16. 月が綺麗な夜に
栗林さんは、ほんとうに来るのだろうか。なんで呼ばれているのかは、だいたい分かるだろう。それを承知の上で、来てくれるのか。というか、姿を見せないのだとしたら――ぼくは人生で初めて「絶交」を言い渡すことになる。
勝手にひとりで傷つくなよ。ぼくだって悔しいんだ。だから、一緒に傷を分かち合って、次の舞台こそ上手くやれるようにするんじゃないのか。
7時、7時半、8時、8時半…………
どれだけ時間が経っても、ぶっ倒れるまで待ち続けてやる。過ぎていく時間とともに、やり場のない怒りは、どうしようもなく肥大していく。
「ごめん」
ぼくの後ろから、そんな声が――か細い栗林さんの声が聞こえてきた。いつもと違う声色でも、彼女だと分かった。
「もしかしたら、待っているかもって思って見にきたんだけど、ほんとにいたから」
どんな表情をして振り返ればいい? 考えるな。いまのぼくの表情、そのままでいい。
「こっちを見ないで!」
と、栗林さんは、振り返ろうとしたぼくを制した。
「四条くんに、顔を見せたくないから……」
ぼくはもう振り返るのを止めることにした。泣いている栗林さんを見たら、言いたいことをひとつも言えないままになってしまうだろうから。
「風邪を引いたんじゃなかったの。早く直さないと、本番で声がでないよ」
「そんな言い訳を、
「ぼくの皮肉を額面通りに受けとるのも、バカだと思う」
「四条くんにバカなんて言われたくないし、今後も……もう話したくもない」
「なんで?」
「なんでも……」
「もう一度聞くよ。なんでぼくと話したくないの?」
「話したら、漫才をしなくちゃいけなくなるから」
「しなくちゃいけない? したいから漫才をしてたんじゃないの?」
「責任があったから。漫才をするって引き受けたから」
「ぼくは……漫才をしたいから、栗林さんと一緒にがんばってきたんだけど。最高の舞台で最高の漫才をして、いままでバカにしてきたやつらを見返してやりたいって」
「そのための手段として、わたしがいたわけでしょ。ほかに組む人がいなかったから」
「……最初はそうだった。でも、いまは違うよ。栗林さんとじゃないと、漫才はしたくないし。もっと別の理由もできた。ぼくたちの漫才で、大勢のひとを笑わせたいって」
なぜなのだろう。こんな別れ話のときにも、漫才のような掛け合いになってるじゃないか。おもしろくもなんともない
この前、不仲コンビに解散話が持ち上がったらというドッキリ企画を、テレビでやっていた。ドッキリをかけられたコンビは、殴り合いになりそうなほどの喧嘩をした。
結局、解散はまぬがれたけれど、VTR終わりの冷え切ったスタジオで、あるベテラン漫才師が、「会話が漫才みたいやったな。ふたりは漫才師以外のことはできへんと思うで」と言っていた。
漫才師は、どんな会話でも、漫才のような掛け合いになってしまうのだ。
「ごめんなさい。勝手なことだと思ってるし、実行委員のひとにはわたしからも謝るから……お願いだから、解散したい。『2年4組のエイリアン』を」
なんで、そうなるんだよ。
ボタボタと涙がこぼれ落ちてきて、なにも言い返せなかった。
「わたしね、中学校まで演劇をやってたの。でも、それっきりやめちゃった。わたしね、あまりに見かけがよかったから、演技よりそっちの方が目立っちゃって……」
「自分で言うことかよ」
泣きじゃくって、呼吸が苦しくても、ツッコミをしてしまう。
「ウソじゃない。みんな、わたしのこころの部分に触れてくれなかった。四条くんは知ってるでしょ。わたしって、自分勝手だし、意地悪だし……だって、朝の4時に電話をかけるひとなんている? 勉強ができない人に、臆面もなく、勉強ができないって言うひといる? こういう、どうしようもなくひねくれた部分を、目に見えるものが覆い隠してしまって……それが、どうしようもなく寂しくてつらい。ねえ? この気持ち、四条くんには分からないでしょ?」
なんだよ、それ。そんな理由で、止めちゃうのか。ほんとうにどうしようもないよ。ぼくの気持ちなんて、なにも分かってないんだ。
でも、もういいよ。そう望むなら、それでいい。
「分かった。もう、栗林さんとは話さないし、漫才もしたくない。解散でいい。いままでありがとう」
ぼくは、栗林さんの方を見ずに、公園の出口の方へと向かう。しかし、せめてこれだけは言おうと、叫んだ。
「大好きだったよ! 死ぬほど大好きだった! 漫才も、栗林さんのことも!」
車にぶつかったって構わない。
あまりにも月が綺麗な、もう二度と朝陽が昇ってこないんじゃないかと思うほど静かな、秋らしい肌寒い夜だった。
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