第四話 異常が日常になるまで

 ――“二度あることは三度ある”というが、三度目にもなるとそろそろ慣れてくるだろう? そのうち何も感じなくなる。それが日常の一部になるからだ。終わりなく繰り返される。異常が日常になるまで。――




「だって私見たんだよ? この目ではっきりとね!」


 しかめっ面でB定食のとんかつを口に運ぶ赤の野球帽女子。


「あの物理の先生は何か隠してるのよ!」


 さくっと嚙み切るたびに、帽子の後ろの穴に通されたポニーテールがふるっと振れる。


「でもこれで独瞬ひとときくんの噂が広がることもなくなりそうだよね」


 穏やかな表情でA定食のから揚げを口に運ぶクリーム色の毛先カール女子。


「先生がああいうふうに言ってくれて良かったと思うよ」


 おいしさのあまりか、やや見開いた目を輝かせ、背筋をぴんと伸ばす。


「そういうこと。福沖ふくおき、もう昨日のことは忘れようよ」


 きっとまだ気力の戻らない顔できつねうどんをすする、勇者と中二病の狭間を彷徨う男子。


「それにしても、ここの食堂広いなあ。フードコートみたいだな」


「話の切り替え下手か!」


 俺は今日、また間暇まいとまに会うつもりだ。俺なんかより何十倍も噂になりそうなやつだが、あいつの秘密はまだ誰にも言っていない。すっかり仲良くなった抱愛つつめさんと福沖ふくおきにもだ。


「ねえ独瞬ひととき、野球部に入らない?」


「いや、入らない」


「そ。咲栞えみかちゃんはどう? 私と一緒にマネージャーやらない?」


「え、わたし!? うーん、部活に入るつもりはないかなあ」


「そっかー、早く仲間見つけないとなー」


 早いところではすでに部活が作られているらしい。その例に新聞部。“独瞬事件”なんて勝手に俺の名前をつけて売り出していると福沖は言っていたが、この学食に来る途中に、先生から「変な噂を流すな」と注意されている、首掛け紐付きボードを持ったメガネ男子を見かけた。あの新聞部さえ封じられればもうこっちのもんだ。

 そんなわけで俺のメンタルは半分くらいまでは回復した。テーブルを挟んで目の前に座っている抱愛さんと福沖には感謝しかない。


「じゃ、私野球部作ろうとしてる人たちの集まりに行ってくる!」


 元気な野球好き女子は、ポニーテールを左右に振りながらどこかへ走っていった。


「わたしも寮に用事があるから行くね」


「ああ、また後で」



 久しぶりに一人になった気がする。誰かと話していると時間はあっという間で、別れて一人になると寂しくなり、もっと話していたいと、夢のように楽しい時間がずっと終わらなければいいのにと……しばらく感じることのなかった心の潤いが景色を濃くしていく。


 懐かしい感情。小学生の頃は毎日のように、誰が誰だか顔が見えなくなるまで遊んだものだ。なのに中学に入ってからは……

 いや、考えないようにしよう。俺はまたあの頃みたいに自由を手に入れたんだ。だからこそ、後悔のないように人生を楽しんでやる。魔法でも化け物でも何でも来いだ!


 …………教室に戻ろう。




 高校が始まって二回目の放課後。俺は早速、間暇まいとまに会いに行くことにした。


 えっと、クラスどこだっけ?

 最初に会話したときに言っていた気もするが……その後のことが強烈すぎて思い出せない。

 こうなったら一か八か行ってみよう。あいつがならきっと会えるはずだ。



 鞄を持ったまま向かった先は、男子寮から少し離れた丘のてっぺん。昨日間暇に連れてこられた、高校の敷地内にある、あの丘だ。

 まだ日の高いうちに眺めるここからの絶景はまさに芸術。校舎を上から見ることのできる数少ないスポットであるだけに、普段は入ることのできないという高校の大型医療施設“SMI”や、男子寮から最も離れた場所にある女子寮のマンション群まで、目線を横に四十五度動かすだけですべてを一望できる。

 連絡先を教えて貰えば済むことなのに、間暇はスマホを持っていないという。あいつの能力があればスマホなんて必要ないのだろうか。


「やっぱりな」


 思わず笑みがこぼれる。

 俺に遅れること一、二分。間暇が俺の元にやってきた。


「やあ、奇遇だねっ。また会うなんて」


「いいや、お前は俺がここにいるとわかって来たんだろ?」


「あははっ、まいったねっ」


 間暇は頭を押さえながらその場にあぐらをかいた。


「今日、物理の先生が事件のことについて触れてたよ。変な話をした後にな」


「うちのクラスでもその話があったよっ。噂に流されるなってねっ」


「……どう思った? 俺はあの先生は何か知ってるんじゃないかと踏んでるんだ」


「そうだねえ」


 一呼吸置いた間暇は、丸い瞳を細めて呟いた。


「これ以上貴様が知る必要はないンじゃナイかナ」


 徐々に低く汚くなるその声に全身が凍り付いた。瞬時に身の危険を感じ、男子寮に向かって走ろうとする。


 だが……


 足がずんと重く、思うように体が動かない。それに、周りの音が一切聞こえない。風も、近くの大通りを走る車も、生徒たちの楽しげな騒ぎ声も。こいつは――

 このは!


