第4話 怪しげな男

「重っ」


 両手を買い物袋に占領された僕が、ぼそっと呟いたのをナズナは聞き逃さなかった。


「普段運動しないからだよ?」

「それは……ごもっとも」

「明日から走り込みにでも行く?」

「腕の筋肉はつかないだろ」

「それはほら、重りでもつけてしっかり腕振って走ったらさ」

「どんどんハードになってないか、それ」

「へへ。ほら、早く帰ろ」


 だいたい僕と同じ量の買い物袋を見せつけるように掲げる彼女。

 情けないことに、荷物持ちとして付いてきた僕よりもよっぽど頼りになる。

 そのか細い腕にどれほどの筋肉があるのだろう。それとも何かコツでもあるのだろうか。

 それはさておき、結構な食糧と調度品を買い込んだが、何か直近でイベントかなにかあるのだろうか。

 純粋に疑問に思って訪ねてみる。


「こんなに買ってどうするんだ? 消費するアテはあるんだよな」

「ん? まあ」

「なにがまあだよ」

「まあまあまあ!」

「増やしたら納得するとでも思ってるのか」


 ふざけて取り合う気のないナズナ。

 重さからくる疲労か、それとも会話の心労か、思わず短い溜息をついてしまった。

 理解を諦めて荷物持ちに専念しようと町を出る直前、ある男が声を掛けてきた。


「やや、そこのお若い二人。どこまで行くつもりかね?」


 知り合いか、とナズナが目くばせしてきたが、全く覚えがない。

 深緑のコートに、深々と被ったフードから丸眼鏡を覗かせる男。

 出不精の僕よりも細い腕に痩せこけた頬をしている。

 本人は親しみやすいと思っているのかわからないが、引き攣ったような笑顔も不審さに拍車をかけていた。

 一応こんな時世だ、不審者にも気を付けて立ち回らなければならない。

 そう思いながら、一先ひとまず普通の応対をすることにした。


「丘の上まで。あなたはどちらの方で?」


 徐に地図を開き場所を確認する男。どうやらこの一帯に住む人間ではないらしい。

 白くて細長い指が地図上の道を辿ると、その不気味な笑顔をいっそうと深くした。

 その笑顔の下に、首に下げたペンダントのようなものがゆらりと揺れる。

 紫と緑の石が順に散りばめられたそれは、どこかで見覚えのあるデザインだ。


「丘の上、ふむ、ということは帷子学童院にご用事が? それとも住んでいるのかな?」


 質問に質問で答えるなよ。そう言いたくなるのを抑えて問答を続ける。


「ええ、住んでいますが。申し訳ないんですが、もう遅いのでこれで」

「ああ、すまない、気になったもので。今から私もちょうど上に向かうところでしてね」

「はあ?」

「良ければ道案内を頼みたいと思いまして。荷物と一緒にお二人もお乗せしますよ」


 そう言って男は、路地の端の家にある倉庫を開ける。

 中から出てきたのは中型の真っ黒い塗装がなされた随分と四角い車だった。

 僕は先程まで持っていた警戒心に勝る好奇心を、特段抑えることなくそれに近づいた。


「……また珍しいものを」

「お、ご存じなのですねえ。最近まで動作に必要な燃料に問題がありまして。それもこの間の新法で解決されつつあり――」

「ちょ、ちょっといいですか?」

「はい?」「うん?」


 ナズナが申し訳なさそうに刺した横槍に、僕と男は同時に返事をした。

 僕の袖をぐっと引っ張って体を寄せる彼女は、耳打ちで口早に問う。


「ええと、初対面なんだよね? キッカ」

「まあ、そうだな」

「大丈夫なの、なんか、怪しいけど」

「ペンダント」

「ペンダント?」

「科学者だ。それも政府機関と雇用を結んでる」


 雲上では、最新の機器やデータが集まっていて研究が盛んだ。

 しかし、集めたデータはあくまで政府や研究所の責任者が検閲を通したものであるに違いない。

 を嫌がった研究者は、たびたびこの地上に降りてきてデータを採取しに来るのだという。

 そんな彼らにとって、ペンダントは一種の身分証明証だ。

 貴金属と宝石で彩られたそれは(研究者には信じがたいが)装着するものの安全を保障するまじないがかけられている、とかもっぱらの噂だ。


「申し遅れました。わたくしはプラタズナと申します。仕事で雲上からこちらに降りてきていましてね」

「な?」

「ほんとだ」

「やや、そちらの青年は察しがついていたようですね。お名前をお聞きしても」

「僕はキッカ。こっちはクロツカです」

「ちょ……」

「いいから」


 咄嗟に偽名を使ったのがバレないようにナズナの口を封じる。

 僕らの素振りを全く気にもせず、プラタズナと名乗る男は話を続けた。


「すみません、こんな身なりなもので、近所の子供たちからも最初随分と警戒されたものでして」

「というと、最近お越しになられたんですね。最初、ということはもう打ち解けられたんですか」

「ちょうど二週間前になりますかねえ。子供たちは面白い道具やこの車を見せたら興味津々ですよ」

「はは、それはそうでしょう。僕も人のことは言えませんが」

「そういえば、車を知っているとは随分勉強熱心なのですねえ。乗りながら少し話しましょうか」

「いいんですか。雲上でお仕事なさってると仰ってましたが、上のこともお聞かせ願えると」

「いいですよお。何せここは上と比べ長閑のどかですからねえ。時間もたっぷりありますし、権力争いもなく、まさに平和ですよ」


 男からは先ほどの不気味な笑顔が消え、安堵している自然な表情に見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雲の中のキッカ 可成あるみ @alumiiiiin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