第1章 第11話 ウエディングドレス

「あ……つ……し……あ、つ……し……あ、つ、し」

 ウエディングドレスの亡者は声と共に零に近づいて来る。ゆらゆらと身体を揺らしながら一歩ずつゆっくりとした足取りは、見た目以上の気味の悪さを放っていた。

 あと一歩で短剣の間合いに入る。そう身構えた時、零は身体のバランスを失った。

 零は最低限の受け身を取って胴を床に打ちつける。受け身を取るために手放した短剣は、その勢いで手の届かない位置まで飛んで行ってしまった。

 何が起きたか理解の追いつかない零は、まず自分の身体に目をやった。そして零は自分が白のタキシードを身に纏っていることに気付いた。

 侵食されているのか、と零は自由の利かなくなった身体に力を込める。だが、もう身体は自分のものではないように指一本動かすことはできなかった。

「あ、つ、し、似合って、いるよ」

 ウエディングドレスの亡者が零を見下ろしながらニンマリと笑っていた。

「俺を恋人と重ねているのか……」

 零は足元でケタケタと笑う赤子の声を聞きながら言葉を零した。

「あつし、み、て?」

 ウエディングドレスの亡者が嬉しそうに笑うと、部屋の四方八方から女の子の叫び声が聞こえ始める。零がなんとか顔を横に向けた先に見たのは、天井から首を吊らされた女の子たちの幽霊であった。

 女性たちに共通の特徴は無かった。小学生くらいの子どもから二十代前後の大人まで、際限なく続く部屋の奥まで女の子たちが吊るされていた。反対方向に顔を向けてもその景色が変わることは無く、響く声から目視できない背後や頭上にも女の子たちの幽霊が吊るされていることが分かる。おそらく彼女らはウエディングドレスの亡者がこれまで襲った被害者だろう。

 ここまで来ると気味が悪いのではなく、恐怖が勝った。

 被害者一人、一人を襲った後に霊体を捕まえて吊るして飾る異常者。この悲痛な悲鳴の中で満足そうな笑みができるその感性は、零にしっかりとした恐怖を刻み付けるのに十分だった。

「ねえ、この、こ?」

 ウエディングドレスの亡者は吊るされた女子高校生の幽霊の頭を掴み、零の顔の前に近づける。視界に無理やり入れられるその女子高校生の苦しみに満ちた表情と目に零は目を背けたかった。

「何がだよ?」

「あつし、を、たぶ、ら、か、した、おんな」

 零はその言葉にゾッとして目を見開いた。嫉妬から恋人や夫婦を狙う悪霊なのだろう、と零は今までこの亡者について考えていた。亡者のウエディングドレス姿を見てからはその考えは確信に変わっていた。だが、それは勘違いだった。この亡者がウエディングドレス姿なのは不貞行為によって裏切られても愛し続けている愛の形。怒りの矛先は恋人の浮気相手に向いていた。彼女の未練は恋人の浮気相手を殺せなかったこと。顔を知らないその浮気相手を手にかけるために地獄から這い上がり、パートナーを持つ女性ばかりを手当たり次第に襲い続けていた。

 ウエディングドレスを染める浮気相手の血飛沫こそが、彼女にとってのライスシャワーだった。

「知らない。そんなこと」

「ま、た、そう、やって、ごま、か、す、の?」

「また?」

「そう、や、って。そうやって」

 女子高校生の幽霊の悲鳴とウエディングドレスの亡者の奇声が入り乱れて響きわたる。ウエディングドレスの亡者は女子高校生の幽霊を持った手を振り上げて、女子高校生の幽霊ごと零に拳を振り下ろした。

 身動きの取れない零は、痛みと衝撃に備えて目を瞑ることしかできなかった。

 だが、痛みも衝撃も零には届かなかった。

 零が目を開くと、大きな白く光る六芒星が零を守る盾のようにウエディングドレスの亡者の拳を遮っていた。

「六芒星?」

 天音から貰ったお守りの効果なのか、と零はすぐに連想した。それでも状況が変わった訳ではなく、怒りと悲しみに満ちた瞳を向けるウエディングドレスの亡者が叫んだ。

「わたしを、きょぜつ、するなー」

 ウエディングドレスの亡者の絶叫。その絶叫と共に零の頭に記憶にない情景が侵食してくる。

 気が付くと、目の前から亡者は消え、一人の男が目の前に立っていた。

 そこはあの事件があったアパートの一室に似ていた。

『ねえ、これどういうこと?説明してよ』

 女性の声が零の視点から聞こえた。状況の読めない零が周りを見渡すと、電源のついてない黒い画面のテレビが視界に入る。そこに映っていたのは、男性に向き合う髪の長い女性と、その女性に重なっている霊体のように薄い影をした自分の姿だった。

『会社の出張費を立て替えただけだよ。いつものことじゃないか。な?』

 男性は女性から渡されたクレジットカードの明細を見て、優しく笑った。

『会社に確認したの。篤志がこの日に出張だったか』

『え?』

『有給を使って休みを取っていたことは知っているのよ』

『あれじゃないか?奈津が確認する日を間違えたんだよ』

『あーちゃんにこの旅行で会ったでしょ?私、あーちゃんから全部聞いたわ。篤志が知らない女の人と旅行しているのを見ちゃったって』

『知らない、知らない。他人の空似じゃないか』

『誤魔化さないで。私たちもうすぐ結婚するんだよ!』

 奈津の絶叫が部屋に甲高く鳴り響く。篤志は困ったような顔で頭を掻いたが、それは次第にめんどくさそうな表情に変わっていく。

『は~。分かったよ。旅行は行った。けど、彼女とは友達。向こうも彼氏がいるから手は出してない。これでいい?』

 女性が泣きそうな声で叫ぶと、男の態度が急変した。

『これでいい?って何?良いわけないでしょ!』

『やっぱ俺、もうお前とは無理だわ。家が太いから付き合ったけど、金の支援はないし、遺産が回ってくるまで待つのしんどいし。そういうことだから。じゃあな』

『ちょっと待ってよ』

 女性は背中を向けて玄関に向かおうとする男性の腕を掴んで引き留める。

『何だよ』

『何だよ、じゃないわよ』

『俺さ、しっかりした女嫌いなんだよね。抜け目ないっていうか、扱いづらいっていうか。束縛強いじゃんお前。正直言って顔は良いけど、好みじゃないんだよね』

 男性は女性の手を振り払う。それでも心の整理がつかない女性は『待って』『話しは終わっていない』と言いながら男の腕を掴み続けた。

『うっとおしいな』

 男性はそう言って、しつこく腕を掴み続ける女性を押し飛ばす。そして、女性は机にあった石製の時計で頭を強打する。

「んーーー」

 声にできない激痛が零を襲った。

 頭を強打した女性は激痛に声を上げることはなかったが、その朦朧とした意識のなかでカッターナイフを手に取り、男性を背後から一刺し。女性は自身が死に絶えるまで、男性を刺し続けた。

 女性は豹変した男性を信じられなかった。朦朧とする意識のなかで女性は、浮気相手の女が篤志を洗脳したと思い始める。そして、同時に死を悟った彼女は彼と離ればなれにならない為にカッターナイフを手に取り、愛と怒りを込めて刺し続けた。

 零はそれを激痛に疲弊したその眼で見て、感じ取っていた。

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