第十一話 “黒の力”の初陣
――「目には目を」なんていうが、それはよく言ったものだと思う。この世界では、この世界の常識を肌身離さず戦わなければいけない。一瞬の迷いも許されない、“黒の力”の初陣。――
俺より一足先に現場に着いた
一般的なマンションと変わらない、明るさ控えめなエントランス。建物の中へは入れるが頑丈な自動ドアが整備され、鍵を持っていないとその先には進めない。
「どうだった?
「ん~、いないね……」
「なあ隙谷、ちょっと寮に入ってみようぜ」
「え? 勝手に入っていいのか?」
「ドアまでなら大丈夫でしょ~。僕たちは探偵だからね~」
二人は俺を置いて躊躇なく女子寮に立入った。
「ミコ……聞こえるか……?」
単独になった隙にスマホをポケットから取り出す。
『場所はわかってる――これから目印送るから待機してて――』
「ミコ、どこにいんだ?」
『そんなに離れてないよ――とりあえず犯人見つけたらまた話しかけて――』
「
垣登たちが女子寮から戻ってきたので、咄嗟にスマホをポケットにしまった。
いや、別にそのまま持っていても不自然ではないのだが……
「独瞬君、ちゃんと探してる~?」
「あ、ああ。この付近にもいないみたいだな……」
「二人とも、これを見てよ」
隙谷がチャットの画面を差し出した。
「さっき僕が送信したメッセージだけど~。未読のままなんだよね~」
「てことは……?」
「今、佐暮さんはチャットの画面を閉じてる。つまり他の画面を見てるってことだけど~。これ、誰が操作してんのかな~?」
俺と垣登は顔を見合わせた。少なくとも俺は俺なりに不安な表情をつくったつもりだったが、垣登は小銭でも拾ったような顔をしていた。
「隙谷、電話かけてみるか?」
「そうだね~……危険な感じがするけど、一回かけてみる?」
隙谷が通話機能を開こうとしたとき、俺のすぐ横を何かが通り過ぎた。
細長く白い物体が地面すれすれを移動している。
あれは……紙飛行機!?
「あれか……!」
「どうした独瞬?」
のろのろと飛行する三角形めがけてアスファルトを蹴る。
俺の足を悟ったのか、紙飛行機は速度を上げ、建物を直角に曲がって路地裏へ入り込んだ。
「あいつか……!」
角を曲がった先にいたのはグレーの学生服を着た少年だった。若干射し込んだ夕暮れの光と建物の影との境目でスマホの画面を睨んでいる。
「あ! あいつ! スマホ持ってるぜ!」
俺を追いかけてきた垣登たちも少年に目をやる。
「あの校章は……
俺たちの存在に気づいた少年は黙ったままスマホを背に隠し、影の中へ後ずさりした。
「君さ、八組の
山辺と呼ばれた、赤茶色の髪が目にかかるその小柄な男子は、一息ついてから口を開いた。
「別に何してようが俺の自由だろ。ここは立ち入り禁止じゃねえし」
「ところがね、そんなこと言われてほっておける状況じゃないんだよね~こっちはさ……」
隙谷が僅かに距離を詰める。
「今ね~、一組の佐暮さんを探してるんだ。君、知らない?」
「知らねえ。誰だそいつ」
「こいつ怪しいぜ。普通こんなとこに来ねえだろ」
垣登も隙谷の隣に並ぶ。
「だね。僕たちは今、君のことを怪しんでる。思い当たりはあるかな~?」
「だからねえって! 何なんだよてめえらは!」
どうする? このままでは埒が明かない。紙飛行機がミコからのサインならば、山辺が事件に大きく関わっていることは間違いない。あのスマホが佐暮さんのものだという証拠を炙り出さなければ。
『ジリリリリ!』
突然、黒電話の着信音が路地裏に響き渡った。その
「山辺くん、電話鳴ってるよ~。出なくていいの~?」
隙谷が笑い混じりに挑発する。
山辺はスマホの画面をちらりと確認すると、大きな声で返事をした。
「いいよ、たいした電話じゃねえみたいだし、もう切れる」
だが、黒電話の音は鳴りやまない。
「ふ、残念だけど、電話は君が拒否しないと止まないし、もう君が犯人ってことがわかっちゃったよ~。……だってそのスマホにかけてるの、僕だからさあ!」
隙谷は勝ち誇ったかのように、自分のスマホの画面を山辺に見せ、片手でデジカメのシャッターを切った。
カメラのフラッシュをきっかけに、山辺は路地裏のさらに奥へ走り出した。
「くそっ、逃げやがったな!」
相変わらず楽しそうな垣登と隙谷は山辺の後を追い、暗い通路へ飲まれていった。
「……よし。ミコ、これからどうすればいい?」
『まず、第一棟の正面から建物に入って、そのまま屋上まで上がって――そこにたぶん猫面人がいる――ドアは開けといたから急いで――』
返事よりも先に体が動いていた。
あいつがいる。この建物の屋上に、あの猫の化け物が……!
