第1章 第1話 嵐のような少女
ある住宅街にある一軒家。
その家の外見は特に個性的でも奇抜でもない。誰もが住宅街という景色と同化して目にも留めない一般的な家であった。
普通であればそんな家が話題に上がる訳もなく、住宅街の中の家の一つとして数えられるだけだ。
だが、その家は普通ではなかった。
その家の周りには家がない。厳密に言えば、以前はあったが今は更地になっている、という言い方が正確であった。
そうなった経緯は様々であるが、唯一共通するのはその家に
その家の左隣の家はポルターガイストやラップ音が起こるようになった。
右隣の家は金縛りや家族以外の誰かが住んでいる感覚に襲われ、ずっと誰かに監視されたいるような視線に襲われるようになった。
左裏の家は家の中から知らない子どもの声がするようになり、夜になると複数の子どもの足音が家の中に響くようになった。
裏の家はその時期から家族全員の様子がおかしくなり、住民からの通報で警察が動いた。
右裏の家は国見家が引っ越してから半年もしない内に一家全員が行方不明となった。
そして国見家も母親が交通事故で亡くなり、父親は家を離れ、現在は
国見家の周りの家は、住民が居なくなった家を除いて、その全てが一年以内に引っ越した。自治会では国見家に立ち退きを求める議題が上がったが、国見家と関わることを恐れたため、この議題はあやふやのまま議論は収束した。五年経った現在までに国見家関連で議題に上がったことは、二次被害を恐れて自治会の金で国見家周りの空き家を解体したことだけだ。
この国見家の話は人から人へ瞬く間へ伝播していき、国見家が引っ越して一年半経ち、周りが更地になった頃には、有名な心霊スポットとされていた。
そして、零はそうなった家でただ一人、引き籠って生活していた。
なぜなら零は分かっていたからだ。自分が全ての元凶であることを。
零は生まれた時から幽霊が見えた。それを自覚したのは物心がついてからである。親には見えないもので自身が怯えていることに零は、両親の反応から気が付いた。それでも零の両親はそれを気持ち悪く思うことなく、献身的に零の成長を見守り、零を肯定し続けた。
零には二種類の幽霊が見えた。一つは、淡く黄色のオーラを纏った生前の姿であると思われる幽霊。もう一つは、黒のオーラを纏った姿や形がはっきりしない幽霊であった。とりわけ零の周りに多かったのは黒いオーラの幽霊だった。その霊が近くにいると良くないことが起きた。零の目の前や視界に入るくらいの少し離れた場所で起きる交通事故には必ず黒いオーラが車、バス、電車などを覆っていた。
零の両親は「零は関係ないよ」と零のことを抱きしめたが、零は自身の責任であることを何となく気付いていた。零は自身の手に触れた幽霊が、黒くなることを知っていたからだ。零がいくら手袋をしようと、手をポケットに隠そうと、手をいくら傷つけ包帯を巻こうと、それは変わらなかった。幽霊は吸い込まれるように零の手に近づき、黒く変化していった。
こうして零は周りに不幸をバラまく自身を呪い、罪を背負うようになった。何度も、何度も自らの命を手にかけ、その度に零の母親はそれを止めた。病院に搬送されることもあったが、零は病院に鳴り響く数々のアラーム音と共に生還した。
そんな零の母親は零が中学三年生の頃に交通事故に亡くなった。零は母親が交通事故に遭ったことを聞かされた時、泣くことができなかった。零は自身に泣く権利すらないと、ただひたすらに自分のことを責め続けた。
責めるしか心が晴れなかった。
この一件で零の父親は家を出た。零の生活費だけは毎月送り、親としての最低限の役目だけは全うした。
一方、零の生活は変わらなかった。母親が生きていた頃と同様、自室に引き籠り続けた。何度もこの世から消えることを試みたが、全て失敗に終わった。最後は餓死という方法を取ったが、家にトラックが突っ込み、警察や消防、救急車が来たことで発見され失敗した。それから零は自死を諦めた。世の中の不幸を終わらせるために消えたいのに、それで不幸を撒き散らしては本末転倒だった。
現在は家に引き籠り、最低限度の生活で寿命を待っている。娯楽は禁止し、勉強だけは許可して時間を過ごす毎日。
零は裁かれない罪の償い方をひたすらに模索した。
今日もまたインターホンが鳴る。
心霊スポットとなった自宅は毎日のように面白半分で様々な人が訪れに来るようになった。零はその都度何回も鳴り響くインターホンを無視して、その人の興味が冷めるのを待つ。ただ、今回のように日中にインターホンを鳴らしに来るのは珍しかった。
もう一回インターホンが鳴った。そして、五秒もしない内にインターホンはまるで怪奇現象のように連打される。
これも初めてのことではないため、零は気にすることなく机に向かって勉強を続けた。
