第1章 プロローグ 最後の依頼①

 短命でも俺たちは生きているんだ、と刻むように蝉たちの合唱が校内に響き渡る。文化祭の準備で騒がしかった校内も今では蝉の声が響くだけの風通しの良いただの箱。教室に残っているのは暇人か青春を謳歌する健全な高校生くらいなものだった。

 前者である優友は冷房の効いた教室で友人を待っていた。特にすることもなく、自分の席で顔をうつ伏せにして、友人である勇人が呼びに来るのを待つ。入学当初は余裕のあった学生服は、二年生の優友には少し小さくなってしまい、腕を枕にするこの体勢は両脇の辺りに若干の気持ち悪さを感じさせた。

 窓の方に顔を向けると、橙色の西日が窓から差している。約束の時間は午後四時のはずだったが、教室に掛けてある時計を見るともう午後五時を回っていた。

 重たい瞼に頑張って逆らいながら立ち上がり、優友は窓を開ける。三階の校舎から見下ろした運動場では野球部員たちが必死に監督のノックに食らいついていた。優友は遠目ながら勇人の姿を一生懸命な野球部員たちの中から探す。

 大事な話がある、と珍しくチャットで切り出してきた勇人は、監督が一時的に抜ける四時頃に練習を抜け出してくる予定だった。まだ来ていないということはこの炎天下の中で練習を抜け出せずにいるのかもしれない。もしくは野球に夢中で約束を忘れているだけか。野球バカの勇人ならあり得ることだった。

 勇人は高校で初めてできた友人である。一年の時からクラスが同じで、学籍番号も近いため席も近かった。趣味は合わないが、何となく波長が合ったからか、気付いたら仲良くなっていた。勇人はちょっと軽いやつだが、気さくで面白いやつだ。クラスのムードメーカーでもあり、男女両方から人気のあるやつでもあった。

 野球部員を眺める優友の肩に手が置かれた。気配もなくいきなり置かれたその手の平に優友は、驚いて勢いよく飛び跳ねるように振り返る。

「悪い。遅れた」

 あまりの前触れのなさに優友は声が出なかった。

「やっぱお前、ビビりだよな。この前は変な理屈こねて来なかったけど、今度の肝試しは絶対に連れてくからな」

 土に汚れた野球部のユニフォームを着た勇人が、声を出して笑っていた。いつもの爽やかな笑い声が静かな教室に良く響く。

「……びっくりした~。驚かせないでよ。それに、僕は絶対に肝試しには参加しないから。暑いからって怪談や肝試しで身体を冷やすなんて意味わからない。昔と違って今はエアーコンディショナーっていう画期的でめちゃくちゃ優れたマシーンがあるんだよ。わざわざ暑い外に出るなんて時代遅れもいいとこだから」

「出た、出た。優友の謎理論。そんなに早口で喋らなくてもお前の言い訳ちゃんと聞いてやるからさ。行こうぜ、肝試し」

「全然聞いてないじゃん……」

「そんな嫌そうな顔するなよ。お前が居た方が絶対盛り上がるんだって」

 勇太は優友の肩を組み、楽しそうに優友を誘い続ける。行ってもリアクションを面白がられるだけだと分かっている優友は、勇太の手を退かして距離を取った。

「嫌だね。クラスの半分が前回行ったんでしょ?十五人も居たら僕が居なくても充分、充分」

 それでもイヤイヤ言う優友は誘われること自体は嬉しく、満更でもない様子を滲ませていた。

「お前の気になってる麗奈ちゃんも今度参加してみたいって言ってたぞ」

 もう一押しだな、と感じ取った勇太はワザとらしい高い声で、優友をおびき寄せる餌を出した。

「え?」

 優友の強固な決意が一瞬揺らいだ。

 麗奈さんは長く綺麗な黒髪のお淑やかな女の子で、優友とは今年から同じクラスになった。クラス替えの日に一目惚れして、今日まで必死に仲を深めようと頑張ってきた。その麗奈さんと遊びに行けるチャンスの到来。この半年近くで気軽に雑談をするくらいには仲良くなったが、遊びに誘うにはまだ勇気が出せないかった。これはクラスメイト付きではあるが、初めて麗奈さんと学校以外で会える絶好の機会だった。

「今度の肝試しどこ行くか話してたらさ。麗奈ちゃんが聞いてたみたいで『私も今度一緒に行っても良い?』って食いついて来てくれた訳よ。優友にとっては夏休み前の大チャンスだと思うけどな」

 優友は忌々しく勇人のニヤニヤ顔を見ながら、見事に勇人の策略に嵌っていた。

「吊り橋効果でワンチャンだってあると思うけどな~」

 それは確かにある、と優友の中で天秤でさらに揺れ動く。吊り橋効果を経て、何回か遊びに誘って告白は理想な流れだ。麗奈さんが他の男子と吊り橋効果で仲良くなる可能性だってあるなら、それを消すためにも行くべきかもしれない。

「ちなみに次の肝試しは明日だからな。明日は文化祭の準備の後に再集合だから、麗奈ちゃんの私服も見れると思う―――」

「行きます」

 優友の中の天秤は肝試しの恐怖よりも麗奈さんの私服に完全に傾いた。

「それじゃあ決まりな。明日の十七時に駅前集合。ビビッて遅刻するなよ」

 勇人はスマートフォンを取り出して、肝試しのグループにメッセージを打ち込み始めた。

「そりゃあ、ねえ」

 ご機嫌な優友の頭の中は肝試しよりも麗奈さんのことで占められていた。肝試しの恐怖は微塵も沸き上がってこない。家までスキップして帰っていきそうなくらいには優友は浮かれていた。

