第10話

 夕日が水平線に差し掛かり、空が次第に暗くなり始める。

 かなめは散らかった倉庫の片付けを終え、扉を閉める。

 非常事態という事もあり、普段は立ち入ることが許されていない枢達も、かぎに入って道具の整頓を手伝っていた。

 扉は仮のものだが、急遽役人に頼んで造らせた。

 施錠せじょうは戻ってきた祭司さいしが行った。鍵のかけ方は見ないようにしていたが、しっかり鍵が掛けられているのを見て、ほっと息をつく。


「……先程、陛下とも話し合ってきた。豊潤ほうじゅん祭まではまだ日があるが、宝珠ほうじゅは必要不可欠なものだ。捜索は明日から行うゆえ、今日は各自持ち場に戻るように」


 祭司の言葉を受け、神官しんかん達はそれぞれの場所へ散る。

 残ったのは祭司と枢、裕祇斗ゆぎとの三人だけだ。


「…………芽依めいはどうしてる」

「はい。祈りを終えられた後、ご自分に集めたけがれをきよめる為、みそぎを行っております。……あのご様子ですと、今日はお屋敷には戻られないかと」

「そうか」

「もう二時間は経つ。枢は一度、芽依様の様子を見に行きなさい。裕祇斗様、私は王城へ再度参りますので、これにて失礼致します」

「頼みます」


 きびすを返す祭司を目で追った後、裕祇斗は視線を枢に戻す。


「俺は三津流みつるが心配だし、芽依の屋敷に行くよ。芽依にもそう伝えてくれ」

うけたまわりました」


 枢は少し頭を下げてれいをとる。

 巫女である彼女は、王家の者の目を直接見て話をしてはならないと厳しく教育を受けている。

 平民の出の彼女は、その教育を誰よりも忠実に守っていた。

 裕祇斗もそんな彼女の性格を理解してか、苦笑いしただけで何も言わなかった。





 枢が、禊部屋へ入ると、ちょうど芽依が水から上がったところだった。

 れた髪や衣服はそのままでこちらへ歩いてくる彼女に、枢は無言で新しい布を差し出す。

 芽依はそれを受け取ると、髪を押え、あらかたの水分を丁寧ていねいき取る。複数の巫女が彼女の着替えを手伝い、それを終えると、巫女達は一礼して下がっていった。


「……芽依」


 二人になってようやく、枢は芽依に声をかけた。芽依も枢に顔を向ける。


「禊はまだ続きそう?」

「……うん。あと数日は通わないとダメみたい」

「そう……」


 禊は行う時間が決められている。穢れはぎ落とせたが、身を完全に清める為には、少なくともあと数日は通わなければならないだろう。

 身を清めるのは聖女としての義務だ。彼女は禊が終わらないうちは聖宮の外に出ることはない。

 彼女の代わりに裕祇斗が屋敷に向かったむねを伝えると、芽依は安心したようだった。


「……良かった。私はしばらくここで寝泊まりする事になるから心配してたの。わざわざ伝えに来てくれてありがとう。枢も、もう下がって大丈夫だよ」

「……でも」

「枢、疲れてるでしょ?私はまだやることがあるし、一人でも大丈夫。明日のほうが忙しいんだから、今日は休んだほうが良い」


 芽依がそう説得すると、枢は渋々しぶしぶ納得したようだった。何かあったら呼んでと言い残して部屋を後にする。

 聖女である芽依が聖宮にとどまっている限り、その世話をする巫女の彼女達はこの建物から去る事はない。

 大方おおかたは、聖宮の一角にしつらえられている小部屋に寝泊まりする。

 今芽依がいる部屋からは少し離れているが、同じ聖宮内にある為、何かあればすぐにけつける事が可能だ。


「…………よし」


 小さな声で気合いを入れると、芽依は聖堂に向かうために禊部屋を出た。




 外で待っていたのか、部屋の扉を開けると、視界のすみに黒髪がうつる。


「……トキくん?」


 呼び掛けると、感情のとぼしい瑠璃るり色の瞳がこちらを向く。


「………………終わったの?」

「あ、うん。これから聖堂で少しだけ御祈りしに行こうかと……」

「………………大丈夫?」

「え?」


 何がーーーーと、言いかけた芽依の動きが止まる。トキの指が芽依の頬に伸ばされ、触れるか触れないかの所でトキの動きも止まった。

 芽依は少しだけ目を見開くが、トキの様子に変化はない。


「……ーーーー顔色、悪い」

「え?……あー……」


 その事か、と思い、芽依は困ったように笑った。


「……ずっと水の中に居たから冷えたのかな。いつもの事だから、あんまり気にしてなかった」

「………………」


 トキに言われて自覚じかくしたのか、体が寒さでぶるりと震える。

 それを見たトキは、自分のフードローブをいで芽依に着せた。

 その時、今更いまさらながらトキが死神姿な事に気付いた。確かに、彼が普通に芽依と聖堂にいるのは不自然だろう。周りから見えないよう、トキなりの配慮はいりょうかがえる。無論、このローブも周りからは見えない。

