第2話

 ほのかな春風がう昼時。

 王宮の隣に建立された小高い塔の中で、一人の少女が祭壇さいだんの前に膝をつき、手を胸の前で軽く合わせていた。

 さらりとした長い髪を一ふさずつ残して後ろで高く結び、頭からレース状の布を瞼にかかるくらいまでらしている。長袖の上衣が上品さをよそおい、彼女の身分の高さを物語っていた。

 祭司さいしが彼女に対して長々と儀式の言葉をべている。周りには大勢の人々が彼女の後ろ姿を見つめており、誰も彼もが皆、彼女の言葉を待っていた。

 祭司が彼女に立つように手振りでうながすと、少女はゆっくりと立ち上がって人々を振り返った。まだ幼さの残る愛らしいその面差しが急に大人びたものへと変わる。


「ーーーー……」


 少女は一度だけ瞼の奥を震わせ、おもむろに口を開いた。すると少女の透き通る綺麗な歌声が、聖宮の隅々まで響き渡る。

 聖歌を歌い終えると、少女は聖堂に向き直って瞑目めいもくし、静かに膝を折って再び手を絡める。

 人々が礼拝れいはいを終えて聖宮から出るまで、そうして祈りをささげていた。



 * * *


 人々が聖堂から居なくなると、あとは数人の巫女と神官だけが残された。

 先程まで祈りを捧げていた少女は、後ろで髪をくくっていたいを取って立ち上がった。


「ひーめっ、お疲れ!」


 少女が声のしたほうに顔を向けると、聖堂の壁に寄りかかったままの青年がこちらに向かって手を振っているのが見えた。

 彼女は一度目をぱちくりさせると、軽く首をかしげてみせる。


裕祇斗ゆぎとが聖堂の中に入ってくるなんて珍しいね。どうしたの?」


 いつもなら、聖宮の外で自分が終わるのを待っているのに。

 本当に不思議そうに尋ねてくる少女に、裕祇斗はがっかりしたように肩をすくめてみせた。


「……何かひでー。せっかく姫に会いに来たのにその言いぐさ」

「…………姫って呼ばないでってば」

「はは、いーじゃんか。俺王子だし、芽依めいはその婚約者なんだから、未来の姫だろ?」

「………………それは……」


 それとこれとは話が別な気がする、とはえて言わなかった。


「それより、今日は芽依の聖女公認式だろ?だから見に来たんだ。ーーーーおめでとう」

「…………あ、りがとう」


 少女ーー芽依は急に照れくさくなってうつむいた。

 聖女になるには、数年の修行の後、難しい試験に合格しなければならず、聖女になれるのはほんの一握ひとにぎりであるため、自分も死物狂しにものぐるいで努力したのだ。

 初めは、父が王宮の祭祀さいしり行う祭司だったことから、何となく自分もその道を辿たどるものだと思っていた。だが、裕祇斗との婚約が決まってから、その意志は重く、固いものになった。

 芽依と裕祇斗は国王と祭司の子供という立場と、年も近い事があり、幼少の頃から仲が良かった。その流れか、婚約の話も自然な成り行きだった。昔は王族と聖女の婚約は禁止されていたが、今の時代はむしろ、王族と聖女が婚姻を結ぶほうが一般的になりつつある。

 それに裕祇斗はこの国の第三王子だ。王位継承権は一番低い為、婚約の相手を自分で選ぶ事が可能だった。

 その成り行きもあってか、国王はすんなりと正式に二人の婚約を認めた。

 裕祇斗のことは好きだし、尊敬している。それに、芽依が聖女となるのを一番応援してくれていたのが、彼だった。

 この、聖女という称号は、裕祇斗が守ってくれたものでもある。少女は聖女のあかしである純白の上衣を上から軽く触れた。無意識に笑みがこぼれる。


「…………でも、まだまだこれからだ」


 そう呟く少女を見つめ、裕祇斗は表情を柔らかくした。


「ーーーー……だな」


 二人を暖かい風が包み込む。

 暫く余韻よいんけっていると、聖宮の外から足音が段々と聞こえてきた。

 芽依達の元にたどり着いたその足音の正体は、裕祇斗に向き直ると眉を少しだけり上げてみせた。


「王子、何やってるんですか。芽依様と話したいのも分かりますけど、仕事してください。仕事。祭司様の所には、もう行かれたんですか?」

「うっ……」


 裕祇斗が声をまらせるのを見て、青年は深いため息をつく。

 彼は王子である裕祇斗の護衛役兼世話役だ。年齢が離れているせいか、裕祇斗は彼を兄のようにしたっていた。髪は紫色に近く、丸型のふち入り眼鏡をかけているのが印象的だ。

 芽依は不安そうな顔をして青年を見た。


「……何か、あったんですか?」


 その視線を受け、青年は大した事ではありませんよ、と困ったようにして笑った。


「ただ、今度行われる祭事についての打ち合わせをするだけです。あと一ヵ月しかありませんからね」

「……あぁ、豊潤ほうじゅん祭」

「芽依様も聖女としての晴れ舞台ですね。王子も暫く聖宮に通い詰めになるかもしれませんが、お気になさらず」


 そう言って青年がにっこりと笑うので、少女も苦笑いしか出てこない。


「では、急ぎますので」

「はい。……頑張ってね、裕祇斗」

「おー……」


 青年に連れられて力なく去っていく裕祇斗だったが、不意にその足が止まり、少女を振り返った。突然の行動に、少女も一瞬どきりとする。


「芽依」


 少女の名を呼んだ裕祇斗は、一瞬だけ神妙しんみょう面持おももちをした後、すぐにいつもの明るい笑顔を浮かべて、芽依の頭をくしゃりとでた。


「じゃあな」


 くしゃくしゃにされた髪を直しながら、芽依は表情のよく変わる裕祇斗の姿を見て、何とも言えない笑みを浮かべる。

 今度はそのまま振り返らずに歩く彼の後ろ姿を、芽依は見えなくなるまでずっと眺めていたーーーー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る