第1章 第5話 これから
それじゃ今後のことについて話そうか、と天音は零を連れて修練場を出た。零が案内されたのは天音が今まで物を取りに出ていた扉ではなく、その向い側の重量感のある扉。扉を開けると薄暗く下に続く階段がそこにあった。
「足元に気をつけてね」
天音は慣れた足取りで薄暗い階段を下る。今にも切れそうな古い蛍光灯がこの階段の気味の悪さを何倍にも引き立てていた。
「零には妖刀が扱えるようになるまでここに住んでもらおうと思うんだ。ここなら幽霊も寄って来ないし、余計なことを考えなくていいでしょ?」
長い階段を下りながら天音は元気な声で後ろの零に語りかけた。
「気を使ってもらって悪いな」
零は慣れない言葉使いで天音に言葉を返した。
「悪くないけど一点減点かな。人にすぐ謝る癖は止めた方が良いと思うよ」
「ご……」
零はまた謝りそうになり言葉を止めた。こういうときになんて言えばいいか分からない零は、そこから言葉を続けられなかった。
「『ありがとう』で充分だと思うけど?」
天音は一瞬だけ零の顔を見ると、ワザとらしく大きな声で言った。
「ありがとう」
何も思いつかない零は天音の助け舟に素直に乗った。
「どういたしまして。こればかりは一緒にリハビリしていくしかなさそうだね」
「よろしく頼む」
「お、それ百点!」
そう言って天音は楽しそうに零の方を振り向いて立ち止まった。薄暗くてはっきりと顔は見えないが、それでも天音の明るく笑っている姿が何となく感じられる。もう少し周りが明るければ天音にドキッとしていたかもしれない。
「今から零には生活する部屋を案内するね。二部屋しかないけど、洗濯機もお風呂もトイレもあるから生活には困らないはずだよ。ちょっと汚いけどね」
零が天音の立ち止まった先に目をやると、一つの扉がそこにはあった。この階段もかなり古く、修練場も年季があったため、部屋が汚いのは仕方がないな、と零は特に気にすることなく部屋へと進む天音に続いた。
そこで零の目前に広がったのは、今までの部屋の様式から時代が進んだ現代的な内装の綺麗な部屋だった。真っ白い壁に包まれた外国風の明るい部屋。靴を脱いで少し進むと最初に目に入ったのは洒落た感じのキッチンだった。部屋の中には低い机に、緑のソファーがあり、リビングのような空間も広がっていた。その部屋の先の廊下には洗面所、トイレ、お風呂、洗濯機が連なっており、こちらも綺麗に管理されていた。さらに廊下の先の部屋には簡易ベッドとクローゼットが置かれており、この部屋は最初の部屋と違い簡素だった。。
零はかなり古くて劣化した部屋を覚悟していたが、予想に反して内装はとても綺麗であった。
内装だけは。
案内された部屋は物が散乱しいていた。ゴミではないだけまだ良いが、脱ぎ捨てられた衣類や物という物が床に散りばめられている。
「物が……多いな」
零は慎重に言葉を選んだ。生活感ある汚さをしたその部屋に散らばっているのは女性用の服と下着。少なくともこの汚部屋を作った可能性がある人物の前で不用意な失言は命取りだった。
「そうかな?とりあえずここに座ってよ」
天音は床に散らばるものを足で移動させて道を作り、ソファーに零を勧めた。天音は慣れた手つきで向かいのキッチンでお湯を沸かす。
「ここって誰か住んでいるのか?」
「誰も住んでないよ。ここは私の休憩室として使っているんだ。地下に休憩室を作った方が私の研究室から近いからさ」
「だからここだけ綺麗なのか」
内装が、と零は野暮なことは言わなかった。
「そうだよ。一年前くらいに改装工事をしたばかりなんだ。うちの家は『和』って感じの家だから、こういうお洒落な海外風な家に憧れてたんだよね」
「へ~。じゃあ、家具も結構こだわったのか?」
「もちろん。だけど、さすがに予算オーバーしちゃってベッドとクローゼットはこだわれなかったけどね」
天音は残念そうな声色で廊下の先の部屋に目をやった。ベッドルームの簡素さはそう言うことだったのか、と零は部屋の中を思い出し納得していた。
「なんというか。この部屋を使わせてもらうのは気が引けるな」
