第1章 第2話 現実
「改めて自己紹介しますね。私は一条天音。陰陽師をしています」
ピントの合わない視界で零は、天音の声と人影を頼りに天音の方に顔を向けた。
零を乗せて走っていた車は三十分ほど経った頃に停止した。天音は後部座席のドアを開けると零に目隠しを掛けてすぐにドアを閉めた。ここから先は関係者以外に知られたら駄目なんです、と天音は申し訳なさそうだった。車の天井しか見えていなかった零は、このアイマスクに意味があるのか疑問だったが、口を塞がれているため特に声を出そうと思うことなく従った。
そこから次に車が停止するまでにどのくらい時間が経ったのか零には分からない。ただ零が熟睡してしまうには充分な時間だった。
そして零は自分が米俵のように天音の肩に担がれている振動で目を覚ました。零は一瞬状況が飲み込めず驚いたが、驚くべき状態が続き過ぎて達観の領域に足を踏み込みかけていた零は、暴れることなく身を任せた。
こうして椅子に座らされた零は、ぼやけた視界の中で現在に至っていた。
人が良さそうな天音の笑みがはっきりと視認できるまでにそこまで時間は掛からなかった。周りはその笑みに似合わない一面灰色の体育館二個分ほどの広さの拓けた場所。蛍光灯の白く強い光が零の視界をまだ少しチカチカさせる。
まだ口を塞がれている零は騒ぐことはしなかったが、今から身体をバラされて不思議ではないその部屋に生唾を飲み込んだ。
「あ、まだ口は塞いだままでしたね」
変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべ続ける天音は、零のテープを剥がして零からの言葉を待つ。だが、天音が待っても零が口を開くことは無かった。質問したいことが多過ぎて何から聞けば分からない、ということもあるが、何より零にとって会話そのものが久しぶり過ぎた。
「……喋れないとかじゃありませんよね?」
人の良さそうな笑顔を貼り付けていた天音の顔が、初めて不安そうな表情になる。
「喋れます……」
何年かぶりに誰かと冷静な状況で会話する零の第一声だった。
「良かったです。ずっと引き籠っていたみたいだったので、家以外では会話できない人だったらどうしようかと思っていましたよ」
どんな人だよ、とツッコミそうになったが、天音との距離感が分からない零は特に応えることなく困った顔するだけであった。
「……やっぱり喋れないとかじゃ———」
「喋れます」
不安そうな天音に被せるように零は間髪入れずに答えた。
「ただ……何から聞けばいいか整理がついてなくて……」
「そういうことでしたか。それなら私から色々と説明しましょう」
天音は納得したように屈託のない笑顔を零に向けた。
「ここは一条家の分家である一ノ瀬家の修練場です。なんで一ノ瀬家なのかというと、一条家の修練場は血生臭いことも行っていたので好きじゃないんですよ。その点、一ノ瀬家の陰陽師たちは清く正しい陰陽師だったので気持ちよく使えます。その名残かは分かりませんが、ここには幽霊が寄り付かないんです。国見さんと落ち着いて話すには良い場所ですよね」
零は天音の言葉を確かめるように周りを改めて見渡した。確かに幽霊が一人もいない、零にとっては不思議な光景が広がっていた。
「私はこの制服の通り河岸学園の一年生です。私の家は河岸より三地区離れた場所ですけど、あの辺りは近くに高校がありませんし、進学校とかよりも通学距離を考えて河岸学園に来たんです。そしたら危険な心霊スポットがある、とホームルームで近づかないように注意を受けまして。陰陽師として見過ごすわけにもいきませんから、下準備を終えて会いに来たんですよ」
「……それじゃあこの『呪い』をどうにかできるってことですか?」
「やっと会話ができそうですね。そうですね……国見さんは私がどうにかできると思いますか?」
天音は楽しそうに零に問いかけた。その楽しそうな笑みは女の子に免疫のない零にとっては破壊力が強く、零の思考は一瞬固まってしまった。それでも「呪い」をどうにかしたいという希望の方が強く、思考停止した様子を天音に見せることはなかった。
「できてほしいです」
「残念ですがそれは不正解です。陰陽術では国見さんの『体質』はどうすることもできません」
