第二話 未界の侵入者
――現在、国では外来種という存在が問題になっていると、各メディアで報じられている。もともとそこに生息するはずのない生物が環境に入り込むことで、均衡を保てなくなり、自然が破壊される。それは人間界という限られた範囲内でも起こり得ることなのかもしれない。人間の概念を覆す、未界の侵入者。――
赤紫の帽子には白い羽根飾りが一つ。腰には海外アニメで見るような銀の
目と鼻の間から左右の頬までくっきりと白い毛で分かれたような茶トラ白猫だ。
俺と
「吾輩に投石を試みた愚かな人間どもよ、なぜ吾輩の存在がわかった?」
「あー、何というか……」
ちょっと待ってくれ。一旦落ち着く時間が欲しい。そしてできれば、この目の前の化け物を見なかったことにして、平和な世界がこの先永遠に続いていってほしい。
が、そんなことが叶うならば俺は今頃、高級リゾート地に建てた別荘の海辺でLサイズのメロンソーダでも吸っていることだろう。
まず、こいつは何? 猫? 喋る猫? 服着て帽子被って?
しかも猫にしてはかなりでかい。俺たちは屈んだ状態でこの猫を見上げているが、一・七メートルはありそうだ。
「いやぁ、ばればれだったよっ。ねえヒトくん」
「え? いや知らんけど……」
この状況でかくれんぼみたいなノリで同調を求められても困る。聞いたこともないリズムに手拍子は合わせられないだろう。
「貴様、まさかオールビットの人間か?」
砂利の混ざったような低い声が、熱い息とともに顔を見合わせている俺たちに吹き下ろされる。
それと同時に俺の体は上に引っ張られた。
「うわあっ!」
俺は猫人間に胸ぐらを掴まれ立たされた。硬いひげ一本一本が顔に当たり非常に不愉快だ。ほんわりと鮮魚店の臭いが鼻を衝く気もする。
「きみこそ、どこの誰だか名乗ったらどうかなっ」
立ち上がった
「不思議なものである。吾輩に接触できる人間など、この場所には存在しないはずであるが……」
「きみの知らないことはまだまだ山のようにあるんだよっ。例えば、今日ぼくたちに出会ったことがきみの運命を大きく変えることとかねっ」
なんだ? こいつらは何を当たり前のように話しているんだ? 共通認識の差があまりにも開きすぎている。どこかのアニメごっこですか? 俺もう帰っていいですか? さっき第一売店で買ったフライドチキンが冷えちゃうんですけど。
「そうであるか、この国にも“外”のものがいようとはな。だが、姿を見られた以上、貴様らにはここで大人しく吾輩に身を任せるほかない」
「うぐっ!」
猫人間は俺を芝生に投げ捨て、腰の細剣の柄にふわふわの前足をかけた。
「逆らえばその先は死、のみである」
荒らぐ息がひげを震わせ、全身から放たれる殺気が俺の体を強張らせた。針のような獣の瞳孔が、俺と
そのあまりの圧に、身の危険を感じずにはいられない。
認めたくないが、今目の前にいる化け物はレベルの高いコスプレイヤーなどではなく、本物の猫人間なのだ。
どういうことだよ、本物って。
「ヒトくん」
ゆっくりと俺の隣に近づいた間暇が、目線を猫人間に向けたまま呟いた。
「あいつがぼくに気を盗られているうちに、思いきりあいつの頭を殴るんだ」
それは今からあの化け物と戦うという意味ですか? そう訊く間もなく
確かに彼なら戦えるだろう。明らかに普通の高校生じゃない。でも俺は一般人だ。こんなところで死ぬなんて、そんなのごめんだ。俺には大切な家族や友達が……いや、さほどいないか。“フレフレ”の登録人数一桁だし最近会ってもないしな……
そんな悲しみを打ち消すかのように、俺の勇敢な右手は再び大きな石を握りしめていた。
――これでやるのか。俺が…………
間暇は……戦うというより逃げ回ってるな。
あ、わざとらしく足が引っかかって……
猫人間は俺に尻尾の先を向けている。細剣の先が地面にへたる間暇を捉えた。
ここで決めなきゃ陽キャじゃない!
