第六話 魅力的な人たち
――つまらない人生だった。俺の周りの人間は碌でもないやつばかり。そう思っていた。でもこの学校に来て変わった。知ることができた。今まで出会わなかった、魅力的な人たち。――
何の変哲もない壁に、落書きにしか見えない青い扉が一つ。俺は膝に手をついてその扉とにらめっこしている。
この先にあるのは、どこからやってきたのかよくわからない、魔法少女の巣だ。
触ってみてもただのざらざらした壁。押してみても効果はなし。ドアノブのあるデザインだが、壁だから引いてみることもできない。
眉に力を入れ、顔を近づける。耳を当ててみた。何もなし。飛び出るくらい目を凝らしてみた。何もなし。目を閉じてにおいを嗅いでみた。何も……!
突然キンと鼻が痛んだ。たまらず目を開けると同時に、俺の体は何かに押されたように後方に倒れ、上にずれた視界は天井が映ったところで止まった。
「いってぇ……!」
「おはよー、何してんの?」
鼻を押さえた俺の顔を覗き込む、子供っぽい声をしたこの少女はミコという。昨日から俺の寮部屋でこっそり生活を共にすることになった、異界の住人だ。小さな三日月が無数に描かれた水色のパジャマが、とどめの一撃と言わんばかりに子供っぽさを増幅させる。
「急に開けんなよ!」
「扉の前にいるのが悪いんでしょ」
だって気になるじゃないか。どういう仕組みの落書きなんだよそれ。
上体を起こすと、鼻から温かいものが垂れてきた。
手で受け止めると、赤い点が一つ、二つと重なっていく。
俺はミコを無言で睨んだ。
「わあぁ、大変」
あくびついでに漏れた申し訳程度の心配。
茶に金混じったぼさぼさヘアを掻きわけるように頭を掻いている。
ベッドに座りティッシュで鼻を拭う俺に、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「動かないでね」
そう言うとミコは前かがみになり、俺の鼻を覆うように右手を近づけた。
すると、ずきんずきんと目の奥まで広がっていた痛みがすうっと溶け出すように分散し、すっかり消えてしまった。
「ごめんね
「あ、いや、大丈夫だよ。ありがとう」
素直に謝られたことに照れてしまい、許すどころかつい感謝を述べたことにまた照れた。
「その扉とか今のとか、ミコは本当に魔法使いなんだな」
「“外側の力”は魔法なんかじゃないよ。走人だって使えるかも」
「俺にも……? どうやって?」
もしも俺が“外側の力”を使えるようになるのなら、オールビットや
そして、それが叶うのなら……
「走人は『これだけは誰にも負けない』っていう技とかある?」
「特技ってことか? あまり思いつかないな……」
「得意なことを突き詰めることが一番の近道よ。天性で扱える人なんて滅多にいないから」
「そっか……」
「でも、“外側の力”を使えなくても別に困ることなんてないよ。走人は私に部屋を提供してくれるだけで本当に助かるんだから」
違う。それだけじゃだめなんだ。あの猫野郎をニャフンと言わせるような力が欲しい。誰かに助けてもらうだけのつまらない人生はもう終わりにしたいんだ。
「学校もあるんでしょ? そっちの方がずっと大事だよ。この国でも子供はみんな自由な夢を持ってるんだよね?」
「……ミコ。なんでこの学校が建てられたかって知らないよな」
「この学校が建てられた理由?」
立ったまま話をしていたミコは、俺の横に腰を下ろした。
「世の中には身寄りのない子供たちとか、過去に負った何かしらの傷を抱えてる子供たちがいる。行き場もないし、帰る場所もない。社会で生きていくこともままならない。それでも生きていかなきゃならないのがこの国の現状」
ミコは小さく頷いた。
「そんななか、政府は多額の予算を費やしてある試みに出たんだ。子供たちの居場所をつくるために。そして、その中から各分野の人材を輩出して一人でも多くの人を社会で活躍させるために。そうやって特別に作られた学校には全国からたくさんの人が集まってきた。だからほとんどの人が寮で暮らしてる。それが、」
「それが
俺はわかっている。この学校が、この国がわざわざお金をかけてまで俺たちを救おうとするのは。ハイリスクな実験に俺たちを起用するのは。この国の教育技術や国民のレベルの高さを各国に知らしめ、傾いた経済を立て直すためだと。
……それだけなのか。
俺たちは国の手駒にすぎない。とはいえ、結果的にみんなが幸せになり、このプロジェクトが成功に終われば、こんなに素晴らしいことはない。
だがこの二日間、俺の周囲では明らかに異常な出来事が起こった。
この学校が狙われる理由、隠された答えがあるはずなんだ。
「走人?」
「ごめん、朝から話が重くなりすぎた。ごはんにしよう!」
うだうだ考えていたって仕方がない。せっかく高校に入れたんだ。普通の高校生として過ごすことも大切なのは間違いない。
俺が朝ごはんの準備をしている後ろで、ミコが小さなテレビの電源を入れ、朝のニュース番組を観ていた。
「わー、このお姉ちゃんかわいいなー!」
映っているのは、“国民の好きな女子アナランキング”一位の通称オーヅキさん。
今、情報番組からバラエティまで引っ張りだこの超売れっ子だ。
