第三話 奇妙なマジック

 ――テレビや舞台なんかで魔法、超能力と呼ばれているものには意図的に見せない裏がある。でも、それがもし裏のない真実だったとしたら? タネも仕掛けも本当に存在しない、奇妙なマジック。――




 眠れなかった。昨日だけでいろいろなことがありすぎた。疲れを癒そうと早くベッドに潜り込み目を閉じた。だが、真っ暗な瞼の裏、俺の目の前で起きたことが忘れられない。

 あれは一体何だったのだろうか。

 そればかりが俺の頭をかんかんと叩き、外はすぐに明るくなってしまった。



 昨日の事件現場を通り、校舎へ向かう。

 横長のベンチも、俺が投げた石も、すべてがそのまま残っている。

 朝になって見てみると、昨日あんなにも不気味だったこの芝生の広場が、何ということはないただの緑だとわかり拍子抜けした。


 校舎は男子寮から見て第一売店よりももっと奥、高校の敷地のほぼ中央に位置している。出入口は七か所もある、四階建ての立派なミルキーホワイトの建物だ。


 俺のクラスは一年四組。二階の端にある教室。

 今日からここで新たな道を歩んでいくことになる。まずはクラスでの俺の立ち位置を確立するところからだが、クラスのみんなに昨日の事件のことは知られているのだろうか。間暇まいとまは俺の名前をはっきりと発表してしまったし、噂の広がりようによっては俺の扱いがどんなことになるやら、考えただけで楽しくなるな。       

 まあ、噂が広まっていない可能性に賭けることにしよう。


「おはよう、独瞬ひとときくん!」


「お、おはよう抱愛つつめさん」


「今日から授業だねー、ちょっとドキドキする!」


 右隣の女子は今日も素敵な笑顔だ。なんだ、普通の対応じゃないか。俺の考えすぎだったみたいだ。


「ねえ、昨日の夕方の猫面人ネコメンジンの事件なんだけど……」


 おっと、そういう感じね。了解した。一番知られたくない子にしっかり広まっていますと。問題はその事件の登場人物だ。


独瞬ひとときくんが猫面人を追い払ったって本当なの?」


 うん、完璧だよ、抱愛つつめさん。そこまで知ってるんだったら、もう俺にできることは特にないみたいだ。


「ちなみにだけど、誰から聞いたの?」


「私よ!」


 後ろの席の女子が答えた。


「えっと……」


福沖ふくおきよ、よろしく!」


 野球好きなのか、キャップを深々と被った彼女は俺に握手を求めてきた。


「ああ、よろしく。そういえば福沖ふくおきさん、昨日あの場にいた?」


 筋肉痛の右手で握手に応じる。

 この学校は変わったやつが多いな。


「そう、よく覚えてるじゃん! もうほんとびっくりしたよ! まさかいきなり人が出てくるなんて、しかも変な猫と一緒によ!」


 そりゃあ、そこにいるだけで目立つ真っ赤な野球帽を被っている女子なんて彼女くらいしかいないだろう。

 昨日猫たちを追い払った後、薄暗いなか街灯の光に照らされた赤い帽子だけが異様な存在感を放っていた。


「その話って、クラスに広まったりしてる?」


「安心して! この話はまだ咲栞えみかちゃんにしかしてないから!」


「そうなのか! できればそのまま内緒にしておいてほしいんだけど。地球が消えてなくなるまで」


「私もそのつもりでいたんだけど、もう他のところで拡散されてるってよ。なんか新聞部の人が『独瞬ひととき事件』とか言って盛り上げてるとか」


「いや、盛り上げなくていいんだよお!」


 どっちだ? これはどっちなんだ? 俺は重度の中二病患者なのか、禍野まがの高校を救った救世主なのか。後者だよな? 後者であってくれ。そうじゃないとこの先身がもたないと思うんだ。

 