「“外側の力”を持つものであるのなら、この場を脱却して見せよ。石使いの少年」


 砂嵐のような白黒の斑点に包まれた間暇は見る見るうちにその姿を崩し、二足歩行のおしゃれな猫へと変貌する。

 最高のマジックだな。鳥肌が立ち放題だ。


「さあ、吾輩が五、数える間に貴様の真の力を発揮するのである。動けるものであるのならな」


 そうは言われても、魔法まがいのことができるのはじゃない。体が動かないのもこいつの能力か?


「五……四……三……」


 こういうときって、カウントがゼロになる直前で助けがくるやつだよな? 俺は信じてるぞ。当たり前のように助けに来る本物の間暇おまえのことを。


「二……一……」


 羽根付き帽子が前に傾き、ふわふわの前足が細剣の柄に触れる。そして次の瞬間――


 ピシッ……


 猫人間の背景にひびが入ったかと思えば瞬く間にはじけ飛び、ガラスのような音を立てて崩れ落ちた。


「ぬう、これは……!?」


 残念だったな、異界の化け物。俺の読みは当たっていた。

 そう、猫人間の背後から現れたのは、ところどころ跳ねたグレーの髪に、やる気の感じられない瞳。小さな本を片手に持ち……肘あたりまで腕まくりしたカッターシャツが……ズボンから余すことなくはみ出て…………あれ?


「ええ、誰ぇ!?」


 誰だよ、このだらしない眠そうな男子は。

 久しぶりにこんなに大声を出した。


「……間暇ってやつを知らねえか?」


 猫人間を一瞥した彼は俺と同じ探し物をしているらしく、きょろきょろうろついている。


「知らないけど……」


「ちっ、なんだよ……」


「ちょ、あの……」


 持っていた文庫本を開いた謎の男子生徒は、気怠そうに何か文句を吐き捨てながら男子寮の方角へさっさと歩いていった。


 そ、そうだ、猫人間……


 我に返り、正面に向き直るがそこに猫人間の姿はなく、代わりに赤く滲んだ一本の白い羽根が、同じ赤に染まった地面に落ちているだけだった。


 丘を撫でる風、行き交う車、誰かの笑い声。


 帰ってきた音たちが再び動き出していた。ただの音なのに、耳が痛くなる。


「おーい、ヒトくーん!」


 走って俺に近づいてくる少年。明るい茶髪に丸い瞳。もうこれ以上はないことを祈る。


「間暇……?」


「どうしたのっ? こんなところで」


「どうしたじゃない! またあの猫にやられそうになったんだよ! お前に化けた姿のな!」


「でもきみは無事だ。安心してっ。誰にもきみを殺させやしない」


「そんな無責任な言葉でまた俺を騙すのか? お前は本当に間暇なのか!?」


 間暇も猫も、こいつらの目的がまるでわからない。なぜそうまでして俺にこだわるんだ?

 俺は魔法使いでも超能力者でもないのに。


「確かにこれはぼくの問題なのかもしれない……でも、ぼく一人の力じゃ足りないんだよ……」


 いつまで経っても核心を突いたことを話してくれない。それなら、俺がの世界に侵入してやる。この常識はずれな人間たちの正体を暴いてやろうじゃないか。


「ぼくが偽物じゃないっていう証明は……うーん」


 間暇はしばらく考えた後、「あっ!」と手を叩いた。


「きみはぼくのことを『陽キャのふりしたイタいやつ』って言ったねっ。これは誰にも聞かれてないぼくたちだけの暗号だっ」


 よりにもよってそこを拾われるとは……改めて他の人に言われると恥ずかしいな。酷い発言をしたことに胸がぞわっとする。


「悪かったよ。でもお前一人で抱え込まずにもっと頼ってくれよ。言えない事情があるのはわかったけどさ」


 優しい瞳を持つ彼は、無言で笑顔を見せた。


「ありがとうヒトくん。勝手で悪いけどっ、人探ししてるからもう行くねっ」


「もしかして、読書好きな不良っぽいやつか?」


「そうそうっ、クラスメイトなんだっ。友達になりたくてねっ」


 楽し気に話す間暇だが、彼の根底にある何かは決して明るいものではないんだろうと勘繰ってしまう。


「あっ、あと一つ忘れてたっ! ぼくの能力、誰にも言っちゃだめだからねえっ!」


 男子寮への走りを止めた間暇は、よく通る声で注意喚起をしながら手を大きく振った。

 そんなに大きな声で言っていいのか。もしも俺がすでに誰かに言いふらしていたらどうするつもりなのか。


 ……あいつはそれすらもわかっているのだろうか。



 学校が始まってまだ二日目だというのに、疲れが限界に達している。猫人間の俺を試すような発言や、間暇のクラスメイトがなんなのかも考える余裕がない。休みをください。


 あまり夕日の差し込まない男子寮の階段をダンダンと踏む。

 2-201号室の鍵を開け、紆余曲折の長い一日が終わった。

 靴を脱ぎ、台所を抜けまっすぐ進む。

 早くベッドの上でごろごろして、少しの間すべてを忘れたい。


「あ、おかえりなさい」


 だが、俺のベッドの上にはあってはいけないものが乗っかっていた。

 こんな経験あるだろうか。家に帰ると知らない少女がベッドに座っていて、当然のように「おかえりなさい」と労いの言葉をかけてくれる。

 これが一日前の出来事だったなら、俺は発狂し鞄を手放していただろう。

 今日の俺はもう違う。鞄の持ち手をぎゅっと握りしめ、『ああ、もういいよ』と思ってしまった。



 神様は俺が休むことを許してくれないようだ。

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