13. 初めまして2年4組のエイリアンです

 相方と仲が良いことがダサい時代があったのだと、むかし関西のライブシーンで腕を磨いていたお笑い芸人たちが、バラエティー番組で話していた。しかし不思議なことに、舞台の上に立つと、どれだけ仲が悪くても息ぴったりの漫才で観客を笑わせてしまう。


《べつにお前と仲が悪くていい、センターマイクの後ろで会えれば、それでいいのだから》


 たとえ仲が悪くても、関係が冷え切っていても、漫才はできてしまうし、観客は手を叩いて笑う。そんな漫才師たちが、いまもどこかでネタを披露し爆笑をかっさらっていることだろう。


     *     *     *


 ぼくたちは、ネタを披露する2分前に舞台の裏で落ち合い、先ほどの騒動のことなんて忘れたかのように、ネタ合わせに入った。


 ぼくたちのネタは、「起承転結」を二回作る構成となっており、それは実質、ふたつの漫才がくっついているみたいなものだった。しかしぼくたちは、一回目の「結」で提起したテーマを、二回目の主題とすることによって、なんとか一貫性を保持しようと試みた。


 相談の上、今回は一回目の「起承転結」を披露することに決まったのだが、途中、三つのくだりをはぶくことになった。そうしないと所定の時間では終わらないと、栗林さんが判断したのだ。


 ぼくたちは、早口でネタをおさらいする時間さえなかった。当たり前だ。ほとんど冗談で言っていたことを真に受けただけのぼくらに、ちゃんとしたネタ合わせの時間なんてくれやしない。しかし、何度も練習をしたネタだ。大丈夫だ。きっともう自分の身体の細胞のいくつかになっているはずだ。


 ぼくたちは同じ舞台袖から出て行った。観客から見て左手に栗林さん、右手がぼくだ。ようやく栗林さんと再会することができた。そして、突然に、これだけの人の前で漫才を披露することになった。ぼくたちの間に私語なんてひとつもなかった。ネタのことしか話さなかった。


「ダイナマイト柑橘類」のふたりの背丈に合ったセンターマイク。もちろん、ぼくたちの背丈に直されていない。だって、このセンターマイクの高さの上げ下げというのは、漫才のひとつの部分を構成するものだから。


 しかしぼくはいまだかつて、この漫才のためのセンターマイクの丈を変えたことはない。手間取ってしまった。そのあたふたした様子が、ぼくたちが受けた最初の笑いとなった。小波さざなみのような笑い。


 ぼくが「初めまして2年4組のエイリアンです」とを名乗ると、拍手が沸き起こった。


 栗林さんはさっそく、「戦国大名になって天下統一を成し遂げた豊臣秀吉って、教科書に載っているじゃない」と、本題に入っていった。ほんとうなら、ここで相槌あいづちをいれないといけない。それなのに、「あれ? を言ってないじゃないか?」という疑問がわいてしまい、「うん」という相槌さえ打てなかった。時間を短縮するためだろうか。しかしこれくらいのアドリブなら、まだ許容の範囲内だ。


 栗林さんは迷いなくネタを進めていく。

「わたしも教科書に載る存在になりたいのよね」


 次はぼくが言葉を挟む番だ。

「だとしたら、栗林さんがなにか偉業を成し遂げたら、教科書に載るんじゃないかな」


 しかし「なにか偉業を」まで言ったところで、栗林さんはその先へと行ってしまった。

「でも、日本史の教科書というより、世界史の教科書に載るしかないのよね」

 なにをしているの、栗林さん?


 そんなとまどいを覚えたせいで、「それはどうして?」という、このあとのボケをアシストするフリを言い忘れた。そこで微妙ながうまれた。四条くんはあてにしないと言わんばかりに、「だって、このわたしの競合相手は、世界にしかいないと思うから」と、勝手にボケのセリフをかました。


「このひと、すごい自信ですよね」――観客に同意を促すような、ぼくのツッコミは、観客席の「その通りだよ!」という栗林さんを褒め称えるヤジによって、かき消えた。悔しくて、ぼくまで消えてしまいたかった。


 いまのぼくたちは、が勝手に話しているだけだ。こんなの、漫才じゃない。なにかきっかけがほしい。息を整え直す切れ目。もう一度ここからやり直そうというチャプター。きっと栗林さんも、を探している。だからいまはへと突き進んでいるのだ。


 いまのぼくには、目の前の観客の姿は見えていない。笑い声が生まれていないことだけは分かる。だからこわいよ。漫才を終えたあとに、冷ややかな表情がそこに並んでいるのを、見てしまうことが。


「――たしかに、文化系で活躍した人たちも教科書に載りますもんね」


 漫才のひとつの継ぎ目となるこの進行のセリフ。テンポが緩まり、いままでの高揚感を適度に引き締めるこのパートを、噛まずに言い切れれば、もう一度ぼくたちは足並みをそろえて駆けていける。


「――例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチだったり、ベートーヴェンだったり。栗林さんも、そっちの方面で活躍すると、教科書に載ることができるんじゃないかな」

「でも、絵を描くのもピアノも弾くこともできないし……そうだ、わたしが絵になればいいのね」

「逆転の発想! たしかに、教科書に載っているのって『モナリザ』の方だもんね」


 はじめて、栗林さんと目線が合った。


「だから四条くん、天才絵師を紹介してくれないかしら」

「他力本願!」

「なら、それ専門のマッチングアプリを開発しようかしら」

「需要と供給のバランスを考えたりしないの? 金持ちの遊び?」

「課金システムで大儲けもしたいし」

「おそろしい野望だね!」


 息が合いはじめた。ようやく、ぼくたちがセンターマイクを前にして並び立つ意味がうまれた。しかしもう漫才は終盤へと入っていく。架空のマッチングアプリの機能をめぐってボケとツッコミが繰り返されていく。


「てか、そんな高度なアプリを開発できたら、世界史に名を残すでしょ!」


 というのが、このネタの締めになる。燃え立つ火にまきをくべ続けるように、ぼくたちの漫才はヒートアップしていく。ぼくのこころに《楽しい》という感情が芽吹いてきた。視界が開けてきた。笑い声が少しは聞こえてくる。終わるな。この時間をまだ味わっていたい。


 しかしもう、A4用紙一枚ほどのセリフしか残っていない。書き込みばかりになった、ぼくたちの台本。気づいたこと、思いついたこと、ふたりで生み出していったものすべてが、そこに込められている。


 もう、終わる。栗林さんの最後のボケが、ぼくの締めのツッコミを引き出す。ぼくたちはネタをやりきれる――はずだった。


『あの子、栗林さんの妹さんらしいよ』


 だれだ? 彼女を黙らせてしまったのは?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る