「わたしはユニークな発想で面白いと思うよ。後でお話聞かせてよ」


 頭を抱える俺に抱愛つつめさんの透き通った声が追い打ちをかけてきた。

 これが救世主に向けた言葉であろうか? そうであるはずがない。もう少しこう、「すごいね」とか「勇気あるんだね」とか、賛辞の言葉が向けられるものではないのか? あれ、なんだかどんなセリフでも皮肉に聞こえるのはなぜだろう。

 でも、少し救われた気がした。こうして俺のことを認めてくれている。信じるか信じないかはさておき。


 とりあえず、抱愛つつめさんと福沖ふくおきは味方に付いてくれそうではある。何も全員と仲良くなる必要なんてない。むしろそんなことできるわけがない。いずれこのクラス全体にも俺の大活躍が知れ渡るときが訪れるだろう。そのうえで自分を大事にしてくれる人と仲良くなることが重要だ。俺は中学でそれすらできなかった。


 よし、ひとまず俺の高校での目標は“友達を作ること”だ。幼稚園児並みのミッションだが、そこから見つかる何かがあるかもしれない。ということにしておこう。


 まもなくして担任の先生が入ってきた。朝のHRホームルーム。出欠確認。日程確認。注意事項。未だに読めない担任の名前。

 昨日の事件については特に話はされなかった。



「ねえ独瞬ひとときFABエフエービーって知ってる?」


「ああ、若者に人気のバンド?」


「若者って、あんた何者目線なの?」


「んー、悪者? いや、傷物……?」


「はあ、独瞬ひととき、まだ気にしてんの? 噂なんて笑って流しちゃえばいいのよ。悪い方にばっかり考えないの」


「そう。福ちゃんの言う通り、考えすぎても仕方ないよ。ほら、次終わったら昼休みだよ!」


「おう独瞬、俺はちゃんと信じてるぜ。お前がこの地球を守ってくれる勇者さまだってな、へへっ」


「だからハナレ! からかわないの!」


 俺の前の席の男子。こいつは離通はなれみちという、このクラスのやんちゃ集団のボス的存在だ。たった一日でその地位を確立した恐るべきやつ。身長は高くないが、がたいが良く、つんつんの髪を金に染め、銀の細いネックレスをちらつかせるような、見た目通りの恐るべきやつ。

 今日の休み時間は、右隣の抱愛つつめさんと真後ろの福沖ふくおきに励まされ、話を盗み聞きした真ん前の離通はなれみちに俺がイジられるたびに福沖が注意するという流れを三度も繰り返している。そして福沖と離通の口喧嘩に発展し、置いてけぼりにされた俺と抱愛さんは顔を見合わせて静かに笑う。そんな愉快な午前中だった。


 四限は物理の授業だ。覇気のない白衣姿のどこにでもいそうなスリムな男教師が教壇に上がった。二十代後半くらいだろうか。

 

 挨拶が終わると若干の間をとって話し始めた。


「えー、今日はオリエンテーションだけやって明日から授業の内容に入ります。といっても、特に話しておかなければいけないことはありません。なのでこれから一つ、皆さんに面白い話をしようと思います。興味がある人だけ聞いてくれればよいです。騒がしくしなければ何をしていても不問です」


 今日の授業はどれもこんな感じだ。だから気兼ねなくぼーっとしていられる。オリエンテーションとは体裁だけで、中身の九割を自己紹介と雑談が占める。おかげで昨夜ゆうべの寝不足はだいぶ解消できた。


「さて、私は前の学校と合わせて六年間物理の教員をやってきました。物理の面白さは万物の根本原理を目に見える形にしてどこまでも探求することにあります。もっとも、高校で学ぶ物理はただのチュートリアルに過ぎないためその面白さは伝わりにくいかもしれないのが残念なところです」


 弱そうな見た目に似つかわしくない、落ち着いた良い声で流暢に話す先生だったが、いきなり約三秒のミュートが挟まった。

 先生は静寂のなか、教室のほとんどの生徒が注目したのを見計らったかのように続けた。


「自然で起こるあらゆる事象は物理学によって説明できるといっていいでしょう。しかし、それをもってしても理解に及ばない不思議な存在があるといわれています。私は実際にそれを見たことはありませんが、いつかその正体を解き明かしたいと考えています。どうですか? なかなか面白くなってきたでしょう?」