芝生を削る勢いでスタートを切る。
俺ってこんなに足が速かっただろうか。
ゴールは羽根付き帽子の後頭部。後の事なんて考えたくもない。ただ……全力で。
「ぐおぉっ!」
「きゃああ!」
猛獣のような叫び声と、女子の甲高い叫び声が辺りに響き渡った。
「急に人が出てきた!」
「おい、あれ見ろよ、猫が服着て剣持ってんぞ! コスプレか?」
猫人間は膝をつき頭を押さえている。
俺はやったのか。
それよりも、俺たち三人だけだったはずが、気づけば周りで他の生徒たちが騒いでいるのはどういうことだ?
「お、のれぇ!」
猫人間はふらふらと立ち上がり牙を光らせている。
「喋ったぞ! なんだあいつ!」
閑散としていた広場に急に現れた生徒たちはすぐにパニックになり、一瞬にして一帯はわーきゃーとうるさくなった。
「ヒトくん、ナイスっ」
駆け寄ってきた間暇は、親指を立てて俺にしてやったりな表情を見せた。
「なあ、何がどうなってるんだよ? わけわかんないって」
「まあまあっ、それは後で話すからさっ。さあ、あとちょっとだよっ!」
生徒たちは猫人間にスマホを向けたり、未だに叫んだり、もはやお祭り騒ぎになっている。
でも安心した。これだけ人がいればもう危険なことはないだろう。
日は肩まで沈み、街灯の明かりがより一層輝きを増している。
「おい! ネコォ! 何をしているんだ!!」
広場の賑わいを一瞬にして消し去る怒号。その声の主と思われる男が、男子寮へと続く一本の坂道からゆっくりと下ってきた。
白いコートにひたすらに真っ黒な髪。薄暗いなかでもはっきりとわかる鋭い眼差し。右手には小型の銃を持っているようだ。またしても普通じゃない奴が現れた。
「アラルーグ、そこに立つ二人は“外”の人間であるぞ。危険な存在である」
猫人間が俺と間暇を爪で指し、唸り声で答えた。
やっぱりこいつは猫科なのか。
「貴様が遊んでいるせいで計画が台無しだ……今日は引き上げるぞ」
「しかし、こやつらを放っておくと……」
「そうだとしてもだめだ」
アラルーグという男は冷静に猫人間の言葉を遮り、右手の銃を突きつけた。
その
「ぬう、覚えておくがいい、石使いの少年よ」
「ネコ」と呼ばれた猫人間と「アラルーグ」と呼ばれた黒髪の男は、俺たちに背を向け緩やかな坂道を登っていく。
しばらくして誰かが声を上げた。
「なあ、あんたら二人はなんなんだ! 何もないところから急に出てきたよな!?」
「え、俺たちが?」
そう、俺が猫人間を殴った瞬間に突然現れたのは、今この場にいる俺と間暇以外の十数人の生徒たちの方だ。そう思っていた。
「まあまあ、一回落ち着いてよ、みんなっ」
間暇が手を叩きながら、ざわつく場を仕切り始めた。
「ぼくはさっきまでいた猫の怪物と白服の魔法使いに襲われてたんだっ! でもそこにこの
「はあっ!? おいちょっとまて!」
何を言い出すかと思えば、またわけのわからないことをすらすらと。
頼むから俺をこれ以上、終点の深い森の奥に引きずり込まないでくれ。
「ぼくたちが急にきみたちの前に出てきたのは、独瞬くんが猫の怪物を攻撃してみんなから見えなくなる魔法が解けたからなんだっ。彼はこう見えて、得体のしれない怪物と勇敢に戦って、追い払ってくれたんだよっ!」
俺が皆からどう見えているのかとても気になるが、それで「はあ、そうですか」とはならないだろう。
「どういうことだよ……アニメの見すぎじゃねえのか?」
そう、それが正しい反応だよ、質問者の君! 俺がすべてを解決したヒーローみたいな流れになっているが、ここにいる誰よりも俺自身が、俺に何が起こったのか教えてほしいと思っている。
「でもきみも見たんでしょっ? ぼくたちが何もないところから出てきたのを」
「そりゃそうだけど……」
なんだろう、この微妙な空気は。俺か? 俺が悪いのか? なんだか周囲の目線が痛い。頭が追い付かない。
「おおい、こんな時間まで大勢で何を群れとるんだね」
窒息寸前の気まずい雰囲気を和らげるかのように、第一売店側の道から教師と思われる大人が近づいてきた。
「すいません先生っ、すぐ帰りまーすっ」
緩やかな上り坂の先にある、
間暇は俺をその場所まで連れていき、そこで話そうと言った。
