15. ぼくたちにできる反抗は?

 栗林さんは、一本の名の知れぬ樹木を囲むベンチの端に座って、ずっと下を向いていた。思い通りにいかなくて、いじけた子供みたいだった。いや、実際ぼくたちは、思い通りの漫才ができなかったのだけれど。でも、ぼくたちはもう一度、漫才をするんじゃないか。下を向いてばかりじゃ、いられない。


 栗林さんの横に座っても、彼女はうつむいたままだった。

 夕陽はぐずぐずとしていて、沈むような気がしなかった。スマホを取り出して確認すると、まだ4時だった。

 帰ろうか――と言うと、栗林さんは、黙って頷いた。


 たったひとつ空いていた席に栗林さんを座らせて、ぼくは吊革につかまって、窓の外の景色をぼんやりと見ていた。トンネルに入るたびに、自分のくたびれた姿から眼を逸らしてしまう。


 夕焼けが香り立つ駅前で、ぼくたちは別れた。家まで送っていこうかと提案したけれど、彼女は承知しなかった。まるで、漫才コンビではなく、喧嘩をしたあとのカップルみたいだ。


 また、ぼくの手の届かないところへ行ってしまうのだろうか。相方じゃない、高嶺の花へと変わってしまう。また明日――という言葉さえ、届かない場所にある花。


     *     *     *


 翌日、栗林さんは欠席した。文化祭は、今週の土曜日だ。一回でも多く練習をしておきたいし、今週は本番のステージを貸してもらえる。それなのに、次の日も栗林さんはこなかった。風邪をひいたのだと、担任の無花果いちじく先生は言っていたけれど、そんなわけがない。


 帰り道、美月みづきさんに電話をかけた。栗林さんにかけても繋がらないから。

 家の場所を教えてほしいと言うと、

『芽依の部屋は裏庭の方にあるから、道から小石を投げて、姿を見せた彼女に愛を叫ぶ、なんてことはできないよ。警備もすごいし』

 と、冗談めいた声で言い返された。

 ぼくは、なんのツッコミもいれずに「お願いします」と、怒りと悲しみがにじみ出た声で頼んだ。


『家の場所は教えられないけど、じゃあ、明日の夜7時くらいに、あなたたちがネタ合わせをしていたっていう公園に、芽依を行かせるから』


 そこでふたりきりで話して――と、美月さんは提案してきた。

 べつにそれでもよかった。栗林さんと、話さえできればそれでいい。


     *     *     *


 ――大紀、もうムリかもしれないって。


 良彦は泣きじゃくっていた。ぼくは病院まで走った。会えなかった。


 なんでだよ、前会ったときは、元気だったじゃないか。

 ぼくたちの漫才を、見てくれやしないというのか。天国なんて、特等席でもなんでもない。草葉の陰からなんて、ステージは見えやしない。ぼくたちの目の前で、笑ってほしいんだよ。頼むよ。一瞬のうちに元気になるような、奇跡でも魔法でも超常現象でもなんでもいいから、起こってくれよ。


 妹に揺り起こされて、夢だと分かった。

 ぼくも学校を休むことにした。けど、眠らなかった。眠ればまた、嫌な夢を見るだろうから。


     *     *     *


「優理はなんで引っ越してきたの?」


 という当然の疑問を、ぼくに向かって最初に口にしたのは大紀だった。前向きな理由で引っ越しをすることなんてあまりないだろうから、そういう質問をするには相当の勇気が必要だったに違いない。


 もしかしたら、そういうことには無頓着むとんちゃくいただけなのかもしれないけれど、ぼくはどこかでその質問が来るのを待っていた。ぼくがここにいる理由を知ってもらうこと、それ自体が、ぼくの存在を認めてもらえることに繋がるような気がしたから。エイリアンがなんの訳もなく地球にくるわけないじゃないか。


「元から引っ越しは決まってたんだ。父さんの転勤で。でもさ――」


「そうか、転勤だったんだな」

 と、良彦は納得しきったふりをした。それ以上の話をすることを、ぼくが望んでいないのだと思ったのだろう。でも、大紀は違った。

「でも?」

 ふたりは根底では、同じ気持ちにいた。ぼくへの気遣いに満ちていた。だけど方向はべつべつで、良彦はぼくの傷口を広げないようにと配慮をして、一方の大紀は、勇気を持って口を開いたぼくの意志を尊重した。


 ぼくは、いじめられていたことを話した。そして、ぼくより妹の方がひどいいじめを受けたのだと言った――見かねたぼくが暴力をふるったことも。


「自分より、とか言うなよ。自分がされたことのひどさを、小さく見せようとするな」

 大紀はそうぼくを叱った。

 

「気持ちがなんて言ったら、優理は怒るかもしれないけど……でも、ひとつだけなことはあるな」

 そして、西陽の差す大通り側の窓の方へと眼を向けながら、話し続けた。


「自分がしてしまったことをゆるしてしまいたいと思うほど、相手がしたことも少しは赦さないといけないんじゃないかって、不安になってしまうんだよな。俺もさ、むかしデブって言われ続けて頭にきて、バカって言い返したことがあったんだ。そのときの動揺を強く覚えてる。でも、どっちもどっちっていうのは違うって分かる。なんだろう。もっと上手いやり方があったんだろうなとは、いまになって思う」

 

 このとき、ぼくたちは離れがたい関係になったのだと、そう思った。


 ぼくが過去のことを告白した春。

 新入生と在校生が、部活やレクリエーションを通して、教室やグラウンドでわいわいしているなか、ぼくたちはカードショップの対戦スペースで、この一過性のカーニバルが落ち着くのをずっと待っていた。


 なんの代わり映えのない一年になるだろうと、信じ切りながら。


 いろんな暴力を受け続けてきて。でも、それの反抗として暴力を使うことには違和感があって。けれど、反抗しないと気がすまないっていうのも本音で。だから、ぼくたちには、なにか反抗プロテストの手段がほしかった。暴力ではなくて、平和的な――なにかを。


 ある大学の先生が、ゲスト出演したテレビ番組でこんなことを言っていた。

 人間の数ある感情のうちで、相手から笑いを引き出すことが一番難しい。だから、お笑い芸人はとんでもなくすごいことをしているのだと。


 ぼくたちは、なにもできないやつだとののしられ、もしくは、それっぽっちしかできないのだとさげすまれてきた。

 でも、ぼくたちには、人を笑わせるという、とんでもなくすごいことができるのだ。そういうことを、見せつけてやれたとしたら?

 これ以上に愉快で、平和的な反抗プロテストはないじゃないか。

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