「それってズバリ何なんですか? 抽象的過ぎてわかりません」


 右斜め前の人が手を挙げて質問した。

 確かに気になる。思い当たることがいくつかあるからな……


「はいはい、焦らず聞いてください。そうですね、具体的な例を挙げて話しましょう。皆さんはマジックというものを知っていますね? 奇術や手品ともいいます。私たちは普段から自分の頭ですべてのことを無意識のうちに理解して行動や思考に移すものです。わからない、知らないといったケースに直面しても、自分が今その状態にあるということを理解したのち、次のステップへ進みます。ですが、目の前で不合理なことが起きると途端に冷静ではいられなくなる。“わからない”ではなく、“ありえない”状況。それを利用したものがマジックです。実際には決められた手順と高度な技術によって、実現不可能なことをあたかもやってのけているように見せているだけです。これらはすべて人間の思い込みや錯覚を誘発するように作られているだけであり、タネ、つまり仕掛けが存在しているので物理的に説明することができます。そして先ほど私がお話しした不思議な存在というのは――」


 教室を言葉の新幹線が貫く。勢いのある喋りに圧倒される。クラスのすべての意識は先生に向けられ、期待の空気に包まれた。

 この人はさっきの弱々しい先生と同じ人物なのだろうか。今の先生は覇気そのものだ。


「タネのないマジックです。……不合理なことを不合理に実現させる、物理的に説明できない力、それを解明することが私の研究テーマなのです」


 教室には針が時間を刻む音だけが響き、とてもこの場に四十三人の人間がいるとは思えないほどに静かで、この場が広く感じた。

 そんななか、沈黙を破りまた一人が質問する。


「じゃあ、その力を持った人間は手品みたいにあり得ないことを現実に起こせるんですか? 例えば、何かものを本当に消してしまったりとか」


 はっとした。俺はそれを実現できそうな何者かを知っている。しかし、あいつには明確なタネがあったはずだ。存在そのものを消すことなんてできやしない。


「そういうことになりますね。私たちの常識を著しく逸脱した挙動、それは何も人間に限ったことではありません。あらゆる生物、無生物、あるいは有機物、無機物、そのような相違を問わず、幾次元のどのような存在にも起こし得る事象だと私は考えています」


「そんじゃ、魔法使いの猫面人ネコメンジンの話も本当ってことか? なあ、どう思う? 独瞬」


「おい、やめろ馬鹿っ。声でかいって!」


 ここでぶっこんできやがったか、離通はなれみち。またややこしいことになりそうだが、先生の反応は……?


「君は……三十三番の離通くんか。ちょうどその件についても話すつもりでした。君を含め、ここにいる人のほとんどが今の私の話を信じたでしょう? でもね、これはちょっとした冗談ですよ。いつもウケがいいから最初の授業でする“掴み”なんです。タネのないマジックなんて存在するわけがないでしょう」


「はあ? なんだよそれ」


「暇つぶしにはなったでしょう。空想に精力を費やすことも時には大事かもしれませんが、でたらめな噂を鵜呑みにして考えることを放棄してしまってはいけませんよ」


「独瞬事件はでっち上げってことかよ!?」


 がっかりムードの教室を後にした先生。「私の本当の研究テーマは天文学です」最後の一言は「妄想はほどほどにして勉強頑張りましょう」だと。昨日の事件の噂を「手の込んだ作り話」だと言い切った先生。暫定中二病の俺を救う意図があって言ったのか、それとも……


 真後ろを見る。福沖は納得のいかないような顔をしていた。


 簡単に話を鵜呑みにするなと言った先生の、『独瞬事件はデマ』という話を簡単に鵜呑みにした離通及びクラス全体。



 俺は、先生が冗談と偶然であんな話をしたわけではない気がしてならない。

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