10. ミス 琥珀紋学院

 女の子とデートをしたとき、例えばお祭りに行ったときに、「たこ焼き食べる?」という文言をさらりと言うはしたことがあるけれど、それが現実になってみると、すらすらとその言葉はでてこなかった。


 しかも、相手は栗林さんだ。


 地味目の水色のシャツの上に羽織った、鮮やかな青色のカーディガン。藍色のさらさらとした素材のズボン。似たような色でまとめているコーデ。そして、いわゆる差し色というのだろう。白色のショルダーバッグをかけている。カーディガンの前を開けているのと、そでをかるくめくっているところに、感がでているし、学校での静的な透明感のある雰囲気が、いくらか開放的になっている。


 私服の栗林さんは、うちの制服姿のときよりも、一段とかわいい。

 あまりの「かわいさ」にたじろいでしまい、出てこない言葉をなんとかだそうとしたまま、栗林さんの方に目線だけを投げていた。


「わたしの背後になにかいてるの?」

 ぼくからの視線に気づいたらしい。


「ふつうは、『顔になにかついてる?』って言わない?」

「四条くんは、わたしに付きまとってる?」

「早朝4時にデート……じゃない、学園祭に誘われたので付いてきたのですが」

「これ以上付きまとうなら、急所を突くわよ?」

「なんでだよ!」

「168を素因数分解すると?」

「その急所? たしかに数学は苦手だけど!」

「数学『も』でしょ」

「そうだけど!」


 栗林さんは、くすくすと笑って見せる。それで許されると思っているの?――なんて言うわけがない。ぼくだけに、その笑顔を見せてくれているのだから。


 そうだ。もともとぼくは、彼女に恋をしていたのだ。しかしいまは、漫才コンビの相方として、ぼくの横に立ってくれている。それはそれで嬉しいことなのだけれど、なんだか「もやもや」みたいなものを感じることがある。


「お好み焼き、300円ですって。食べましょうよ。お昼ごはんがまだだし。でも……果たして、四条くんに支払い額の計算ができるかしら?」

「さすがに、小学1年生のときにマスターしたよ! 150円ずつだせば――」

「なんで、四条くんと1枚を分け合わないといけないの?」

「ごめんなさい! よく考えたらそうでした!」


 完全にデート気分だった。なんでひとつのお好み焼きを分け合うということを前提としていたのだろう?


「ごめん、ごめん。ちょっと意地悪しすぎたわ。でも、少しずつ息が合ってきてる気がする。わたしだけかしら?」


 栗林さんは、その大きな眼のなかに、ぼくを映そうとする。屋台の並んでいる緩やかな坂道をのぼってくる風が、一本ずつ磨き抜かれたかのような彼女の美しい髪を優しくさらっている。

 ぼくは、なにも言葉を返すことができなかった。


     *     *     *


 ナンパしてくる男たちから好きな女の子を守るというシチュエーションも、中学生のときに何度ものなかで練習したはずなのに、いざとなってみると、足はがくがくと震えるし、「下がってて」の一言もでてこない。ただ、栗林さんのそばに、ぴったりといることしかできない。


「なになに? こいつ彼氏なの? こんなやつが?」

「…………」

「違うんだ?」

「…………」


 まったく口をきかない栗林さん。こころを閉ざして、取り合わないことにしているようだ。しかし、3人の大学生に囲まれているぼくたちは、ここからどう逃げればいいんだ? こんなに人がいるのに、なんでだれも助けてくれないんだ?


 小さく深呼吸をする。相手の眼を見る。一言、この一言からはじめよう。

「お願いですから、もう止めてくだ――」

「ねえ? わたしの妹と、将来不祥事を起しそうな感じのする彼ピッピから離れてくれない?」

 

 突然、彼らの後ろから現れたその女性は、斜めにたすきをかけて、まるで女王様のように、何人もの男女たちを後ろに控えさせてそこに立っていた。

 襷には、こう書いてある。


《ミス 琥珀紋学院こはくもんがくいん


 クリーム色のシャツに似合った黄色のカーディガンに、花柄のスカート。ナチュラルなメイクがよく似合う(メイクなんてしなくても、美しい気がするけれど、そういったことを口にするのは御法度ごはっとだと聞いたことがある)。ネックレスにイヤリングに、変わったデザインのショルダーバッグ。少しカールのかかった長い黒髪。ぱっちりとした眼の奥に、挑発的な雰囲気を宿している。


「わたしに逆らったら、どうなると思う?」


 ズドンとした重みのある、相手をひるませてしまうような、芯のかよった声が、ぼくたちの目線をその姿へとひきつける。

 彼女は、不敵に笑ってみせた。

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