第11話

 聖堂から歩いて三十分はかかる芽依めいの屋敷。

 その一室で、三津流みつると並ぶように横になっていた裕祇斗ゆぎとが、ふと瞼を上げる。


「ーーーー……」


 …………耳鳴りがする。

 上体を起こし、隣の三津流を横目で見るも、特に異常はなさそうだった。おだやかに眠る少年の掛け布団を直してやり、裕祇斗は部屋から廊下に出る。


「………………」


 ……静か過ぎると思った。

 夜の影響もあるだろうが、それでも、何の声も聞こえないのは少しおかしい。

 ーーーーだが、耳鳴りは依然いぜんとして続く。

 時折近くで。時折金切かなきり声のようにするどく。

 耳鳴りにしては生き物のようでーーーー。

 そこに思考がたどり着いた時、裕祇斗は無意識に呟く。


「…………鳴き……声……?」


 キィィイイン!と一際ひときわ大きな音を立てる。一瞬だけ、目の前に羽のようなものが見えた気がした。


『ーーーーグルル』

「ひっ……!!」


 小さな悲鳴にはハッとして、裕祇斗があわてて部屋に戻ると、三津流が涙目になりながら、何かを手で追い払うような仕草しぐさをしていた。


「三津流!」

「裕祇斗様…!!」


 裕祇斗は三津流に駆け寄る。


「どうした?!」

「お、狼が……っ」

「狼……?」


 三津流に言われて辺りを見渡してみても、それらしきものは見受けられない。ただ、グルルとうなるような声が聞こえてくるだけだ。

 裕祇斗は腰に差していた剣を引き抜いて獣の声に集中する。

 すると、グルル、グルルと部屋のあちこちから聞こえてくるのが分かった。

 ……二、……いや、三匹はいる。

 裕祇斗は三津流を背後にかばい、壁に沿いながら、少しずつ扉のほうへ移動する。

 自分のすそつかんで必死に恐怖と闘う三津流の目には、涙がまっていた。

 グルル……と唸る声に神経をませると、ぼんやりとだが、何かが動く気配はする。


『ーーーーまそ……う』

「!!」


 その声と重なるようにガゥッと獣が叫び、気配が上に移動する。ーーーー飛び付いてくる、とさっして裕祇斗は剣を横にぎ払った。


「…………くっ」


 少しだけかすめた感触がある。だが、相変わらず獣自体は目に見えない。


「裕祇斗様っ!左!!」

「……!!っ」


 刹那、左腕に鋭い痛みが走る。

 まれたのだと気付いた、左腕ギリギリの所に剣を突き立てた。キャウンッといて獣が飛び退く。


「……ちっ」


 ポタ、ポタと血がしたたる。


『…………うまそ……う』


 はっとして裕祇斗が顔を上げる。すると、顔前にせまる獣の姿がはっきりと見えた。


「ーーーーーー」

「……っ……!裕祇斗さまぁ!」


 三津流の悲鳴に似た叫びが、どこか遠くで聴こえる。

 剣を構えようと腕を上げるも、この距離では絶対に間に合わない。



「ーーーーっの、!!」

『キャン!!』


 突如、すさまじい速さで目の前にいた獣が真横に吹っ飛ぶ。


「…………な……」


 ふすまが壊れ、あらゆるものが衝撃で倒れ床に落ちていく。そんな状況よりも裕祇斗は、目の前に現れた人物に呆気あっけに取られていた。


「ーーーーバカかお前。コイツら、いくら倒したって意味ねーよ」

「テヌート……っ」


 三津流が涙声でその名を呼ぶ。

 テヌートも三津流を見返すと口を開いた。


「三津流。お前は忠文ただふみが休んでる部屋に行ってそこでじっとしてろ。忠文に護ってもらえ。この部屋にいると邪魔になる。……分かったな」


 少し厳しい声でそうげるテヌートに、三津流はまた涙目になった。


「で、でも……っ。裕祇斗様がっ」

「…………コイツは大丈夫だ。獣ももう視えてる。ーーーー早く行け」


 三津流が裕祇斗を見る。裕祇斗が安心させるように頷いてみせると、三津流も一つ頷いて今度こそきびすを返して走り出す。

