20. まなざしに呪縛されて

 バラエティー番組はスタッフと演者が共同で作るものだから、自分のをできるかぎり抑えながら、自分の色を見せなければならない。

 そうしたふるまいをした結果、視聴率が上がることに貢献することができ、他の番組にも呼ばれるような立ち位置になれる、芸能界を渡り歩いていくことができる。


 しかし彼らは、そうした器用さを持ち合わせておらず、というより「芸術は爆発」ならぬ「漫才はバクハツ」といったような、ときに観客を置いてきぼりにして暴走してしまう漫才師だったから、バラエティー番組に向いていなかった。


 だからふたりは、テレビより舞台を選んだわけだけれど、漫才の方向性を変えてみようにも、彼らは自分たちへのまなざしに呪縛され、人を選ぶシュールな漫才をし続けることを強いられた。

 ふたりは漫才師の看板を下ろすことを決意し、同郷の先輩にそれを伝えた。


《客を笑わせられたら、それで勝ちやねんけどなあ……芸人は》


 彼は下積み時代からかわいがってきた後輩に、呟くようにそうこたえた。


 そんなことを、彼らはでエピソードトークとして披露していた。


 ふたりはいま、劇場の舞台に立ち続けて、バラエティー番組でも、芸風と相反するマジメなふるまいをして人気を博している。プロフェッショナルというのは、こういう人たちのことを言うのかもしれない。


     *     *     *


 電話をかけると――繋がった。

 たしかに繋がった。だけど、彼女はなにも言わなかった。


「聞こえる? ウェスト・ツリー・ツリー・ツリー」

『…………』

「こちら、マーケット・アドバンテージだけど」

『…………』

「どう、調子は?」

『…………』

「ネタ合わせをする時間は、ほとんどないだろうけど、できるだけのことをしよう。やっぱり、やらないと。ぼくたちには、責任があるから」

『実行委員の人には、断ったけど』


 水の中へと消え入るような声だった。しかしそれは、栗林さんの声に違いなかった。


「ぼくが……断ったことを、断ったから」

『そっちの方が、無責任』

「あのさ……栗林さんのようなには理解するのが難しいかもしんないけど、ぼくたちが漫才をするってことに、どれだけの人を巻き込んでいて、どれくらいの人の想いを背負っているのか、想像してみればいいよ」

『…………』

「正直……栗林さんの事情なんて、知ったことじゃないよ。ぼくだってそう思われてる。どういう事情を抱えていてもいいから、与えられた役割を果たしてくれればいいって、みんな思ってる。ぼくたちの勝手な都合で、放棄できるもんじゃない。やらないといけない」

『…………』

「あのときは言えなかったけど……ぼくは、たぶん分かるよ。周りからこうあるべき……ということを押しつけられると、こうこうこうしなければならないって思って、息苦しくなる、縛り付けられる。ぼくは、教室の隅のほうにいるべきだって、そういう風に思われてて……だからっ、だからエイリアンとしてふるまわないといけなくて……だけど今日は、今日だけはっ、そんな押しつけをねのけることができるんだよ」

『…………』

「待ってる。こなかったら、栗林芽依って書かれた札を首から下げて、一人二役でやるから。だから――」


 斧が振り下ろされて裁断されたかのように、突然と電話が切れた。

 ぼくはもう一度加速し、遠く向こうから聞こえてくる祭りのポリフォニー目がけて、走った。


     *     *     *


 屋外ステージの裏に顔をだしたぼくを見て、だれが歓迎してくれるというのだ。

 べつに、腫れ物扱いには慣れているけれど。


 一夜のうちに校庭に現れた楽屋がわりのテント。隅にある椅子に腰をかけてスマホを取り出す。だれからの連絡もない。あと一時間で出番だということは、画面にでかでかと表示されている時間が報せてくれる。


 漫才の台本は、きっと、机のなかにあるのだろう。忘れてきた。忘れてきた? いや、もう見なくても覚えているから、引き出しのなかに閉まったままでいいと、とっさに思ったに違いない。自信がある。普段通りにすれば、きっとうまくいく。


 そう、普段通りにできるのならば。


 練習と本番はぜんぜん違うし、いままでぼくは、ぼくたちの漫才をでしたことなんてなかった。だから、舞台袖に立って、想像していたより数倍もいる観客を目にすると、あのセンターマイクまで歩いていく勇気はなくなってしまった。


 栗林さんが来るなんて希望は、はやくから捨てておけばよかったのかもしれない。

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