第9話

 ざわざわ、と風で木々が揺れる中、それとは違うざわめきを感じ、テヌートはその気配の方向に視線をとうじた。

 城の兵や神官らしき男達が、芽依めい裕祇斗ゆぎとに何か話をしているのが確認出来る。

 相当あせって来たのだろう。男達は汗だくで、切羽せっぱ詰まった様子だった。

 随分場所は離れているが、死神の視力は並外なみはずれて高いため細かい仕草まで見通せる。

 テヌートも最初は黙って観察していたが、ふと、彼らの背後から不穏ふおんなものを感じとる。

 ……脳に、僅かに聞こえ始める警笛けいてき音。

 テヌートは顎に当てていた手を離し、じっと彼らを凝視ぎょうしする。


「………………トキ」


 低く、トキを呼ぶ声。だが、視線は芽依達からそららさない。


「ーーーー行け」


 トキは小さく頷き、その場から消える。

 彼の気配が芽依の近くに移動したのを確認すると、空をあおいでそのまま倒れ込んだ。

 トキや芽依といる時は気丈きじょうに振る舞っていたが、体は万全ばんぜんではないし、正直動くのもきつい。ひたいにはじっとりとした脂汗がにじみ出ていた。

 傷はふさがっている。塞がっているのに、状態は昨日よりも悪化しているのだ。


「…………くっそ、……あの女…………」


 テヌートは昨日の死神の女の顔を思い浮かべ、うらめしげな声を出す。

 女の振りかざしたかまには、毒が仕込まれていた。しかも、普通の人間なら即死間違いないほどの、猛毒ーーーー。

 死神の力を取り戻していれば、毒などさしたる脅威きょういではない。だが今は、力も使えない人間の体だ。いくら生命力が強かろうと、もってあと1日が限界。


「………………まだ、ダメだ」


 毒が身体中を暴れまわる。心拍数が上がり、呼吸が浅くなる。

 今芽依が敵から攻撃を受けても、テヌートは彼女を護れない。

 まだ、ダメだ、あと少し、それまでは……。


「…………頼むぞ、トキ」


 テヌートは重い息を吐き、ゆっくりと瞼を降ろした。

 眠りのふちに落ちる間際まぎわ、懐かしい彼女の声が聴こえた気がした。


『…………ねぇ、テヌート。…………もし。もしね、もう一度生まれ変わる事が出来たら……、今度は……ーーーー』







「ーーーーーー」


 城から駆けつけた神官達の言葉を受け、芽依は瞳をわずかに揺らす。

 隣で聞いていた裕祇斗も同様にけわしい表情をとっていた。


「言葉で説明するよりも、実際にご覧になられたほうが早いかと。どうかわたくし共と一緒に聖宮へ」

「…………分かりました」

「俺も行こう」


 芽依は一つ頷くと、不安そうな顔で自分を見つめる弟に視線を合わせた。


「……ごめんね三津流みつる。これから大事なお仕事があって聖宮に戻らなくてはならないの。遊んでいる途中だったのに、ごめんなさい」

「……ううん。僕はだいじょうぶだよ。行ってらっしゃい、あねさま」


 三津流の事は自分が見ていると忠文ただふみが言ってくれたので、芽依は三津流の頭を優しくでると、立ち上がってきびすを返す。

 木の上でその光景を眺めていたトキは、神官達が移動を始めると、音もなくそれを追いかけた。





 聖宮に着くと、中からかなめが走ってくる。芽依も彼女に駆け寄った。


「芽依!」

「枢。何があったの?」

「……分からないの。倉庫の掃除をしようとしたら、かぎが急に爆発して……」


 鍵の間は厳重に保管されるべき重要な道具が置かれている部屋だ。文字通り外側に頑丈がんじょうな鉄の扉と強固きょうこな鍵がかけられ、聖女または祭司さいししか開け方を知らない。巫女としてつかえる彼女は当然、その扉に近付いた事すらないのだ。

 激しい爆発音を聞き付けた祭司達が駆けつけると、鍵の間の扉は破壊されていた。慌てて中をのぞくと、豊潤ほうじゅん祭で聖女が使用するはずの宝珠ほうじゅが、跡形あとかたもなく消えていたのである。

 宝珠は、神から与えられたと伝わるけがれなき玉だ。純粋な魂を持つ聖女にしか直接触れる事は出来ず、穢れた魂で触れれば宝珠はその者を拒絶する。

 その宝珠が、ぬすまれた。

 芽依は頭からさーと血の気が引いていくのを感じた。

 芽依の脳裏で、あの死神の女が笑う。

 穢れた魂を持つ死神は宝珠に触れる事はおろか、近付く事も出来ないはず。でも、盗めた。

 ……死神が宝珠に触れる方法。

 穢れなき玉は触れられない。なら、その逆の力を注ぎ込めば、不可能では……ない。

 ーーーーそう、……宝珠を、穢れさせれば良いのだ。

 この部屋は、穢れで満ちている。すさまじいほどの穢れに触れ、芽依は体が冷たくなっていくのを感じた。

 どくん、と心臓がひときわ大きな音を立てる。


「ーーーー……」


 唐突に、芽依から表情が消えた。すうっと、細くて長い指が扉に伸ばされる。


「ーーーー『穢れが、』」


 枢がはっと息をむ。一瞬彼女の中で、時が止まった気がした。

 芽依の表情が、あきらかに先程とは違っていたのだ。


「『破壊された扉から穢れが拡がりつつある。放っておけば、人々にも影響が出始めるでしょう。……穢れはこの体に集めます。ーーーー皆、下がっていなさい』」

「…………芽依様、何を……」


 状況のつかみきれていない神官達が芽依に近付こうとする。しかし、すっと伸びてきた腕が彼らを引き止めた。


「待ってください。今の言葉は、……芽依が放った言葉じゃない」

「裕祇斗様?それは、どういう……」

「それは……」


 それで言葉を切り、裕祇斗は枢を見る。彼女は聖女の側役でもあり、聖女が神託しんたくを降ろした時、それが本当に神の言葉であるかを判断する役割もになっている。

 裕祇斗からの視線に、枢はおそる恐るといったように手を胸の前で絡み合わせると、真剣な顔で小さく顎を引いた。


「…………おそれながら。……真実、神の御託宣ごたくせんで間違いないかと」


 枢の答えに、裕祇斗は頷く。


「では、我々はその言葉にしたがいましょう。祭司様はどちらに」

「……この事を報告しに、櫛梛くいなさんと王城へ」

「そうですか。では、俺も王城へ向かいます。皆は聖堂の外でお待ちを。……枢、芽依を頼む」

「ーーーーはい」


 力強く返事をする枢に少しだけ表情をゆるませると、裕祇斗はそのまま神官達を連れて外へ出た。

 枢は振り返って芽依を見る。芽依は既に扉の前に膝をつき、目を閉じていた。

 ……ここで枢に出来る事はない。

 彼女は少し離れた所に立つと、同じように床に膝をつく。

 ぴくりとも動かないその背を見つめながら、芽依のいのりが終わるのをひたすらに待ち続けたーーーー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る