そんな彼女がやってきたのは――
『本日最初のニュースは、生中継でお送りします! 先日開校したのがまだ記憶に新しい禍野高校。全国から注目される、今、話題の学校の授業風景をご覧ください!』
「すごいすごい! 禍野高校出てるよ! 走人、クラスは何組だっけ?」
「四組。あ、今映ってるのがそう。ていうかオーヅキさん来てんの⁉︎ まじで⁉︎」
「ねえ、あの席一つだけ空いてない?」
「ああ、あれが俺の席だよ。ここの一つだけ空いてるところな」
画面を指差しながら思った。この会話、どこかおかしくないだろうか……
「走人の右隣の女の子、きれいだねー! 髪がふわふわで触り心地よさそう〜」
画面左上に時刻表示。
9:04
「えああああ!!」
やっちまった。と連呼している
「テレビ観るのはいいけど、掃除のおばちゃんに見つかるなよ!」
「走人!」
「何!!」
「いってらっしゃい」
世紀の大遅刻野郎へ、揶揄にも取れる
その笑顔がしんどいです。
「いてきあす!」
舌も玄関の鍵もうまく回らない。寮の階段を転がるように降り、そのままの勢いで緩い下り坂を全速力。誰もいない
階段を上りきると目の前が暗くなっていた。
酸素が足りないまま、大きなドアをがらがらと引き、今、世界で一番入りたくない教室へ入る。
「す、すいませ……」
「おはようございます、
全方位からくすくす聞こえてくる。
二度と時間を忘れてはいけないということを、俺は忘れてはいけない。
「何やってたの? せっかく生オーヅキさん見れたのに!」
「いやあ、ちょっと寝坊しちゃって……」
「別にいいんだけど、独瞬がいないせいで後ろの席の私が超目立ってたんだから! ああ、私の顔が全国にくっきりと放送されるなんて……」
「それは悪いことしたな、三振バー一本あげるから許してくれ」
「ほんと!? じゃあ許す!」
授業中でも赤い野球帽が頭に乗ったままのやつなんか、前の席がどうだろうと注目の的間違いなしだと思うが、それに気づいてなさそうなところが
「私って何の特徴もないザ・普通の女だもんなー」
実際に、二限の美術の授業で自画像を描くこの瞬間にも「自分の特徴を捉えて描くなんて難しすぎる」なんて面白いことを言い出す。
ギャグなのか? でもつっこんだらめんどくさそうだから自分の絵に集中している。
「独瞬くんって絵上手なんだね!」
「模写とか、見本を見ながら書いたりするのは得意なんだよ。逆に何も見ないで想像だけで書くのは下手だから、絵がうまいって言えるかわかんないけどな」
「じゃあ独瞬くんは歩くコピー機だね!」
実際に、反応に困る例えをぶち込まれ、嬉しいのかよくわからない感情のまま美術室での作業が終了した。
ネタなのか? でもそこに悪気は一切感じられず、「あんま嬉しくねえな!」とはつっこみづらい。
校舎裏に立つ樹は“四番
校舎から見て“四の樹”の奥にある、体育や部活で使う用具が格納された大きな倉庫にやってきた。
「お疲れ様、今日は倉庫裏の掃除を頼むよ」
この事務の先生はなんで明日もやるみたいな言い方してんだ。
俺は遅刻の罰として一日だけ放課後に奉仕活動をすることになった。
倉庫の裏にまで来ると、その先には
ちなみに禍野高校も
担当場所に着くと女子が一人、ほうきを持って近くのベンチに座っていた。
「あなたも掃除?」
「そうだけど、もしかして君も?」
「そう。こんな辺境に一人なんて、って思ってたけど、仲間がいるならまだましね」
黒髪ロングでクールな雰囲気のこの人も遅刻したのだろうか。
ほうきを杖のようにして立ち上がり、きりっとした目でこちらを見ている。
「俺も仲間がいると心強いよ」
「あたし一組の
「四組の
「独瞬くんって、噂のあの……?」
ご存じでしたか。噂は当分消えそうにないな。
「あれは信じなくていいから……」
「思ってたより普通の人ね。なんでここにいるのかわからないぐらい。まあいいわ。さっさと終わらせましょう」
黙々とほうきで掃き、五分で片付いた。
最後に近くの空き缶を拾い、常設のごみ箱に放り込む。
「……ねえ、あなたは超能力って信じる?」
完全に不意を突かれ、俺は缶を拾う手を止めた。
「例えば、そこのごみ箱に捨てられてる缶」
缶たちは良い音をたてて扇状に広がっていく。
あまりにもスムーズな動きに状況の整理が追い付かない。
俺たちは掃除をしていたはずだが、いつからごみ捨て場を荒らす迷惑屋になったんだ?
「何を……」
「この散らばった缶を一歩も動かず一か所に集めて、さらに小さく固めたら簡単に捨てられるわ。そんなことができたらすごいと思わない?」
そうか。突然気が狂ったのかと身構えたが、この女子はそうなんだ。
「ああ、すごいな。なんとなくだけど、お前ならできそうな気がするよ」
「……ほかの人に話しても、誰もまじめに聞いてくれる人なんていなかったのよ。『また冗談でしょ? いい加減にしてよ』って」
寂しそうに缶たちの方を向いて話していた生茂だったが、すぐに俺に微笑んで見せた。
「でもあなたは違うのね」
俺はこれから何が始まるのか察した。
遂に現れた。不可能を現実にする、
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