「まず、きみには迷惑をかけたね。ごめんよ」
このめちゃくちゃな男子からストレートな詫びの言葉が発生したことに若干戸惑いつつ、「いや」と二文字で次の言葉を催促する。
「実は、ぼくは普通の人間じゃないんだっ」
冗談はやめてくれよ、そんなことミミズでもわかるよ。と、つっこみたいところだが、俺はいち早くその先の展開を知りたがっている。
「普通じゃない、って言っても、性格が変わってるとかそういうことじゃない。自分でもよくわからないけど、わかるんだよっ、何かが」
「ああ、うん?」
性格の観点からもかなりの癖がありそうだが、とりあえずスルーしておこう。
「僕は昔から、人や物がどこにあるか、それがどういった性質を持つのか、なんとなく理解できるんだよ」
「ああ、やっとわかったよ。いや、わかんないけど。で、さっきの猫の化け物たちは何なんだ?」
「どこか遠い世界の住人。そして、ぼくたちにとって危険な存在……ヒトくん、きみに声をかけたのも、きみならあの猫たちを追い払ってくれるって直感があったからなんだっ」
「……正直、お前の話を全部信じられるかと言ったら俺には難しい。でも、さっき見たあの化け物たちが本物だっていうんだったら、あいつらは何をしにこの学校まで来たんだ?」
「かれらはたぶんっ、秘密裏に行動してたんだ。だから周りの人から姿が見えないような術を使ってた」
「てことは、俺は何もないところに石を投げたんじゃなくて、そこに存在する姿の見えないものに石をぶつけたってことか。ていうか、これ現実の話?」
間暇の話が本当だとしたら、こういうことか。あの細長いベンチには姿を隠した猫人間が座っていて、俺はそいつを攻撃した。まるでそこにいることを知っていたかのように。だから猫人間は心外を突かれ、俺たちにコンタクトしてきた。そして俺があいつの頭を石で殴ったときにあいつの魔法みたいなものが解けて、俺と間暇以外の周りからも認識されるようになった。つまり、俺と間暇にとっても実際にそこにいたはずの生徒たちにとっても、急に目の前に人が現れるという現象が起こった。猫人間は自分だけでなく、俺と間暇の存在も周りから認知されなくなるように細工していた。
「ヒトくん、ぼくはこの学校にはとんでもない闇があるんじゃないかと思ってる。国においても、ぼくたち弱者においても……だから力を貸してほしい。ぼくと一緒にこの学校を守ってくれっ!」
「この学校に闇があるってのは俺も同感だよ。百パーセント好きになれるわけじゃない。学校が造られた理由とかからもな。けど、さっきみたいな化け物がいるなんてのは全く別の話だし、未だに信じられない」
「でも、このまま放っておくわけにはいかないんだっ」
その眼差しは、どこまでも遠くに向かっているようだった。
俺がこの学校に来た理由は、俺の生き方に疑問を抱いたからだ。ここで引いたら、俺はこれから先後悔する。
そんな気がして……
「確かにあんなやつらに俺たちの高校生活を邪魔されるなんてごめんだな。だから、まあ、俺にできることがあるなら協力してもいいけど……」
断りづらいのもあったが、同時にチャンスだとも思った。この国の真実を暴くことができるのなら、一役買ってもいいと。
「ありがとうっ、ヒトくん。きみと出会えて良かったよっ。それじゃ、またっ」
「何これ、シーズンワンの最終回?」
間暇の話はたぶん本当だろう。どんなに非現実的なことでも、この身で体験してしまっては現実と認めざるを得ない。あいつは“とんでもなく勘が良い”という能力を持っている。話を聞く限りそんなところだ。そして、この学校は何者かに目をつけられているらしい。間暇は、今日のあの二人組を追い払うには俺の力が絶対に必要だったと言っていた。また今日みたいなことが起きたら次も……?
生き方を変えると宣言したものの、なぜか影のヒーロー的なポジションに着地してしまった。
俺のこれからの高校生活はどうなるというんですか。
そんなことを考えながら寮に戻った俺は、ごりごりに冷え固まったフライドチキンをぼろぼろのレジ袋から取り出し、ため息混じりのくたびれた笑いをこぼした。
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