 それを横目で見た後、裕祇斗は深く息を吐き出した。

 そして目の前のテヌートに視線を戻す。

 裕祇斗の記憶では確か、この屋敷に到着した時、この男は部屋で休んでると聞かされていた。

 忠文の話では、芽依が屋敷を出た直後に倒れ、意識がない状態だったという。高熱にうなされ、時々血を吐き、どんな薬も効果がない。生きているのが不思議なくらいの状態だったのに、起きて戦っているのが信じがたい。今でも、良く見れば額に脂汗あぶらあせにじんでいるし、息遣いも荒いのが分かる。


「…………お前、寝てなくて平気なのか?」

「あ?そんな事言ってられる状況しゃねーだろ。……この獣どもはただの傀儡くぐつだ。倒しても復活する。コイツらを操ってる本体をさがせ!」

「本体って……」

「ーーーーーー」


 テヌートが口を開きかけた時、突如として爆発音が鳴り、それとともに聖宮のほうで巨大な火柱ひばしらが上がる。

 それを見て、二人は同時に息をむ。


「…………っ、芽依……!!」

「…………ちっ……」


 テヌートは苛立いらだちを隠さずに舌打ちすると、今にも聖宮に走り出していきそうな裕祇斗の前に立って行く手をさえぎる。


「……おい、人間。お前はここに残って本体を倒せ」

「は?!」

「中庭の中央付近に、小さな羽を持ったやつが見えるな?あいつを倒せ。そうすりゃ獣も消える」

「……っ、待てよ、……っ。見えるったって、さっき一瞬だけだったし、今もぼんやりとしか……。それに、姫を助けに行くなら俺もーーーー」

「お前は来るな」


 裕祇斗の言葉をスパッと切り捨てる。裕祇斗の構える剣の先に軽く触れた。


「…………ぼんやりとでも見えるなら十分だ。あいつは下級悪魔だがすばしっこい。気付かれないように近付いて一気に仕留しとめろよ。……それと」


 そこまで一息ひといきに言い切ってから、テヌートは肩越しに裕祇斗を見やる。


「三津流はお前を頼ってんだ。コイツら倒したら、三津流の側に居てやれ。……芽依は絶対死なせない」

「な……」

「ーーーー屋敷と三津流はお前にまかせる」


 強い意志で放たれたその言葉に、裕祇斗も先程さきほどまでとは明らかに表情を変える。


「……ーーーー分かった」


 あごを引いて低い声で答える。それを聞き、小さく口元に笑みを浮かべたテヌートは、そのまま聖宮に向かって走り出す。

 その背を見送った後、裕祇斗は視線を獣達に戻した。

 先程まで鳴き声しか聴こえなかった獣の姿が、今ははっきりと見る事が出来る。

 左右に一匹ずつ、本体を守るように一匹、だ。

 死にかけたからか、視える力が強まったのかもしれない。

 裕祇斗は剣を構え直す。


「…………ふざけんな」


 無意識にこぼれ出た声はひどく低音で、裕祇斗の怒りを如実にょじつに表していた。


「芽依は、俺が守る」


 裕祇斗の目には、彼の前を走っていたテヌートの後ろ姿の残像が映っている。

 今もまだ、軽々と俺の前に立つその背中。

 分かってる。

 あいつは強い。だから、あいつが芽依を守ってる。

 ……分かってる。

 俺はまだ弱い。だから、護衛がいつも側にいる。


 ーーーーでも。


「ーーーーふざけんな」


 先程とは違う響きを持って、もう一度その言葉をり返す。

 それは他の誰でもなく、自分自身に向けられた言葉。

 裕祇斗はゆっくりと獣達との間合いをめる。

 グルル、と威嚇いかくするように獣が唸り声を発する。


「悪いけど、俺の敵はお前らじゃない。……邪魔すんなよ」


 わずかに聴こえる、羽の音。そこに神経を集中させる。

 裕祇斗が更に一歩踏み出す。

 同時に、キィイイ、という金切り声が響き、それが合図となって、一斉いっせいに裕祇斗に向かって獣達が襲いかかってきたーーーー。


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