 ちゃんとお洒落な服を選ばないとな、と優友が浮ついていると、外から野球部員たちの掛け声が耳に入ってくる。それで優友は勇人に大事な用で呼び出されていることを思い出した。

「ねぇ。勇人?」

「何だよ?やっぱ嫌なんて言うなよ」

「そうじゃなくて。何か大事な話があるんでしょ?」

「え?今しただろ?」

「へ?」

 優友は思わず拍子抜けた声を出てしまった。

「……話しにくいならそう言って良いんだよ?また勇人が話せる時に声を掛けてくれれば良いし」

「何言ってんだよ。俺が話したかったのは明日の肝試しのことだよ。まさかそんな真剣な顔で聞かれるとは思わなかったから言い淀んじゃったじゃんかよ」

 らしくない。

 今まで見てきた勇太と解離した言葉に優友は不審に感じていた。

 勇人はクラスメイトを大事にしているし、肝試しやクラスメイトが楽しめることをよく企画するやつだ。だが、何よりも優先するのは野球だった。勇人は一年の時に、サボりの多い先輩や練習に手を抜く先輩に怒って突っかかっていた。「練習する時には練習してくださいよ」と二年生の先輩に廊下で周りに聞こえるくらいの大声で当たりに行っていたのは今でも印象深い。そんな勇人が練習を抜け出して、話した大事な話が肝試しについて。

 らしくない。

 全然、らしくなかった。

 もう一度、本当に話したかったことがこれなのか問い詰めよう、と優友が口を開こうとした時、窓の外から青年の声が響いてきた。

「退け!退け!退け~!」

 窓の外から黒いもの影が勢い良く教室に入ってくる。着地に失敗した何かは大きな物音を立てて壁にドアにぶつかると、鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がった。

「イッテ~。式神なんて試すんじゃなかった」

 勢い良く壁に顔から突っ込んで行ったのは黒髪と白髪の混じった短い髪に黒の革手袋、同じ学生服を着た青年。奇抜な髪色だが何より目を引いたのは真っ黒な右眼と真っ白な左眼の特徴的なそのオッドアイだった。

 優友はその宝石のような瞳に心を奪われていた。

「……そのままの意味だったとはな」

 優友と勇太を見て呟いた青年は右手の革の手袋を外しながら、優友たちの方にゆっくりと近づいて行く。

 優友は何か話しかけた方が良いのか迷っていたが、すぐにその必要は無くなった。

「勇人!」

 優友は思わず叫んでいた。

 右手の手袋を外した青年は何でもないように優友たちの前まで歩いて行くと、急に右手の平で勇人の顔を押し込み、後頭部を床に埋め込むように勇人を床に叩きつけた。

「何してんだよ」

 優友は我を忘れて青年に掴みかかっていた。だが、青年は勇人に対して手を緩めることなかった。

「こいつが心霊スポットに行ったのはいつだ?」

 青年は掴みかかっている優友に構うことなく、事務的に僕に話しかけた。

「まず、手を放せよ」

 優友も手を緩めることなく、青年にさらに詰める。

 だが、青年の反応は溜め息一つだった。

「お前が情に厚いことは分かった。けど、よく見てみろ。それが本当にお前の友人なのか?」

 優友は青年の目に促されるままに勇人の方に目を向けた。


 優友の目に映ったのは黒いもやに覆われた人の形をしたようなものだった。


「う、うぁああああああああ」

 優友は青年を掴んでいた手を放し、窓側の壁に背中をぶつけるまで後退る。壁にぶつかった優友は腰が抜け、壁に背を付けたまま尻ごんでしまった。

 優友の頭は混乱していた。

 何?どういうこと?勇太が化け物?夢?現実?

 纏まらない思考のまま優友は勇人だったものから目が離せない。

「こんなものか」

 青年は押さえつけるようにしていた右手でその黒いものを掴み、教室の後ろの黒板の方へ投げつける。

 勇人から黒いものが分離した。

 優友は勇人に駆け寄りたかったが、腰が抜けて動けない。今できるのは勇人の名前を叫ぶことだけだった。

「それで。こいつが心霊スポットに行ったのはいつなんだ?」

 優友の叫び声を掻き消すように青年の声が教室に響いた。

「あ、えっと、三日前……です」

「そうか。なら大丈夫だな」

 優友から青年の顔は良く見えなかったが、心なしか嬉しそうな声が聞こえた気がした。

「安心したような顔するのはまだ早いぞ」

 青年の声が冷や水のように優友の弛んでいた緊張がピンと伸ばす。

 青年は左手の手袋を外し、右手にポケットから取り出した折り畳み式のナイフを持った。そして青年は、右手に持ったナイフで左手の手の平を切りつけた。青年は左手から鮮血を流しながら、真っ赤に染まったナイフを黒いものへ構える。

「来いよ」

 青年は挑発するように黒板にへばり付いた子どもの落書きのような黒い線状の集合体を見た。

 黒いものは黒板を蹴り、一直線に青年の元へ飛びつこうとする。

「安直だな」

 そう言った青年は、飛びついてきた黒いものを慣れた手つきで血に染まったナイフで一文字に切り裂いた。

 そこに悲鳴はない。

 黒いものは風に飛ばされた砂のようにパラパラと消えていった。

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