 薄い生地にも関わらず風を通さない素材のようで、芽依は体が温まっていくのを感じた。


「…………あ……りがとう」

「…………いや……。テヌートさんならこうするかなと思って……」

「あー確かに」


 テヌートは何気に心配性だからなー。

 彼が文句を言いながらも自分の上着をすところが簡単に想像出来て、芽依は思わず笑みをこぼした。


「……トキくんとテヌートって仲良いんだね」

「……」


 聖堂へと歩き始めながらそう言う。トキも芽依の後を追おうとして、動きが止まった。


「…………違う」


 十分過ぎる程、間を置いてから、トキがぽつりとつぶやいた。


「……え?」


 予想外の答えに、芽依の足も止まる。思わずトキの顔を凝視ぎょうししてしまった。

 トキはいつになく真剣な表情をしていて……。それでいてどこか、さびしげだった。


「…………恩人、だよ……」


 トキの脳裏に、いつかのテヌートの声が今でも鮮明せんめいよみがえる。





『ーーーーお前、死神になれ』


 あれは、地獄で初めてテヌートに会った時、開口一番かいこういちばんに言われた言葉だった。


『お前、後悔してんだろ』


 何を……と言いかけた口が止まる。

 驚きに目を見開き、息の仕方しかたも忘れたように、そのまま指一本動かせなくなってしまった。


 ーーーーあの時、自分が。

 ……ごめんなさい、と呟いて息絶いきたえたのを覚えている。

 誰に対しての言葉だったのか、どういう意味が込められていたのか、目の前の男には分からないだろうに。

 後悔している、そう言われた瞬間、何故なぜだか泣きそうになった。


『ーーーー後悔すんなよ』


 トキは、はっとして、その時初めて、目の前の男の顔を見上げた。


『……お前は、ただ、魔王様の道具とされる為に産まれたのではない。俺が、そんな事は許さない』


 初めて見る男の目には、強い意志が宿やどっていて、トキはまぶしさに目を細めた。


『このまま魔王様のもとへかえりたいなら止めはしない。だが、もう一度、人間として生きてみたいと願うなら、死神になって、俺と来い』

『……………………もう……一度……』


 トキは反射的に男の言葉をり返していた。男はそんなトキを不敵ふてきな笑みで見下ろす。


『自分の意志で、お前が選べ。……お前は、自由に生きる権利がある』







 ーーーーあの日、テヌートは自分をやみからすくい出してくれた。

 後悔するなと。自分が産まれてきた事を後悔したまま終わるなと。

 だから、今度は……後悔しないように……ーーーー。


「……僕は、テヌートさんの側で、あの人の願いを守る。その為に、生きてる。その為なら……死んだって構わない。……僕は、……今度はーーーー」

「!!」


 ーーーートキが何か言いかけた時、突然、物凄ものすご地鳴じなりが起こった。


「っ……!!」


 次の瞬間には、天地てんちふるわすほどの震動が二人をおそう。

 芽依は立つことが出来ず、地面に膝をつく。トキは芽依を支えるようにしながら、周囲を見渡し警戒体制をとる。

 地震は収まらず、それどころかどんどん強さを増してくる。


「な、何っ!?」

「しっかり捕まってて。……ただの地震じゃない」

「それって……、っ!」

「ーーーー」


 刹那せつな、ひゅ、と風が耳元をかすめる音がして、一瞬、全ての音が止んだ。

 心臓の音すら聞こえない…………そんな中、芽依の脳裏であの女がわらう。



 ーーーー……さあ、おいで。



 芽依が目を見開く。

 次の瞬間、巨大な爆発音がして、爆風が芽依達をつつんだ。

 瞬時に燃え上がった炎が辺りを焼き尽くす。


「…………っ、聖堂……に」


 爆発の方向は、今まさに向かおうとしていた聖堂からだった。

 トキのローブのおかげで、さいわい芽依は無傷に近い状態でいられている。

 爆風がゆるむと同時に地面を強くって聖堂へ走り出す。


「…………まっ……」


 トキが伸ばした手はくうく。

 脇目わきめも振らず聖堂へ走り出す芽依を、トキは少しあせったような表情で追いかけた。

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