第1章 第3話 安寧より罰を
分からない。
零は混乱する頭を回転させながら、ただ天音のことを見つめていた。
零に訪れたのは絶望のはずだった。
生きていることが人間を不幸にする人類の最悪。目の前にいる陰陽師は零が「それ」であると告げ、誰にもどうすることはできないと希望すら断ち切った。
だが、天音は自身で堕とした零の前に一縷の希望を差し出す。
天音の意図は何なんだ。
この手を取っても良いのか。
あれだけ希望の無い話をした天音が見せた最後の希望に零は、嫌な予感と不信感を感じ取っていた。
「……何で最初からどうにかする手段があるって言わなかったんですか?」
零は疑いの目を向けるように俯いていた視線を天音に合わせた。
「手順みたいなものですよ。陰陽師なのに陰陽術ではなく特殊霊媒体質を使うって話をしたら驚きますよね?ですから、なぜ陰陽術ではないのかということを順序立てて説明しただけです」
「なるほど」
確かにな、と零は納得した。いきなり色々と言われて神経質になっていたのだろう、と零は心の中で反省する。
「それで、どうしますか?私の話に乗りますか?」
「……詳しい話を聞かせてください」
天音の真剣な表情を見て零の中にはもう天音に対する不信感は無くなっていた。
「大事な決断ですからね。ちゃんと説明させて頂きますよ」
天音は優しそうな笑みを浮かべると、零を残して部屋を出る。しばらくすると天音が大きなホワイトボードを零の前に引っ張ってきた。
天音は人のような何かを二つ描き始める。他にも何かイラストを描いていたが、零にはそれが何を表しているか分からなかった。
「私の特殊霊媒体質『束霊封魄』は簡単に言うと悪霊を私の体の中に封印するんです。私は触れた幽霊を体の中に取り込む性質を持っているんですよ。今回はこれを利用して国見さんの特殊霊媒体質を私に移します」
天音の説明はとても分かりやすいが、天音の描いている絵がその分かりやすい説明の邪魔をする。だが、天音は楽しそうに絵を描いていたこともあって、絵に触れづらい。零は説明を受けながらしばらく悩んだが、絵のことは無視することに決めた。
「……僕は幽霊じゃないのに一条さんの中に封印することができるんですか?」
「できますよ。人は誰しも身体という器の中に霊体を持っています。特殊霊媒体質は霊体の中に核がありますから、それを切り離して私の中に移すんです。ただし、これをするとこれから先、国見さんは倦怠感に悩まされる可能性もあります。ですので、リスクがあることは理解しておいてください」
天音は幼稚園児が描くような絵を描いているが、表情は至って真面目に話をしている。リスクの話もちゃんとするところが天音の真剣さを表していた。
これで不幸が無くなるなら悪くない、と零も真剣に天音の話を受け入れつつあった。
「そういえば国見さんは先ほど私の中に封印、と言っていましたが、封印するわけではありませんよ。私の中に移すだけですので、幽霊を悪霊化させる力を私が持つようになるだけですよ」
その言葉を聞いた瞬間、零の顔色が変わる。この人を不幸にする力が効力を失う、と思っていた零にとって天音のこの一言は予想外だった。
零は物心ついてから引き籠るまでの七年間で何件も事故という形で人の不幸を見てきた。部屋に引き籠ってからの五年間は不幸を目の当たりすることは無くなったが、自分の手に触れて黒くなっていく幽霊を見るたびに見えていない不幸も想像し続けた。
零はこの体質から解放されて人生を新たに歩みたい訳ではない。零はそれを望めるほど楽観的でも自分本位でもなかった。その考えは小学校を入学する頃には卒業していた。
法律では裁くことのできない罪を犯し過ぎた、と零は罰を求めるようになり、自分の救いより他者の不幸のない日常を只ひたすらに願い続けた。
だから、この体質が封印されて効力を失えば、残るは自分の罪を償うために残りの人生の全てを捧げようと希望を持った。少なくとも名前も知らない誰かを不幸にした分だけ誰かを助けることができればどんなに理想的なことだったか。
「あれ、そんなに驚くことでしたか?」
天音の声が零を現実に引き戻した。天音は零が何に驚いているのか分からない、と言うように話を続ける。
「もしかして、私に押し付けるのは悪いなんて思っています?それは国見さんの考え過ぎですよ。私なら国見さんがその体質を持っているより適切に悪霊に対処できます。ですから、周りへの実害は無いと同じです。それに私は思うんですよ。国見さんだって救われても良いんじゃないかって」
