第1章 第10話 対峙
異質な雰囲気が漂うアパートの扉。天音はその扉のドアノブに涼しい顔で手を掛けていた。
「あ、そういえば忘れてた」
天音はそう言うと、ポケットから六芒星のペンダントを緊張した顔の零に渡した。
「なにこれ?」
「お守りだよ。効果があるかどうかは分からないけど、あった方が安心できるでしょ?」
「有難く受け取るよ」
相変わらず晴れない顔をした零は、ペンダントを首にかけて深く息を吸って吐いた。
これから初めて零は正真正銘の悪霊と対面する。零が染めたのではなく、地獄から這い上がってきた本物の悪霊。それはまだ姿を見ることも、範囲内に入ることもしていないのにも関わらず、鳥肌が立つ寒気を激流の如く出していた。この時点で零の想像を遥かに超え、未知との対面がなされようとしている。
「覚悟はできた?」
「ああ」
天音が目的のアパートの一室の扉を開いた。密室の部屋から不吉な風が零に吹き付ける。零が天音に続いて部屋の中に入ると、まるで重力が倍になったような重さが零の身体を襲った。
「雰囲気に呑まれちゃ駄目だよ」
「分かってる」
過呼吸になりそうな身体を気合で持ち直し、なんとか呼吸を整える。一歩ずつ、ゆっくりと部屋の主である亡者に隙を見せないように背筋を伸ばして天音のいる部屋の奥へ進んだ。
現場となったリビングへ足を踏み入れ、零は周りを見渡した。その部屋は家具が全て撤去されおり、床に置かれている花を差した花瓶しか物はなかった。
天音と共にリビング以外にも部屋を散策したが、亡者の影は見られない。部屋を一周してリビングへ戻ってきた零は、天音にどうするのか尋ねようとすると、背後から纏わりつくような恐怖に襲われた。
声は出なかった。
天音も気配を感じたのか、動きを静止させて右手を刀の柄にかけた。天音の後方にいる零から天音の顔は見えないが、緊張感だけはヒシヒシと伝わってくる。
「せーので振り向こうか」
「分かった」
「行くよ。せーの」
零が振り返った先には二体の女性の亡者が立っていた。
一際目立つ一体は和服姿の髪の長い亡者で、顔は黒い
その隣に立つもう一体はウエディングドレスを着た髪の長い亡者で、和服の亡者と同じく顔は分かないが、純白のドレスを血に染めた姿は和服の亡者よりも気味の悪さ感じさせた。
肌がひりつく。首元々にナイフを当てられているような圧迫した殺気に零は、あまりの迫力に驚くことすら忘れていた。
和服の亡者が大太刀の柄を持って零に向かって駆け出した。迫力に押されていた零は動くのが遅れてしまう。
「どいて」
天音は零の襟首を掴むと、後ろに思いっ切り引っ張った。そして、庇うように零の前へ出ると、純白の刃で大太刀を受け止め、和服の亡者の勢いに押されて後ろの窓ガラスを突き破り、和服の亡者と一緒に外へ出されてしまった。
「天音ー!」
零は叫んだ。だが、天音の安否を確認しに外へ出ることはできない。もし、感情のまま窓の方へ駆け寄れば、もう一体の亡者に無防備な背中を晒してしまうことになる。その判断がまだできる程度には零は冷静だった。
零はウエディングドレスの亡者へ意識を向ける。
初めての実践。本当は見学のはずだったのだが、こうなっては仕方がなかった。どう動くのが定石か零には分からない。この半年で学んだのは短剣の扱いと護身術のみ。亡者の祓い方も対処法も何一つ教わらなかった。おそらく天音は実戦で見せるつもりだったのだろう。知識として教えておいて欲しかった、と天音に恨み言を言いたい気持ちはあったが、今はグッと飲み込む。そんなことをする暇があるなら現状を打破するために頭を使うべきだと判断した。
今までの零の人生経験を踏まえるなら、悪霊は零の方へ寄ってこないだろう。何故か分からないが、悪霊を作り出す零が無事に今まで生きてこれたのは、作り出した悪霊が零を狙わなかったからだ。なら、何もしないのが正解なのか。
だが、天音は天然の悪霊はそんなに甘くないと言う。様々な亡者を見てきた天音が言うのだから間違いはないだろう。そうならば、短剣を構えて戦うべきなのだろうか。
いや、事前の情報ではこの亡者は女性しか狙わなかったはず。それなら、天音を追いかけても問題ないのか。
「ぁ……っ……し……あ……っ……し……あ……つ……し」
零が散々に迷っているとウエディングドレスの亡者が音を呟きながら零に向かって一歩ずつ近づいてきた。
女性しか狙わないんじゃなかったのかよ、と最悪の方へ事態が動くことに零は毒づきたくなる。
逃げるという選択肢が頭を過り始めた時、経路の確認のために部屋の中を見渡すと、狭かった部屋が壁が見当たらないくらいに広がっていることに気付いた。
「嘘だろ……」
もう零に取れる選択肢は「祓う」以外残されていなかった。
零は短剣の鞘を抜き、鋼色に輝く刃をウエディングドレスの亡者に向けた。ゆっくりと間合いを詰められている零は、亡者から距離を取るため後ろに下がろうと足を動かそうとする。
だが、足が動かない。
こんなにも頭は冷静なのに身体は恐怖に怯えているのか、と零は自身に怒りを覚えたが、足元を見て熱が冷める。
二人の赤ん坊が零の足に纏わりついていた。
なんで。
零の頭に疑問が浮かぶ。ここで亡くなったのは当時恋人同士だった二人だけのはずだ。なぜ赤子の亡者がここに。それを考えるなら天音と一緒に落ちた亡者は何だったのかという話になるのだが。
零は迫ってくるウエディングドレスの亡者を見て嫌な想像が頭を過る。もしも、生前のあのウエディングドレスの亡者の中に赤子がいたら。
その想像をしただけで気分が悪かった。
足に纏わりつく赤ん坊を短剣で祓うのは簡単だ。だが、良心がそれを拒む。現世で生を得られず亡者としてしか母親の顔を見ることができなかった赤ん坊に同情してしまった。
動けないのならウエディングドレスの亡者が一番近づいてきたところで短剣を突き立てよう、と零は腹を括った。
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