インターホンが鳴り止み、しばらくすると階段の軋む音が聞こえてきた。どうやらインターホンの主は家に入り込んできたようだった。
零の家は肝試しに来た騒がしい人たちによって窓ガラスが割られている。この家に入ると呪われると噂が蔓延している中で強盗に入ってくる人はいないだろう、と零はそのまま放置していた。そのせいか肝試しに零の家まで入り込んで来る人が増え、週に一回のペースで誰かが入ってくるようになった。だが、全員零のいる二階の部屋には来ず、一階で悲鳴を上げて逃げ出してしまう。実際、この家には黒いオーラの霊がそこら辺にいるため、深入りしないことは正しい判断だった。
タン、タン、タン、と階段を上がる足音が聞こえる。初めて二階まで来る誰かに零は、態勢を変えないまま勉強の手だけを止めた。
足音が近づいて来る。そして、その足音は零の部屋の前で止まった。
ドアの取っ手を回す音が零の部屋で鳴った。だが、鍵を掛けている零の部屋のドアは取っ手が充分に回り切らない。三度ほど回り切らない取っ手を回し、ドアを引こうとしていたが、鍵に引っ掛かる音を鳴らすだけであった。
零は少し怯えながら身を固まらせていた。
今度は三度ノックする音が鳴る。
「おはようございまーす。国見零さんはいますかー?」
女の子の優しそうな声がドアの向こうから聞こえてきた。
零は名前を呼ばれたことに驚き、椅子を引いて立ち上がると、ドアを凝視して固まった。元々、家に来る人は全員無視するつもりではいたが、これには声が出なかった。
「物音がするってことは、居るってことで良いですよね?」
落ち着きを取り戻した零は、椅子に座り直して女の子からの言葉を無視した。
「無視は良くないですよ?私、泣いちゃいますよ?」
零はまた机に向かうと、女の子の言葉を無視してシャーペンを握った。
「全く、世話が焼けますね。実力行使に出ますから、扉の前に居るなら注意してくださいね」
次の瞬間、ドン、と鈍器でドアを殴ったような大きく鈍い音が部屋の中に響き渡った。
零は思わずドアを見た。
また、鈍く大きい音が部屋の中に鳴り響いた。
零は席を立つと逃げるようにベッドに向かい、壁を背にし、枕を盾のようにしてドアを観察した。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
何度も、何度も、何度も音が響く。それも明らかに大きく、ドアよりも固いものをドアに叩きつけている音だった。
そして、今まで一番の大きな鈍い音と共に、廊下からの光が零の自室に差し込んだ。
「思ったより頑丈でしたね」
部屋に入ってきたのは、柄の長い鈍器を片手に持ったポニーテール姿の学生服の女の子だった。
零は唖然とした表情を浮かべながら、その女の子を枕の陰から眺めていた。
「あなたが国見零さんですか?」
女の子は優しい笑顔で零に語り掛けた。
「はい……」
零は訝しむように言葉を返した。
「引き籠っていると聞いていましたが……意外と綺麗に身なりは整えているんですね」
「お風呂はちゃんと毎日入ってます。もちろん歯磨きも」
「髪はどうしているんですか?私はてっきり髪の長いボサボサの人が中に居ると思っていました」
「自分で適当に切っています。長いと邪魔だから……」
「意外としっかりしているんですね。あっ、自己紹介がまだでしたね。私は
天音はニコリと笑いながら、零に手を差し伸べた。
零は恐る恐る天音の手を握る。何年も人と関わることをしなかった零は、この手は握手を求めているで合っているよな、と差し出された手の解釈に不安を覚えていた。
「これは……凄いですね」
零の手を握った天音は目を見開いて言葉を零した。そして、天音は何かに満足したように頷くと、零の右手首に手錠をかけた。
「え?」
零は予想外の展開に思わず抜けた声を出す。その間に天音は、零の左手首と両足首に手錠をかけて、口をガムテープで覆った。
「移動しましょうか。安心してください。これでも男の子一人を担げるくらいには筋力に自信がありますから」
天音はそう言うと、抵抗のできない零を右肩に担ぐように持って部屋を出た。体幹がブレることなく安定して、階段を下りる。零の家を窓から出て向かったのは、一台の黒い車だった。零を車の後部座席に投げ込むと、天音は助手席に座り「出してください」と一言告げた。
「国見さんが身体を清潔にしていて助かりました。おかげ一番楽な方法で運ぶことができました」
天音は愉快そうに喋るが、零はそれどころではなかった。いきなり現れた女の子に気が付いたら誘拐されていた。これから自分がどうなるのか全く想像つかない。だが、零にはどうすこともできなかった。
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