「……それは駄目ですよ」
「なんでですか?確かに国見さんの体質のせいで数え切れないほどの不幸は起きています。ですが、それは国見さんのせいなんでしょうか?これを引き起こしているのはただの体質です。国見さんが望んでこの体質になった訳でもありませんし、ご両親も望んでこの体質で生んだわけでもないでしょう。これは誰のせいでも無いんですよ。責める相手を作るとしたらそれは運命です。国見さんでは決してない」
「それでもたくさんの不幸をバラまいているんです。自動車の事故だって車が悪くなくとも、人を殺してしまえば車の運転手の責任になるじゃないですか。それと一緒ですよ」
「それは違いますよ。車の運転手は事故を起こすリスクと快適な移動を天秤にかけて車を運転しているんです。ですが、国見さんには選択肢すらなかったはずです。なら、車の事故と国見さんの体質を同列に考えてはいけませんよ」
「僕にも選択肢はありました。自分が死んで全てを終わらせるっていう選択肢はあったんですよ。けど、実現はしませんでしたけどね。けど、なりふり構わず続けていたら……」
「なりふり構っていて、緊急搬送されたのが三桁を行くんですか?私にはその行為が罪への償いになっていると思いますけどね」
今まで真剣な声色だった天音が初めて呆れたような声を出した。
「一条さんは僕のことを勘違いしていますよ。僕はこの体質から解放されたいわけじゃない。僕はこの体質をこの世から消したいんです。消せなくともせめて無力化できればいい。だから、一条さんの提案じゃ意味がないんです。僕は誰かにこの体質を押し付けるくらいなら、この体質と一緒に業を背負って死にます。それが僕に残された唯一の罪との向き合い方だから」
零は天音の言葉には触れず、零の中で纏まった結論を伝えた。天音との議論は平行線になると感じた零の判断だった。
「……ここまで覚悟が決まっている人は初めて見ました」
本当に驚いたように目を見開いた天音がポツリと言葉を零した。
「善意でここまでしてくださってありがとうございました。おかげで今までの生半可な気持ちに区切りをつけることができました」
零は頭を深く下げて精一杯の感謝を天音に伝えた。もし天音が家に来なければ、一生いつかこの力が無くなって罪を償うために行動することができるという希望を抱き続けていたはずだ。もし地獄があるなら罪はそこで償う。生きている内は罪を償うことは夢のまた夢だ。それが知れただけで零のこれからを決めるのに充分だった。
零は天音から解放されるのを待った。手錠に足枷のある状態では零は何もできない。帰るには天音に運んでもらうか、自分で歩くしかないのだ。だが、天音は何かを思案するように顎に手を当てて虚空を見つめていた。
「国見さん。私からもう一つ提案があります。私の弟子になりませんか?」
「……えっ?」
零は天音の言葉を理解にするのに数秒かけた後、間抜けのような驚き顔になっていた。
「国見さんの覚悟は分かりました。なら、自身で悪霊化させた幽霊を祓う手段を持っていて方が良いと思います。そうすれば悪霊の引き起こす不幸を減らすことができる。それに償いがしたいのなら陰陽師がうってつけです」
「確かに……」
「もちろんお金は取りませんし、リスクも特にないです。私の弟子と言ってもやるのは『妖刀』を使えるようにするだけです」
そう言って天音は隠しポケットから三十センチもない鞘に収まった短剣を零に見せた。短剣の鞘は装飾がなく質素な木の造りになっていた。
「妖刀?」
「はい。今はほとんど廃れた一条家が先祖代々贔屓にしている鍛冶屋で打ってもらったものです。これは特殊な金属で出来ていて、悪霊を祓うことができるんですよ。私の仕事道具の一つですからちゃんとしたものですよ」
「……一条さんの弟子になれば不幸を減らせるんですか?」
「おそらく、ですが」
「なら、なります。一条さんの弟子に」
零は悩むことなかった。被害さえ押さえられるなら零はそれでいい。そのための手段があるならそれに迷うことは無かった。
「じゃあ、これからよろしくね」
そして砕けた口調の天音は満足そうにニコリと零に笑いかけた。
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