18. 十数枚のA4用紙
相方のことを「なんもできない」という風に
そんな「なんもできない」相方を隣に、孤軍奮闘しているその漫才師は、いまの漫才シーンのトップランナーで、その輝かしい成功がふたりを離れがたいビジネスパートナーにしているのだと邪推するひともいる。
しかしあるトーク番組で、彼の同期芸人はこんな話を披露していた。
ある日、彼の相方が劇場にこなかった。寝坊したのだろう。しかし漫才が始まる前には来るだろうと思い、待った。だが、いつまでたっても相方の姿は見えなかった。
しかたなく彼は、ひとりで漫談をはじめた。腹立たしいことだろう。しかし彼は、そつなくそれをこなす。なぜなら、相方が遅刻を何度も繰り返すから、もう身に染みついてしまっているからだ。
だから彼は、相方のことを「なんもできない」と言ってしまうのだ。でも、彼はそう否定するけれど、そんなどうしようもない相方と十数年も漫才をしているのは、つまりそういうことなのだろう。
こいつとじゃないと、できない漫才がある。
だから彼は、もしかしたら来るかもしれない相方を舞台の上で待ちながら、巧みな話術で笑いをかっさらうのだ。
* * *
眠れなかった。眠れるはずがない。不安と心配、腹立たしさ、悲しみ。いろいろな感情が、ぐつぐつと煮えたち、身体を熱くさせる。
ひとりでできるネタを考える。しかたない。来てくれたらいいけれど、もしかしたらこないかもしれない。いや、来ないよ。どの
左肩をホッチキスで留めた、十数枚のA4用紙。ぼくたちの漫才の台本。余白には、たくさんの書き込みがある。
* * *
四条「どうも、二年四組のエイリアンです」
栗林『よろしくお願いします』
(カギ括弧=四条 二重カギ括弧=栗林)
「四条と栗林で、がんばっていきましょう」
『ところで四条くん』
「なんでしょう」
『わたしね、教科書に名を残すような存在になりたいと思っているんだけどね、どうすればいいのかなって』
「豊臣秀吉みたいに天下統一をしたり、坂本龍馬のように時代を変えたり、それくらいの偉業を成し遂げるしかないんじゃない」
『そういう次元じゃなくて、わたしは日本史におさまらないスケールを持っていると思うのよ、だって、わたしでしょ?』
「その自信はどこからくるんですかね? ねえ?…………でも、新大陸を発見するとか、モンゴル帝国みたいな規模の」
(栗林さん、さえぎる)
『さっきから気になってるんだけど、四条くんって、わたしが探検家か戦士かなにかだと思ってるの? バカなの?』
「言い過ぎじゃない?」
『四条くんの通知表の合計点数が、円周率より低いのはともかく』
「そんなに悪くないよ!」
『円周率を言えないのもともかく』
「言えるわい!」
『じゃあ、どうぞ』
「簡単ですよ、3.141……ええと」
『ほら、言えないじゃない』
「じゃあ、栗林さんが言ってみてよ」
『まあ、それはともかく話を戻すわね。教科書に名前が載ったときのために、予行練習をしたいと思うの』
「はぐらかした!」
『じゃあ、四条くんは、受験生をやって』
「受験生?」
『わたしは、問題文をするから』
「問題文?」
『次の中から、適切な文章を選んでください』
「なるほど、栗林さんが将来、世界史の教科書に載るとして、そのときにテストに出題された…………ということを想定しているんだね。全速力で走る機関車みたいに止められないので、もうやるしかないですね」(観客に同意を求める感じ)
『だれが、雨、蒸気、速度、天才ですって?』
「ウィリアム・ターナーの絵画ね? あと絶妙に自己評価を混ぜないでくれる?」
『四条くんが、ウィリアム・ターナーを知っているとキャラがぶれるから話を戻すけど、じゃあ、早速出題するわね。大丈夫、問題文にはすべて平仮名が振ってあるから。安心して』
「さっきから、栗林さんの印象がものすごく悪くなってるけど、大丈夫?」
『元々、印象がすこぶる悪い人が横にいるおかげで、マシに見えるから、大丈夫よ』
「五十歩百歩だと思うけど!……って、なんでナチュラルにぼくは自己評価を低くしてんだよ!」
『さっ、始めましょうか』
* * *
ぼくが書いた初稿の、最初の1枚に目を通した栗林さんが、途端に不機嫌な顔になったのを思い出す。
「四条くんには覚えるのが難しそうなセリフ量」
「うーん。練習すればできそうだけど」
「なんでそんなに自己評価が高いの? というかこの台本、その自己評価を覆い隠すように自分を卑下して見せてて、気にくわない」
「そこまで言わなくても!」
「あと……わたし、こんなにイヤな人間じゃないと思うけど」
「これは、その……ネタの構成上ですね、仕方なくといいますか」
「四条くんの目には、わたしはこんな風に映っているの?」
栗林さんは、その澄んだ眼に冷たい明かりを宿して尋ねてくる。
素直に、栗林さんが言いそうなことを書きました、なんて言えない。言ったら、
「ええと……なんだろう」
栗林さんの視線から逃れて、ぼくは天井を見ながら弁解した。
「好きな子には意地悪しちゃう、みたいな感じで、良い印象があるからこそあえて悪くして…………って、なに言ってんだよ、ぼく!」
ほんとに、なに言ってんだよ!
「ばか」
それだけ言って、栗林さんは後ろを向いてしまった。
「ほんとに、ばか」
顔に手を当てている栗林さんを見て、平謝りをするしかなかった。
* * *
朝9時。携帯電話が鳴った。机に突っ伏して寝落ちしていたらしい。
ハッとした。眠気が一気に消えた。栗林さん?
スマホの画面を急いで見ると、電話の相手は良彦だった。
途端に疲労感のようなものが押し寄せてきて、すぐには応答できなかった。すると、プツンと切れた。
ごめん、いまは元気な声を出せない。
ごめん、ふたりの意志を引き継ぐことができなくて。
午後1時半から、ぼくたちの出番だ。
けど、もう時間はほとんどない。
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