本当に自動で開いていたドアを抜け、左手に見えた階段を駆け上がる。
息を切らしながら、ドン! と重い扉を全身で開けると、コンクリート張りの開けた屋上に出た。
西日に照らされる羽根付きの赤紫の帽子、赤いマント。毛先まで艶めくふさふさの体。それは、この地球上のどこにも二人目はいないであろう、信じ難いファンタジーの獣。
「貴様どうやってここへ……」
「また会えたな、猫野郎」
その傍らには膝を抱えて座る女子生徒の姿。彼女の垂れた前髪から覗く瞳は冷え切っていて、ブラウンの質素なローファーの爪先に向けられている。
フェンスの下には誰かが忘れていったであろうバレーボールが一つ転がっていた。
「……その子、どうする気だよ?」
「……面倒な…………」
猫面人と女子生徒の体が下から徐々に透過していく。
「また逃げるのか?」
「いずれ貴様とも遊ぶ日が来る。それまではまだ大人しくしていろ」
口角から覗く鋭い牙に反射した、オレンジの光が目に痛い。
やがて、風にゆすぶられる帽子の羽根飾りまで跡形もなく消え去った。
……さあ、勝負はこれからだ。
呼吸をしろ。距離を測れ。タイミングは一度きり。目印なら初めから用意されている。やや上空でホバリングしている紙飛行機がその位置を俺に知らせてくれる。あと三歩で俺の横を通り過ぎる。その直前に…………
「いけえっ!!」
俺が右手を上へ振り上げるとともに、フェンス近くに転がっていたバレーボールが急発進し、俺の頬をかすめた。
『ドム!』
と、鈍い空気の音が屋上に反射し、俺の真横に顔を抑えた人型の猫が現れた。
会話の最中に準備する時間は十分すぎるほどあった。
猫面人の顔面に重心を作り出し、バレーボールとロープでつなげるイメージができるほどに。
「明日も休みだし、今日遊んでくれよ。実は俺、猫は犬の次の次くらいに好きなんだよ」
「ぐ……貴様、貴様の力は一体何だというのだ……」
「お前たちの目的を教えてくれたら答えて――」
猫面人の左のかぎ爪が俺の顔の高さで止まっている。
咄嗟に右手を振り上げ、バレーボールを再発射。しかし――
『パァン!!』
ボールは破裂し、空気を吐き出した抜け殻がぺしゃんと落っこちた。
猫面人の右手には銀のレイピア。ようやく本気で戦うつもりになったか。
「この場で貴様を殺すつもりはない。許しを請えば見逃してやろう」
「優しいね。でもたぶんそいつは無理だな」
すでに勝負は傾いている。
第二棟の屋上で隙を窺っていたのは、青黒ワンピースの小柄な少女。彼女はたった今、第一棟の屋上へぴょこんと飛び移り、猫面人の背後に忍び寄っている。
「……作戦はうまくいきそうであるか?」
猫面人の目がつり上がり、その一言で時が止まった。
何? まさか俺たちの狙いが――
「吾輩の頭上にあるこの紙製の玩具、便利なものであるな」
猫面人がレイピアを天へと翳し、紙飛行機を貫いた。
俺はそれを目で追うことしかできず、ミコが猫面人の脇腹めがけて飛び蹴りをくらわそうとするのに気づくまで、頭の中が空っぽになったようだった。
ミコの脚が猫面人をすり抜け、両者の体が完全に重なったとき、嵌められたのは俺たちの方であることを理解した。
空振りしたミコがバランスを崩しながらも回転し、片手を床につき体勢を立て直す。
「オールビット人……」
さっきまであった猫面人の姿は消え、どこからか猛獣の唸り声が聞こえてくる。
「ミコ、猫面人見えるか?」
「ううん、見えない」
だがミコの眼は全く物怖じしていない。それどころかあまりの冷静さにこちらが恐怖さえ覚える。
攻撃してくるのか? どこから来るのか……?
