葛藤
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長い、長い沈黙の時間と葛藤があった。
確かに、本当にこれを逃せば働くことも出来ないし、借金で娘が今後どうなるかわかったものではない。
進学以前に、義務教育にも支障が出る。
……でも、娘と一緒に幼稚園児になるなんて……
しかも、私はおむつを当ててオモラシする。
娘は、もうおむつがとれている。しかも一年ほど前にだ。
相当急がせたのだ。だいぶ厳しく当たった。
おかげで公園で遊ぶお友達の中で一番に外れ、娘はそれが自慢げであった。
それに触発されたのか、近所のお友達も平均よりは早くおむつが取れていた。
それが……その急かさせた私がおむつを当てて、しかもオモラシするなんて……
でも、8,000万の借金。実際は利子もついてもっと増える。
娘はどこの保育園にも入れられなかった……
この超高額で好条件の臨床のお仕事……絶対これ以上はない。
「……他の園児の方は、オムツの方は……」
「例外なく取れています。
入園していただく幼稚園は、本来試験と面接が必要な、この大学付属の幼稚園ですので。
公にはしていませんが、合格基準におむつが取れている前提が必要になります」
「……」
「申し訳有りませんが、オムツは裕子さん。
あなた一人だけになります」
「……」
実はここに来る前に一度だけやろうとした仕事があった。
それは風俗だった。短時間で高収入となれば、普通は他にないのだ。
だが、直前になって客の前から逃亡してしまった……
それ以来、どの風俗店ですらも受け入れては貰えないでいる。
本当に、もう無いのだ。
気がつけば、左手の薬指――結婚指輪を、思わず擦っていた。
「…………わか……わかりました。
やらせていただきます。やらせてください……」
研究室で、張り詰めた空気が緩み、この場の研究者が安堵したのがわかった。
契約書に、サインした。
してしまった。
手が震えて、あまりにも汚い字になった。
(あなた……助けてよ……)
もう後戻りはできない……
「ありがとうございます。では、説明させていただきます」
すると、この場の一番若いのであろう研究者が紙袋を手渡してきた。
「中身をご確認ください」
……いや、パッと見でわかる。わかるが、理解したくない。
ピンクの服……黄色い帽子……カバン。
「そこには、裕子さんとリサちゃんが幼稚園で着ていただく服が入っております。」
リサちゃんのは3セット。
裕子さんのは10セット入っています」
「え、あの、なんで私のがそんなに沢山……?」
この時、先程まで悲観にくれていた私のそれは、相当甘かったことに気付いた。
「裕子さんには、これから本当にたくさんオモラシしていただくことになります。
おそらく……いえ、間違いなくオムツが溢れるような事態も沢山あります。
汚しても余裕を持たせるために、このセット数となりました」
「いや、溢れるって……」
「裕子さん……オムツを汚して、あなたと同年代の先生、娘さんと同年代のお友達に、素直に【替えて】と言えますか?」
「いや……自分で替えれば……」
「ダメです。誰かに必ず替えていただきます。
この10セットとは別に幼稚園にも余裕のある予備が配備されますので」
そう、私はオムツを当てて幼稚園に通い、そこでお漏らしする『だけ』だと思っていたのだ。
こんな事をしてバレないわけがないのだ。
ありとあらゆる人に、この現状を知られる。
しかも、トイレに入れないという現状を知られる。
そして、その知られる中……いや、オムツ替えをしてもらう中に、娘が入っているなどとは思っていなかったのだ。
「……子供の教育上……許してほしいのですが……」
研究者の、悲しげな雰囲気が満ちるが、私もそれどころではない。
「わかりました……残念ですが無理強いは出来ません。
でも、娘さんの幼稚園は良いのですか?」
「……」
……良くない……良くないのだ。
どんなに屈辱でも、娘の為に……
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