天音は言い淀むことなく言い切った。零の言葉を無くした様子を天音は目を逸らすことなく眺めながら、日常会話をするように言葉を続けた。
「国見さんが呪いと言ったそれは特殊霊媒体質と呼ばれるものです。特殊霊媒体質は霊感を持っている人間が稀に持っているもので、幽霊に意図せずとも干渉してしまう特殊な体質です。国見さんの場合、触れた幽霊に強制的に瘴気を注入し、悪霊化を引き起こすものでしょう。それも厄介なことに国見さんの体質は幽霊を引き寄せてしまうおまけまで付いています」
「……どうにかならないんですか?」
今にも消えそうな声が零から零れた。その弱々しい声は今の零の最大限の声だった。
「国見さんの霊媒体質……『
零から漏れる言葉はもはや無かった。ただ俯き、現実を受け止める。それしか零にできることは残っていなかった。
「追い打ちをかけるようですが、先ほど陰陽術は呪いや怪異に有効と言いましたが、それは現存していたらの話です。はっきりと言ってしまうと現代の陰陽師と名乗っている人たちの大半が霊感すら持っていません。伝統的な陰陽師の家系と言っても、その才能は現在まで受け継がれることはありませんでした。だから陰陽術の資料が残っていても、それを再現する才能がないのです。陰陽師が護符や式神で悪霊を祓うのはフィクションの世界だけなんですよ」
「……だったら一条さんは」
「私は本物ですよ。霊感だってありますし、本物ですからわざわざ国見さんを二時間ほどかけて一ノ瀬家まで運んだんですよ。それでも陰陽術は使えませんけどね。私がインチキ陰陽師ならこんな手間を掛けずに、高い数珠や御札を買わせてすぐに帰っていますよ」
「そうですか……すみません。失礼なことを聞いて」
零は天音から目を逸らすと、少し残念そうに謝罪をした。失礼なことを聞いた、と零自身も分かっているが、それでもまだ天音が告げた現実を否定したい気持ちとの間で整理がつかないでいた。
「私をインチキ陰陽師だと思いたくなる気持ちも分かります。私が話したことは救いがない話ですから」
「……一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「一条さんは僕が周りを不幸にしているのが体質のせいだと分かっていたんですよね?しかも、誰にもどうしようもないことに。なら、何をしに家に来たんですか?自分の体質のことを知ったところで何も変わらないじゃないですか」
これ以上追い込まないでくれよ。一縷の光に縋らせてくれよ。言いたくとも、その言葉は喉の奥でつかえた。
自分が全ての元凶であった、という受け入れたくない現実。予想はしていた。それでも罪を償うという考え方は夢のまた夢だった。零はこれから先も生きている限り永遠と不幸を作り続ける。だが、死ぬことを世界が、悪霊が許さない。数え切れないほど自分の命に手をかけたが、何度も、何度も、自分の命だけは助かり続ける。零に残された道は何一つ残っていなかった。
だから、この質問は八つ当たりみたいなものだった。
何で家に来たのかなんて「仕事」だからに決まっている。救いようがないものに関われば、逆恨みされることくらい知っていたはずだ。それでも天音は零のところに来た。これが「仕事」だからではなければ、それは真正の善人だろう。それとも何か目的があったか。
天音が来なければ零は存在しない希望を抱いて、罪と罰について生きている間永遠と考え続けていただろう。だが、零は生きていること自体が罪であることを知った。それに見合う罰はこの世に存在するのだろうか。
天音に八つ当たりをするのは筋違いだと分かっている。それでもやり場のないこの感情を自分の中に押しとどめ続けることはできなかった。
「何をしに、ですか。もちろんあなたを救いにですよ」
「……どういうことですか?」
「さっきは陰陽師として一般論を述べただけです。陰陽術では国見さんを救えないし、私は陰陽術を使うことさえできない。ですが、私の特殊霊媒体質『
天音は自信に溢れた笑顔で零を見つめた。一方、零は困惑した顔で天音を見つめる。
「どうですか?私の話に乗ってみませんか?」
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