零はフカフカのソファーに手を置いて言葉を零した。間違って汚したり、壊したりしないように気を相当に気をつかうな、と零はかなり緊張していた。ましてやここは同い年の女子の部屋。内装や家具以外にも居心地の悪さは否めなかった。
「二人で使ってたらそんなことも気にならないと思うよ」
「二人?」
「私と零の二人。これから一緒に住むって話だったでしょ?」
両手に紅茶入りの紙コップを持った天音が、零に片方の紙コップを差し出してニコリと笑った。
「えっ、」
あまりの衝撃に零は言葉を詰まらせた。今まで部屋を借りるだけだと思っていた零には、寝耳に水のことだった。
「何を驚いてるの?」
「一緒に住む!?二人で!?」
「そういう話だったでしょ?」
「いや、てっきり部屋だけ借りるだけだと……」
天音が当然のような顔をして話すので零の歯切れは悪くなる。驚くことも気まずくなった零は、天音から紅茶を受け取り、口を付けた。
「そしたら私の寝る部屋がなくなっちゃうじゃん」
天音はソファーの背もたれにもたれかかるように零の隣に座り、紅茶に口を付けた。
「だって、一条さ……いや、天音さんは高校あるし、家との通いで教えてくれるのかな、と……」
「学校は行かないよ。そんなことしてたら零を満足に鍛えられなくなっちゃう」
「そこまでしなくても―――」
「元々、学校に思い入れもないし。それに零と一緒に居る方が楽しそうだし」
高校なんて心底どうでもいい様に天音は軽く話す。零も天音の話す雰囲気から気を遣っているのでなく、本当に学校がどうでもいいんだと察した。
「なら、良いですけど……」
「それに、ここは幽霊が入って来れないって言ったけど、その原理はまだ分かっていないんだ。そんな安全性が保障できないところに零を放置はできないよ」
「それは……ありがとうございます」
「あっ、そうだ。私のことは『天音』って呼んで。さん付けされるのはむず痒いからさ」
「分かったよ。天音」
名前を呼ばれると満足そうに天音は笑った。
「それじゃあ、ここからは稽古のお話ね。零にはまず体力をつけてもらおうと思う。ずっと引き籠っていて運動はしてなさそうだしね。妖刀を扱うにしろ、悪霊から逃げるにしろ体力は必要だから」
「分かった」
「それと並行して組手と短刀の扱い方も同時にやるから。ビシバシやるから休んでいる暇なんて無いと思っていてよ」
「それって一日の内にどのくらい……?」
零は嫌な予感を感じた。天音と一日中一緒にいてどのくらいが稽古になるのか。天音なら一日中と言っても不思議ではなかった。
「それぞれの稽古のメニューは時間を区切ってやるけど、零が倒れるまでは延々と繰り返し続けるよ」
「いっ!?」
零は言葉を忘れた。
「慣れてきて倒れなくなってきたら稽古のメニューもレベルを上げていくからね」
「座学とかはしないのか?」
零は救いを求めて質問した。一時でも休む時間がほしい、と零は祈りながら、紅茶を美味しそうに飲む天音の目をジッと見た。
「する訳ないじゃん。陰陽師のことを学んだところで今では役に立たないんだから」
天音は軽く零の希望を砕いた。
「そうか」
「とりあえず思いつく限りは全部話したけど、何か質問ある?稽古は零のジャージを買ってからやるから、明日の午後くらいからかな」
「いや―――」
特にない、と零は言いかけたが、周りを見て言葉を止めた。今日からここで暮らすのか、と零はどうしても気になることが一つあった。
「部屋の片づけをしても良いか?」
「……やっぱり気になる?」
天音は気まずそうに笑った。
「さすがにな」
「じゃあ、やろうか」
零と天音は空の紙コップを持ってソファーから立つ。
片づけから始まる二人の共同生活が幕を上げた。それは甘さが欠片もない戦場。気を抜けば死ぬ。それが比喩でも何でもない日常になった。
半年という年月をかけなければ天音との日常会話などまともにはできないほどに。
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