩れると、頭を押さえながらうずくまる。そしてアパートの床に倒れ込み、零は意識を失った。
「かなり侵食を受けていたみたいだし仕方ないか」
天音は取り乱すことなく冷静に言葉を呟いた。そして天音は零を背中に背負い、アパートを後にして車に戻る。
「やっぱり君の未知な力は厄介そうだ」
零を後部座席に横たわらせた天音は、冷たい瞳で零を見下ろす。
「明日が本当に楽しみだ」
天音は悪魔のような闇の深い笑みを浮かべ、計画の最終段階へ駒を進めるのだった。
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