14. 走れ、追いつけ
ヘンな間ができてしまった。ネタが飛んだのかと会場はざわついた。ぼくたちは、どのように漫才を締めるかお互いに分かっていた。分かっていて、そこまで突き進んでいた。そんなぼくたちの足をすくったやつが、この中にいる。
「まあ、こんなアプリを開発できたら、世界史の教科書に載るでしょうけどね」
それは、ぼくのセリフじゃないのか。栗林さんの左足が、ぼくの足首を蹴った。この漫才を終わらせるようにとの合図だろう。こんな終わり方、ぼくたちが望んだものじゃないじゃないか。
「もういいよ、どうもありがとうございました」
潔く漫才を締めた。舞台袖にはけていくぼくたちに、パチパチと拍手が向けられる。
『あの子、栗林さんの妹さんらしいよ』『マジで? なんで漫才なんてしてんだろ』『姉も捨てがたいけど妹も……ってかんじだな』『お前にはムリだよ』『わかってるよ。でも横の男よりオレの方がだいぶマシじゃね?』
そんな声も、拍手に負けずに聞こえてきた。
舞台裏でも拍手が待ち受けていた。しかし、ネタに対して踏み込んだ発言をしてくれるひとは一人もいなかった。
大勢の
栗林さんは、舞台から引っ込んできた司会のひとにお礼を言って、ぼくを置いてすたすたと出ていってしまった。ぼくもまた、彼女に続いてここから出ていくべきなのに、やり場のない怒りが、ぼくの足と板張りの楽屋を接着させていた。
* * *
第十五回の年末の漫才コンテストの敗者復活戦。視聴者投票の結果で上位一名になった漫才師だけが、決勝のステージで下克上に挑むことができる。
三十組の漫才師たちのなかに、そのコンビはいた。
台本は書かない。ツッコミ担当の頭のなかだけにミニコントの筋書きがあり、ボケ担当は思いついた「おもしろいこと」を言い続ける。台本がないのに、あんなにキレキレのボケを次々に繰り出せるのは、天才芸人の証だと思った。
ぼくは、前半十五組のなかで、彼らが一番おもしろいと思った。しかし――彼らの漫才は所定時間をオーバーしてしまっていた。アドリブの連続が、時間の感覚に多少のズレを生じさせてしまったのかもしれない。
しかし彼らは自分たちのスタイルを貫き通していた。時間のオーバーを報せる警告音が鳴り響くなか、ネタのオチは迷子になっていた。「どうもありがとうございました」という、漫才の締めのセリフも言えなかった。どれだけ悔しかったことだろう。
ツッコミ担当の彼は、雑誌のインタビューでこんなことを話していた。
《やろうと思えば、漫才を終わらせることはできたんです。でも、あまりに楽しくボケている相方の姿を見てると、なかなか止めさせられなくて(笑)。後悔はあるんですよ。でも、あの極寒のなかでの漫才が、いままで経験したことがないほど楽しかった。出番の前は、緊張でえずいていたんです。でも、舞台袖にはけたあとは、楽しくお酒を飲みたくなったんです。不思議ですよね(笑)》
所定の時間をオーバーしたからといって、失格になるわけではない(たぶん、運営側に叱られるだろうけれど)。しかし彼らは、決勝へ駒を進めることはできなかった。
その後ふたりは、コートに身を包んで、年末でも営業している飲み屋を探しにいったことだろう。そしてふたり、楽しくお酒を飲んだことだろう。
でもきっと、家に帰ってからとんでもない量の涙を流したと思う。ネタをやり通せなかったことのあまりの悲しみ。ぼくは自分が経験してはじめて、その深い悲しみを、切実に痛感した。
* * *
「あんな環境のなかで漫才をするなんて、お前たち、ただものじゃないなあ」
彼は、すっかり
なんで、ぼくたちの漫才を観てくれていたんだろう。ど素人の、つたない漫才を。そして彼らは、なぜここにいるのだろう。彼らもまた、学園祭に呼ばれていたのだろうか。
「相方を迎えにいって、今日はへべれけに酔ってこい。酒じゃなくて、漫才から逃げなかった度胸にさ、酔いしれろ」
ぼくは、この天才漫才師の胸をかりて
「走ってれば、涙なんて渇いてしまうから。相方のところへ、行ってこい」
彼はきっと、ぼくたちの痛みを分かってくれている。
彼は、ぼくをくるりと反転させると、その両手で背中をおしてくれた。よろけてしまった。倒れてしまわないように、ふん張った。力をこめた足で、一歩を踏み出した。走った。
栗林さん、どこかで待っていなくてもいい。ぼくが必ず、追いついてみせるから。
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