無音が支配する屋上。空は黒を強め、禍高から少し離れた繁華街にそびえるタワーの点滅が心臓の音に呼応する。
俺とミコは声を発することなく、自然と背中を合わせていた。
「右!」
ミコが叫んだ途端、コンクリートの割れる衝撃が足元から肺のあたりまで伝わってきた。
驚く間もなく、俺はミコに背中を押され、大股で前へよろめいた。
振り返ると、ミコが猫面人のレイピアを受け止めているのがぼんやりと見えた。
両手でコンクリートブロックを持ち、レイピアを押し返そうとしている。間一髪攻撃を防いだのか。いや違う。俺が今最も注目するべきはそこじゃない。
ミコが猫面人と接触できている!
再度猫面人の頭部に意識を集中。これで決めるんだ……などと余計なことは考えずに。
猫面人の後頭部に砕かれたコンクリートの破片をロープでつなげるイメージ。
「ねえ、あなたオールビットの人間じゃないでしょ? 人間かもわからないけど、透過の“力”を扱える戦士なんて他に一人くらいしか思いつかない」
「……そやつの……居場所はどこだあ!!」
「わっ!」
ミコと剣先の間につっかえていたコンクリートが砕かれ、ミコが後方へ飛び退いた。
「んふふっ、残念」
ミコが俺に視線を向ける。
「小癪な――」
もう遅い。猫面人がまん丸になった瞳孔を二つ俺に光らせたときには、コンクリートの破片が羽根付き帽子に着弾していた。
頭からフェンスに激突した猫面人は即座に起き上がると、フェンスを乗り越え下へ飛び降りた。
「ミコ! 追いかけるか!? あれ」
屋上からはミコの姿もなくなってしまっている。
残ったのは俺とうつ伏せで倒れている女子生徒だけだ。
「隙谷?
バッテリー残量“15%”。
いくつかの気懸かりを残して、事件は終息していく。
はずだった。
『もしもし、独瞬君か? こっちはちょ~っとまずいことになってる。ひとまず集合したい』
佐暮さんをどうにかして屋上から下まで運んだ俺は、女子寮の第一棟前を再集結の場に指定した。
「そっちはどうだった?」
しかし、やってきたのは隙谷一人だった。
「まず、状況を説明させてくれ。僕らは山辺君を追いかけて路地裏に入った。走ってるうちに女子寮から離れてSMIの近くまで行ったんだよ。そのあたりで垣登君が山辺君を捕まえて~、佐暮さんのスマホを取り返した。ここまではいいんだけど~……」
隙谷はボードを俺に見せた。そこに描かれていたのは、帽子を被りコートを着た二本足で立つ猫だった。
「それは……!」
「この猫みたいな化け物が突然現れて~、山辺君を引っ張ってSMIの方角にものすごいスピードで去っていった。びっくりしたよ。噂の猫面人ってやつかな~」
SMIは禍高の大型医療施設だ。猫面人は俺とミコから逃げると同時に、隙谷たちにも接触していたのか。
「垣登君は猫面人を追いかけて一人でSMIに向かった。君も知っての通り~、あそこは生徒の立ち入り禁止のエリアだ。止めはしたんだけど、それでも彼は山辺君を助けると言ってきかなかった。僕もSMIの入り口が見えるところまでは行ったんだけど~、あまりに不気味でそれ以上近づけなかったよ」
「猫面人を見たんだな? 何もしてこなかったか?」
「僕たちには一切構わずに、山辺君だけを連れていった感じだね」
ミコはおそらく猫面人を追ったはずだ。だとすれば、今はSMIの中に……?
「よし、俺が行ってくる」
「え?」
「隙谷は佐暮さんを見ててくれ。何かあったら連絡する」
「おい、あそこはやばいって! 早まるなよ!」
意識のない佐暮さんを、わかりやすく慌てる隙谷に預け、俺は禍高最北の施設、SMIへ急いだ。
隙谷には悪いが、ミコと足並みを揃えるには俺だけで乗り込む方が都合がいい。
星がまばらに浮かぶ夜の空が、俺の心を余計に奮い立たせるようだった。
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